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ボーダーを越えて
175 特攻志願
2012年1月21日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 父の手紙。
▲ 父が書いた潜水艦の説明図。
このサイトのトップページに、油壷の洞窟が何度か紹介されました。その洞窟は、第二次大戦末期に、予期される連合軍の本土上陸作戦に対して、旧日本海軍が体当たり潜水艦、海龍を配置していた場所でした。そして、私の父が潜水艦操縦兵、つまり突撃隊員として待機していたのです。

私の父は、東京下町の染め物職人の次男坊として1925年に生まれました。親が子どもの教育には関心がなかったので、自分で学費を稼いで夜学に通い、旧制中学を卒業すると同時に、特攻隊に志願したのです。

反権力傾向のある彼が、どうして特攻隊などに志願などを? 

実は、私は父という人をあまりよく知りません。子どものときに両親が離婚してから、私は成人するまで、父とはいっさい交渉がなかったのです。父と再会したのは、大学4年のときでしたが、ふたりの間には、世界観や価値観やお互いに対する思い入れの違いなどから生じた深い溝がありました。それぞれ、その溝を越えようとしたのですが、それがまったくかみ合ない。私が日本を離れてしまったこともあって、父とは数年おきに会うくらいで、ただ顔を見て、とりとめのない話をしながら時間を共にすることで、できるだけ溝を埋めようとしたような気がします。

それでも、父のこと、特に戦争体験についてもっときちんと知りたいと思いました。それで1995年10月に、手紙でこんなことを聞いてみました。

「『甲種合格でどうせ引っぱられるのだから志願した』とおっしゃってましたね。何歳のとき? そのころは兵役義務というのは何歳のときからあったのですか? 日本がそろそろ負けてきたころだったのでしょう? そのとき海軍を選んだのですか? それとも振り分けられた? 人間魚雷になるってわかってましたか? 訓練をうけたのはどこ? 1945年(昭和20)の春には本土開戦になるとか言われていたのでしょう? とすると、お父さんはどこに出陣することになっていたのですか? 戦争があとどのくらい続いていたら出陣していましたか? 日本が戦争に負けたと知ったとき、『ホッとした』って言ったでしょ? でも、そのあと虚脱感みたいなものがやはりあったのだろうと想像していますが、どうですか?」

すると、12月初めには父から返事が来ました。
「質問以外の事は余り書きたくありませんが、質問されれば何でも答へます」と言って、上記の私の質問には細かく答えてくれました。そこに描かれていたのは、愛国心にあふれた青年の姿ではなく、ごくごく限られた選択肢の中から、一見もっとも壮絶だけれど、嫌なものばかりの中では一番受け入れられると思ったものを選んだ、いや、選ばされた、出口なしの若者の心の中でした。

手紙の最後に、「理解しにくい個所もあろうかと思いますが、思い出すままに一気に書きましたので、判断して下さい」とあります。父は、過去のことはどんなことでも秘めておきたいという性格でした――それが私との間の葛藤の原因の1つでもあったのです――が、その彼が一生懸命に書いたというのは、やはりどこかで、人に伝えたいという気持があったのではないかと思います。

いま、油壺の洞窟周辺は、あまりにも平穏で、あまりにも平和に満たされていて、あの洞窟に潜水艦が隠されていたとは、想像すらできない感じです。しかもその潜水艦は体当たり用だったとは… 父のように、愛国心に燃えていたからではなく、選択肢が限られていたから志願した突撃隊員はいっぱいいただろうと思います。

彼らのためにも、油壷の洞窟の歴史的意味は、忘れられてほしくありません。そのためにも、みなさんに父の手紙を読んでいただきたいので、ここに掲載します。

読みやすくするために、句読点は修正しましたが、漢字や送り仮名、仮名遣いは、原文のままにしてあります。

   === 

私が兵隊に行ったのは、十八歳の四月。小学校を卒へてから、昼間は学費を稼ぎ、夜は学校、小学校を卒へて一〜二年は、神田の山海堂と云う出版社の給仕をやっていたが、段々と世相がやかましくなり、半強制的に品川の明電舎に出勤させられた。私は現場の仕事が好きなのに、伝票整理のような仕事をやらされるし、日曜日は私の最も嫌いな軍事教練を… 仕事は嫌だし、軍事教練はやらされるし、逃げることは出来ず、ツクヅク嫌になってしまった。

