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僕の偏見紀行
210 なぜかベトナム(8)ブラザーズ・カフェ
2016年8月5日
時津 寿之 時津 寿之 [ときつ としゆき]

1945年、九州にて誕生。2010年4月65才で長年勤務したメーカーを定年退職。家族は息子2人が独立し、今は配偶者と二人暮し。趣味は読書、散歩、旅行。読む本は何でもジャンルを問わず、旅先も国内外を問わずどこでも、気の向くところへ。
▲ ブラザーズ・カフェ、庭園のテーブルにて。トゥボン川の流れが見える。心地よい風が吹いていた。
▲ 同じ場所。右奥に見えるのはレストランの一部、パーティ会場のようだ。
▲ その日のランチ。手前のかき混ぜている麺がカオラウ。
日本の伊勢うどんがそのルーツとか。日本の商人が持ち込んだらしい。
「その夜、中国風の家並が続く一帯から、クリーム色のフランス植民地時代を思わせる壁が続く通りに入った。ぽつんぽつんとある白熱光の街灯が柔らかく通りを照らし、あたりをしっとりとした雰囲気に包んでいる。

その途中に、とりわけ照明の美しい、格調ある二階建ての建物があった。いかにも高級そうなプチホテルのように見えた。近くに寄ってみると、入り口の前に、メニューの一部が出ていた。そこはレストラン、それも中華のレストランらしかったが、値段は思ったほど高くない。」

 「一号線を北上せよ 沢木耕太郎著 講談社」より

長々と引用したが、この本は僕が海外一人旅に出かけるきっかけのひとつとなった。

その数年前、同じ作者の「深夜特急」を読んだ時も、面白さのあまり、一息に読み終えた。そして、こんな旅がしたいなあ、そんな思いがだったが、未だ当時は会社勤めの最中、それは単なる憧れに過ぎなかった。

「一号線・・」の時は、リタイアを数年後にひかえ、もはや海外一人旅も単なる夢ではなかった。そしてついにリタイアの時期を迎え、勇躍出かけたのが初の海外一人旅、訪れたのは勿論、沢木耕太郎のひそみにならってベトナムだった。

この本には、沢木耕太郎がバスでベトナム一号線を北上する旅を描かれている。彼はツーリストバスとよばれる、外国人観光客専用のバスを利用してホーチミンからハノイを目指した。

このバスは、何度でも途中下車が可能で、いつでも気に入った土地で乗り降りができる。便利なうえに価格が安いので海外から訪れるバックパッカーに人気が高い。

このバスに乗った沢木耕太郎がホイアンで下車し、夕食に訪れたレストランが、冒頭の中華レストラン「ブラザーズ・カフェ」だった。彼はここで、よく教育されたウェイターと美味しい料理に感動し、ホイアンのよき思い出とした。

以下にその時のいきさつを再び引用する。

「私がそのおいしさに感心すると、喜んだウェイターが厨房に案内してくれた。そこでは若い四人のコックが、ジーパンとシャツというカジュアルな姿で生き生きと料理していた。

ここは建物こそ古いがレストランはオープンしたばかりなのだという。私が、すぐに有名になって客がさばき切れなくなるよ、と言うと、その店のみんなが喜んでくれた。私は深く満足してそのブラザーズ・カフェというレストランを出た。」

彼はその時、たまたま泊ったホイアンのホテルで、ファックスの受信料、送信料ではない、を請求され、フロントとひと悶着あった後だった。しかし彼は、ブラザーズ・カフェに出会ったことで、嫌な印象を抱いたままホイアンを去らずにすんだという。

この本を読んで以来、僕はこのレストランがずっと気になっていたが、これまで訪れる機会が無かった。そして今回、やっとホイアン3度目にして訪れることが出来た。

彼が訪れたのはこのレストランが出来たばかりの頃というが、この本が出版されたのは2003年2月だから、それは今から10数年前以上前のことだと思われる。

その頃僕は未だ勤め人生活の最中で、様々なしがらみに囲まれてあくせく働いていた。その僕も既に6年前にリタイアし、今や古稀過ぎのジジイになっている。長い年月を経たレストランはどうなっているだろうか。

もしかしたら店舗は在っても代替わりしているかもしれない。そんな懸念を抱きながら、僕と家内はブラザーズ・カフェを目指した。久しぶりに晴れたホイアンは日差しが強く暑かった。

観光客で賑わうホイアン市場を過ぎ、トゥボン川を右手に見ながらさらに歩いた。すると行く手に重厚な造りの木造建築が見えて来た。あれがそうだろうか、歴史を感じさせる二階建ての建物だ。近寄るとやはり軒先にメニューが展示してある。

ブラザーズ・カフェだ!年月を経ても変わらぬたたずまい、彼が描いたとおりの雰囲気だ。中へ入り薄暗いエントランスを抜けると熱帯樹が茂る庭園にでた。庭園の両側は個室やパーティ会場のようだ。熱帯樹の下の小路を奥へ進むと池があり、その先はちょっとした広場になっており、その木陰に数組のテーブルがセットされている。

アオザイ姿の女性に案内され、僕らはテーブルに着いた。すぐそばをトゥボン川が悠然と流れ、心地よい川風が吹いてくる。先ほどまでの炎天下の暑さがウソのようだ。

本日のランチは、ホイアン名物カオラウ(伊勢ウドン風汁無し麺)、牛肉入りのフォー、そして春巻き。溢れる緑と川風に気分をよくした僕は、、昼日中だというのに、ビールを追加した。

アオザイの女性に、沢木耕太郎を知っているか、と尋ねた。彼女は、先輩から聞いて知っているがあまり詳しくはない、と少し恥ずかしげに答えた。

遠い国から来た人間の、しかも一昔前の話だ、知らなくても無理はない。たまたまやって来た変な日本人から、いきなりそんなことをきかれて困ったかもしれない。昼酒と川風に陶然となりながら、僕はぼんやりとそんなことを思った。

この心地いい瞬間の記念に、酔った自分の写真を撮ってもらった。ホテルに戻り、それを息子達に送った。するとすぐに来た返信は、昼間からいいご身分だね、だった。

リタイアジジイの特権だぞ、と開き直る思いもあったが、日々悪戦苦闘する現役組からそういわれても仕方ないか、とも思った。(続く)
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