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宣告(上) |
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2009年5月28日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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うす曇りの空の下、白く光る海を右手に見ながら国道を南下する。これまでになんどこの道を往復したことだろう。
僕の好きなサンディエゴの海岸線風景にも似ている道はけして嫌いではないが、走るたびに、風景には不似合いな死も思わされる。
僕の住む町は人口3万の小さな自治体なので大病院がない。というわけで町の救急患者はたいてい隣市の総合病院に搬送されるし、ちょっとした病気にかかってもこの病院に行く。その病院が家から海づたいに国道を15分ほど南下した、佐島漁港の先にある。漁港にはうまい食堂が数軒あって、友人達とときどき新鮮な魚を食べにいく。この国道はわいわいとにぎやかに通る道でもあり、死を前にした病人を見舞いにいく道でもある。
20年前には遊びに来ていた義父が我が家で倒れ救急車でこの病院に運ばれた。脳梗塞かと思っていたが、診断の結果は余命4ヶ月の腎臓ガンで、宣告どおりぴたり4ヶ月後に亡くなった。親戚以上のお付き合いだった隣家のご主人も5年前、同じ病院で亡くなった。これで最後かも知れないというお見舞いに数え切れないほど通った道だが、そのたびに沈うつになる気持ちを明かるい風景が癒してくれた。
今日はそんな見舞いの日ではないのだが気が重い。帰り道は今度は海を左に見ながら自分はどんな気分でハンドルを握っているのだろうか。いやもしかすると、今日の帰り道はない可能性だってある。「いや大変だ。即入院してください」―そんな話はよく聴くし、ありえないとは思うが、入院宣告を受ける覚悟だけはしておかなければいけない。
始まりは昨年暮れの人間ドックだった。娘がどうしても健康診断を受けてくれという。もう8年も人間ドックには行ってない。「費用は私が出すから」とまで言ってくれたので、半分その気持ちに感謝しつつ、四分の一は「何か出るのでは」という不安を持ちつつ、残り四分の一はしぶしぶといった感じで、東京・渋谷にある、かつて会社勤めをしていた頃は毎年欠かさず通った健診センターにでかけた。
案の定というか、「ちょっと心配なところが2点あります」という診断結果。「来たかっ」と身構えて先生の顔を見る。「レントゲン写真を見ると食道に影があります。それとPSAの値がちょっと高い。腫瘍マーカーと言いまして前立腺にガンができるとこの値が増えます」。ガ、ガ、ガ、ガン?!?!。
「PSAが高いからといって必ずしもガンというわけではありませんが、大きな病院で専門医に診てもらってください。異常とはいえませんが、グレーゾーンの数値が出ていますので」。グレーゾーン!?。
なんだか重い気持ちの正月があけて出かけたのが、いま向かっている総合病院。生まれて初めての胃カメラは「異常なし」。続けてやはり生まれて初めてのMRIで前立腺検査。これも「異常なしっ」といきたかったのだが、診断結果は「やはりより精密な検査が必要です」とのご宣託。「検査といいますと・・・」。「全身麻酔をして、局部に10本ばかり針を差し込んで生きた細胞を取り出します。個別の細胞をそれぞれをチェックしてガン細胞がないかどうか調べるわけです」。「ゼ、ゼンシンマスイ?」。「全身麻酔ですから2泊3日の入院になります」。「ニュ、ニュウイン?!」。
「で、検査の結果、ガン細胞が発見されたらどうなりますか」。「手術で前立腺全部を摘出します」。「テ、テキシュツ?!」。「お歳もお歳だし、今後は前立腺肥大の心配もある。この際、取ってしまえばすっきりするじゃないですか」。なんか邪魔者は抹消してしまえと言わんばかりではないか。栗くらいの大きさだという小さな臓器に愛着が出てきた。それじゃ前立腺はなんのためにあるのだ。必要だから存在するのではないか。そもそも「お歳だから」という言い方が気に食わない。まだ63ではないか(これは客観的にみればまごうことなき「いい歳」か…)。
「来週だとちょうどスケジュールが空いてますから、予定表に入れちゃいましょうか」。久々にメスの切れ味が楽しめるとでもいうように、医師は嬉しそうに舌なめずりして(というふうに僕には見えた)コンピューターを操作しはじめた。
身体髪膚これを父母に受く、ではないが、針をぶすぶすと突っ込まれて、まだ生まれたばかりのガン細胞を刺激し、怒らせて成長を促してしまう心配はないのか。そっとしておいたほうが良いのではないか。しかし、事態はもっと深刻な状態にあるのか…。
僕は数秒考えて結論を出した。「経過観察ということでしばらく様子をみるということでお願いできませんか」。「確かに前立腺ガンはゆっくり進むので、そう思われるならそれもいいかもしれません。患者さんが決めることで医者が命令できるもんじゃないですから」そう医師は言ったあとで、にやりと(僕には見えた)しながら「あ、でも経過観察してるうちに骨に転移してしまった患者さんが、この間いたなあ」。「楽しみ」を奪われた医師は「PSAがだすデータはかなり正確ですけどね」と悔しそうに(と、僕には見えた)付け加えた。
僕ははふはふ状態で病院をでて、海を左に見ながらなんとか家に帰った。(続く)
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