丁度その頃、飛行予科練習生募集の記事が目についた。三月となれば卒業で、学歴も適合しているし、よし、二十歳になって兵隊検査になれば甲種合格は間違いないし、そのときは、何をやらされるか分からない。ましてや鉄砲をかつぐのは嫌だ。ならば飛行機に乗る方が(兵隊は大キライだが)いいやと、志願をした。

入隊してからの一年間は飛行兵になるための学科と訓練の毎日だった。一年くらいしたある日、総員集合があり、全隊員が集められ、先づ、一人っ子及長男以外は残れと云うことで、私はその場に残った。その上で、特攻隊の募集が示された。俺は考えた。母親はその前年の十一月に空爆が原因で死んだし、戦況のいいウワサは耳に入らないし、このままでは絶対に生きてはかへれないと思い、同じ死ぬならハデに死んでやれと思い、半ばヤケクソで志願した。

数日して汽車に乗せられたが、行先はわかない。到着した処は、山口県熊毛郡柳井の潜水学校の分校だった。飛行機に乗るつもりだったのが潜水艦に乗る事になった。空中から水中になった。然しこの潜水艇は二人乗りで、操縦その他過去一年間の学科訓練が生かされることが分かった。然も木の塀の隣は人間魚雷回天の発進基地だったのです。その特攻、人間魚雷回天が出発するのを、私等は岬の先端から帽子を振って送ったものでした。そのような現場を何度も見ている中に、だんだんと死と云うものを余り考へなくなり、むしろ、より以上気合がかかったのです。

学科と模擬訓練が終ったら、又、汽車に乗せられた。汽車の窓はブラインドが降ろされ、外は見へない。僅かな隙間から外を見ると、大阪方面に走っている。その中に神奈川の大船まで来た。おれは嬉しくなった。死ぬまへに東京の街を見ることが出来る。胸の中がワクワクした。汽車は動き出した。然し東京方面でなく、バックするのだ。其処でやっと気づいた。この汽車は横須賀に行くのだと… 一瞬にして谷底に落されてしまった。

横須賀海軍航海学校で実技訓練を受けた。その頃はすでに、横須賀から真向かいに見へる横浜、川崎は毎夜のように、火が上がっていた。また、横須賀へは焼夷弾ではなく、爆弾と機銃掃射だった。そのような修羅場の中で、訓練に励み、昭和二十年の五月頃、完全に終り、実戦部隊に配属されるとこになった。軍港の岸壁から、軍楽隊の軍艦行進曲に送られて、横須賀をはなれた。その日の様子を今でもよく覚えているが、軍艦マーチが何とも哀しく、さびしく胸にひびいたことはない。いよいよ、これで、親、兄弟、近所の皆さんに送られて品川駅から此処まで来たが、今の自分の姿を知らせることも出来ず、このまま死地に行くのかと思うと、今更のように切なくなってしまった。この時も何処に連れていかれるのか解らず、貴方任せだったが、着いた処は三浦半島の突端、油壺だった。此処に到着して理解出来た。本土決戦で米軍は相模湾に上陸する。それを迎へ打つのだと。

油壺に着いてからはさしたる訓練もなく、艇の手入れなどでダラダラと毎日を過ごしていた。ある夜、非常呼集があり、出撃用意の命令が出た。いよいよ来たと思い、(その時は訓練の延長ぐらいの気もちで気もちの動揺はなかった)規定通りに点検、確認を行い、指示を待ったが、何も云うて来ない。大分経過してから、誤認であったとする報告があり、それを聞いたら気もちがガクンと落ちてしまった。

そのあと何事もなく、平々凡々の毎日であった。と、ある日、指揮所前に全員集合の伝達があり、天皇陛下の終戦の放送があり、その時は内容がよく解らずにいたが、段々と具体的に判るに従い、口は顔には出すことは出来なかった嬉しさが、底の方から段々と全身に広がっていった。刑務所のような軍隊から解放されるのだ。絶対服従の不合理な世界から解放されるのだ。東京にかへれるのだ。それやこれや、嬉しくて仕方なかった。

   === 

そうして父は、命拾いをしたのです。
1945年8月15日のその日、彼は20歳ホヤホヤでした。
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