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かくてありけり
42 knot=結び目
2006年10月31日
沼田 清 沼田 清 [ぬまた きよし]

1948年、新潟県生まれ。千葉大学工学部卒業。2008年、通信社写真部を卒業、以後は資料写真セクションで嘱託として古い写真の掘り起こしと点検に従事。勤務の傍ら個人的に災害写真史を調べ、現在は明治三陸津波の写真の解明に努めている。仕事を離れては日曜菜園で気分転換を図っている。
 秋も深まった或る夜、いつもより早く帰宅した私は、晩御飯をそそくさと済まし、机の前に座った。取り出したのは釣り糸と和バサミ。明朝は5年ぶりの釣りに出掛けるのだ。心弾むがその前に糸の結び方をおさらいしておきたい。結んでは切り結んでは切りして、基本となる3種の結び方をみっちり1時間練習した。糸と接続金具を結ぶ、糸と針を結ぶ、そして糸と糸を結ぶことができれば、釣りの最中に仕掛けが切れてもあわてることはない。

 念のためインターネットで結び方を検索すると、和名に混じってユニノットuni knot、クリンチノットclinch knot、フィッシャーマンズノットfisherman’s knot、ブラッドノットblood knotなど英語名もでてくる。釣りは万国共通の趣味であり、どこの国にも釣りの文化があるのだと感じる。

 社内の釣り好きが海釣り大会を企画し、私にも声を掛けてくれた。低気圧の影響で波が高いため、当初予定した相模湾でのイナダ釣りから横浜港沖のキス・イシモチ釣りに変更されたが、朝8時、京浜急行金沢文庫駅前には会社の同僚だけでなく、幹事が行きつけのスナックのママや小料理店の板前さんも含め、約20人が集まった。仕立て船なので出船時刻も随意に、道具は貸し竿でと至って気楽である。心強いのは、船頭さんのほかに助手が乗って世話をしてくれることだ。

 乗船すると私の右側にくだんのママさんと店の従業員と思しき女性が並んで座り、幹事から竿の扱いや餌の付け方を教わっていた。釣りでは他の人の糸と絡むことを「お祭り」とよぶ。初心者ほどお祭りしやすく、リカバリーに手古摺るものだ。9時前に釣り場に着いて糸を垂らして間もなく、お二人さんがお祭りになった。仕掛けを傷めてはいけないと思うのだろう、根気よくほどこうとしている。釣りを始めたころの自分を見るようで、「本職に頼んだほうが良いですよ」と勧め、助手を呼んでやった。
 
 助手はお祭り具合をさっと見て、ためらうことなくハサミを取り出し仕掛けと道糸を切り離した。丁寧に解くのでは時間がかかってしょうがない。ここは切るのが一番だ。後で結び直せばよい。絡まり具合がひどい場合にはハリス以下の仕掛けを放棄することもある。魚の食いが立っている好機を逃してはならない。その後も助手のハサミは正に快刀乱麻の働きをしていた。こんな場面に接する度に私はGordian knot(ゴルディウスの結び目)の故事を思い起こす。

 舞台は紀元前8世紀頃の古代フリュギア(Phrygia、現在のトルコの地にあった国)。ある日、フリュギアの未来の王は荷馬車に乗って来るであろうという神託が下った。人々がその神託の主旨に考えを巡らしているところに、ゴルディウス(Gordius)という男が妻子を連れ荷馬車に乗って四つ辻に来た。彼は貧しい百姓だったが神託に合致する者として推し立てられて国王となり、首都は彼の名にちなんでゴルディオン(Gordion)と呼ばれた。建国を成し遂げたゴルディウス王は神殿に彼の荷馬車を奉納し、堅い結び目を作ってそのながえを柱につないだ。その結び目が決して解けないことから、後世、これを解き放った者は全アジアの王となるだろうと言い伝えられた。多くの人が挑んで果たせないまま年月が過ぎた。
 
 紀元前333年、東征中のアレキサンダー大王(アレキサンドロス3世)がこの町を通り、言い伝えを聞いて試みたが解けず、ついに剣を抜いて結び目を両断した。後にアレキサンダー大王がペルシャのダリウス3世を破り、インドまで攻略し全アジアをその勢力下に置いたとき、人々は彼こそ言い伝えの意味に適う人であったと悟った。この故事にちなんで「cut the Gordian knot」とは、困難な事態に敏速かつ果敢に対処するとか、問題を力で一挙に解決することを表現する言葉となった。

 含蓄のある言葉だと思う。私は高校生のころブルフィンチのギリシャ・ローマ神話(岩波文庫、野上弥生子訳)を読んでゴルディウスの結び目を知った。小型の英語辞書に載っているこの言葉が、なぜか国語辞書ではお目にかかれない。広辞苑はおろか日本国語大辞典にすら見当たらない。かろうじて電子版の平凡社大百科事典には載っていた。
 ちなみにゴルディウス王の息子が、後のミダス王(Midas)で、酒神ディオニソスによって触るものすべてを黄金に変える力を与えられたものの、食べ物や飲み物まで黄金に変わってしまい、結局その力を返上したことで有名だ。

 キス釣りもイシモチ釣りも初めてだったが、午後3時の納竿までに良型のシロギス1匹、イシモチ10匹が釣れた。船は快調なエンジン音をたて10数ノットの早さで港へ向かう。潮風を頬に受け缶ビールを飲んでいると、頭の隅にしつこくへばりついていた仕事の憂さが白波と共に後方に吹き飛んで行くような気がした。これで9、000円は安いものだ。

 すでにお気づきの通り、ノットは速度を示す単位でもある。1ノットは時速1海里(1852メートル)。以前、整理部にいたころ、写真説明や記事の点検をやっていた。用字用語だけでなく、固有名詞や数字は要注意である。特に単位が曲者だ。手製の換算表を作ったとき、なぜ「結び目」が速度の単位になっているのか疑問を感じて、調べた。
 
 昔、海洋関係者は緯度1分を1海里と定め、これを1時間で進むのを速度の1単位とした。実際の船の速力測定は、16世紀中頃にハンドログという器具を用いるようになった。ロープにつなげた錘付きの木片を船尾から海面に流し、一定時間内にどれだけロープが出たかを計測する。目印としてロープには一定の長さで結び目を付け、その数をカウントした。時計は砂時計で初期は30秒計、後に28秒計に変わった。28秒計を使うときは結び目を14.4mごとに付ける。砂時計1回分の時間でロープが結び目1つ分出たら速度は1ノットで、進んだ距離は14.4m÷28秒×3600秒=1852mというわけだ。

 その夜、釣果は刺し身、塩焼き、てんぷらになって食卓に上った。軽く揚がったてんぷらはどちらも美味で、冷えたビールによく合った。ぜひ来年も行きたいものだ。
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