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僕の偏見紀行
12 安曇野の光と水、そして高瀬川渓谷葛温泉
2004年5月4日
時津 寿之 時津 寿之 [ときつ としゆき]

1945年、九州にて誕生。2010年4月65才で長年勤務したメーカーを定年退職。家族は息子2人が独立し、今は配偶者と二人暮し。趣味は読書、散歩、旅行。読む本は何でもジャンルを問わず、旅先も国内外を問わずどこでも、気の向くところへ。
▲ 安曇野風景
▲ 宿に来た猿
▲ 高瀬川風景
安曇野へ着いたらまず、穂高駅前の「一休庵」を目指さねばならない。近づくにつれ期待に胸が高鳴る。まさか休みということはないだろうな。良かった、暖簾がかかり、駐車場に数台の車があった。ほっと一安心する。

早速「アルプスそば大盛り」を注文する。ほぼ1年ぶりのご対面だ。新宿の雑踏にもまれながら、通勤の途上で「一休庵」のそばが食べたいと、幾度思ったことか。それがやっとかなったのだ。安曇野の初夏の光と、町中を流れる清らかな水の輝き、この環境がそばをまた一段と味わい深いものにしてくれる。

アルプスそばとは、ざるそばにわさびの茎の醤油漬けを刻んだものがのせてあり、さらに薬味にわさび漬けが添えられている。冷たい水にさらされ引き締まったそばの香りにたまらず、つゆにつけるのももどかしく思い切りすすりこむと、わさびの清涼感溢れる辛味が口中一杯に広がり、そばの香りと一体となってのど元を過ぎていく。至福である。

自慢じゃないが、僕は仙台のあるそばやで、そこのご主人から、そばの食べ方が上手であるとほめられたことがある。なに、腹が減っていたのでつゆをたっぷりとつけて、思い切り音を立てながらすすりこみ、息もつかずに食べただけのことではあるが。そのそばの大食いを自認する僕にとってもここの大盛りは充分満足させられる。東京あたりの気取ったそばやの優に4人前くらいはあり、味量ともに申し分ない。

10数年前に東京に転勤以来、幾度も訪れた安曇野であるが、いつ来てもいい。特に初夏の頃は、遠い山々には残雪が見られ、そのふもとでは、菜の花や蓮華草が咲き乱れる一方、遅咲きの桜が山すそに点在し実に美しい。田んぼでは田植えの準備が進められ、透明な光の中、爽やかな風が吹きぬけていく。足元にはいたるところに、清らかな水の流れが走り、桃源郷とは、もしかしたらこのようなところではないか、と思ってしまう。

安曇野を走りぬけ、大町からさらに槍ヶ岳を源流とする高瀬川渓谷を目指す。高瀬川に沿って大町ダムを過ぎてさらに走ると川沿いの葛温泉に至ることができる。数軒の温泉宿が点在するが、今回はその中の「湯宿かじか」に泊まる。葛温泉は元来アルピニストの宿として親しまれてきたが、この「かじか」はその中にあって、葛発祥の「橋本の湯」の流れを汲むものであり、かっては歌人斉藤茂吉も訪れたという。一度集中豪雨で流失したが、再建されて「かじか」となった。

この宿は一言でいうと、温泉そのものを楽しむことを最優先にしている。なにしろ2万5千坪の広大な敷地に、客室といえばたった6部屋しかない。従って、全てがゆったりとスペースがとられており、周りを取り巻く原生林とあいまって最高の環境を客に提供してくれる。宿の背後のブナの森からは、いたるところで清冽な流れが湧き出しており、部屋の水もその天然水が供されているという。また、時には野生の猿が訪れることもあるという。僕が泊まった翌朝にも、一家族くらいの猿の群れが屋根の上や庭木々の中で遊んでいるのを見ることができた。ここの猿は、まだ自然のままで、人にえさをねだることも、人を威嚇することもなく、生き生きとした猿の群れを眺めるのは楽しいものだった。

温泉は、高野槙を使った広い浴槽の内湯とそれに続く屋根つきの外湯が、男女それぞれに設けてある。豊富な源泉から無色透明のお湯が惜しげもなくあふれ清潔きわまりない。満室であっても客数が少ないため殆どこのお湯を独占状態で楽しむことができる。内湯には、出入りの際に用いる専用の掛湯の湯壷があり、常に清潔な湯があふれ出ており、さらに洗い場と浴槽の間には間仕切りがあって、静かに温泉を楽しむための心配りが行き届いている。

外湯はブナの森に張り出した能舞台のようなしつらえで、夜一人で入ると、漆黒の森の闇とライトアップされた木々の形とが迫ってきて、森の精気に圧倒される思いがした。しかし、やや熱めのお湯につかりながら森をみつめていると、やがて大自然の荒々しくもやさしいエネルギーが伝わってくるようで、お湯の心地よさと合わせて、くたびれていた僕の心を随分と元気にしてくれた。

ここは家族経営のようで、どこかぎこちないところも感じたが、客への心配りは実にこまやかで快適な宿であった。静かに温泉三昧のみを求める客にはもってこいの宿ではないかと思う。ただ、帰り際に年末年始の予約について尋ねたら「休業させていただきます」とのこと、さらに月2回は休業日が設けてあるようで、なるほどここにこの宿の「温泉のみを楽しむ少人数のお客を大切にもてなす」心があるのかと感じ入った次第である。
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65 インド紀行(2)コルカタにて
64 インド紀行(1)遠かったインド
63 暮れの浅草昼酒
62 雨の東北、芭蕉と紅葉旅
61 南会津の旅◆扮の尾瀬沼)
60 南会津の旅 弁愡浚村)
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57 スコットランド紀行(4)偉大なり、ピーター・ラビット
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50 イリオモテヤマネコに逢いたくて(4)
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25 知床の青いそら、光と風 その
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