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僕の偏見紀行
37 知床の秋(1)、鮭遡上
2006年10月8日
時津 寿之 時津 寿之 [ときつ としゆき]

1945年、九州にて誕生。2010年4月65才で長年勤務したメーカーを定年退職。家族は息子2人が独立し、今は配偶者と二人暮し。趣味は読書、散歩、旅行。読む本は何でもジャンルを問わず、旅先も国内外を問わずどこでも、気の向くところへ。
▲ ルサ川にて、身をよじり激しく水しぶきを上げるサケ。
▲ ルサ川にて、川岸近くを上るサケ。
▲ 道路の終点、アイドマリ川にて、川面を埋め尽くして上るサケの群れ。
 夏の盛りに知床の宿に電話すると、9月にはカラフトマスの遡上が始まり、下旬にはサケも上るようになるということであった。そこで9月末から10月にかけて、永年憧れていたサケの遡上を見に知床へ出かけた。

 ただ、いつどの川に行けば確実にサケが見れるのか、電話では要領を得なかった。できれば川面を埋め尽くして遡上する大群に出会いたいものだが。
 
 女満別空港から、きっぱりと晴れ渡った青空の下、レンタカーで知床を目指す。斜里を過ぎてオホーツク海を左手にウトロへ向かう海岸道路では海へ注ぐ大小の川が見えてくる。
 
 車を止め、国道沿いの川幅数メートルくらいのごく普通の川をのぞいて見た。海岸の河口では何やらカモメが群れ騒いでいるし、橋の欄干には大きなカラスも止まっており、なんとなく雰囲気が怪しいのだ。

 橋の上からよく見ると、数匹のサケが水中で揺れているのが見えてきた。やった、生まれて初めて見る遡上するサケだ。川床の石の間を身をくねらせて少しずつ上って行く。そんなに一気に上るものではないようだ。岩陰などで休みながらゆっくりと上っていくのだが、既に力尽きて中洲の砂に横たわりカラスのえさとなったサケも見えた。
 
 思えばサケも大変だ。長い旅路の末ようやく故郷にたどり着いてみれば、まず沖合いでは巨大な定置網が大群を一網打尽にしようと待ち構えている。それをかいくぐると海岸線には獰猛なカモメやカラスの群れが騒いでおり、さらに上流ではヒグマまでが待っている。

 ウトロを過ぎ、今夜の宿「ホテル地の涯」を目指して、知床横断道路から脇道へ、岩尾別川沿いの森の道路を登っていく。この道路の終点が「ホテル地の涯」で他には何にもない。

 北の夕暮れは早く、もう黄昏の気配であったが、岩尾別川のサケが見たくて車を止めた。この川の下流では河口が大きくオホーツク海にひらけ、そのほとりにはサケマス孵化場があり立ち入り禁止になっている。そのあたりでは、たまにはヒグマも出没するらしいと、オホーツク観光船に乗船した時、河口を眺めながらガイドに教わった。

 川原から目を凝らすと、いた。澄み切った流れの中をかなりの数のサケが上っていく。もう疲れきり、傷だらけになっても健気に上ろうとしているのもいる。一つ瀬を越すと岩陰で暫く身を休め、また次の瀬へ挑戦するが、油断すればまた下流へ押し流されてしまう。
 
 薄暗くなってきた川面を見つめながら飽きることが無かった。それにしても、文字通りおのれの身を削ってまで遡上する、このサケ達のエネルギーはどこから来るのだろうか。はるか遠い昔から繰り返されたきた、この壮大な命の連鎖を目の当たりにして、僕は生きることの苛烈さを痛感した。

 次の日、さらに遡上するサケを探して知床半島を横断し羅臼方面へ向かった。羅臼からクナシリ島を右手に見ながらひたすら北上する。この道の果てが相泊で、「この先道路なし、行き止まりキケン」という標識がアイドマリ川の橋のたもとに立っていた。もうこの先は岩だらけの海岸線を歩いて北上するしかない。

 羅臼側にもサケは遡上していた。その数はウトロ側より圧倒的に多かった。終点のアイドマリ川では、黒く川面を埋め尽くして遡上する大群を見て感激した。その大群はあまりに多く、オタマジャクシの群れを彷彿とさせる程であった。溢れる命のエネルギーに圧倒され、しばし言葉が無かった。

 この相泊への途中、北浜のあたりを流れるルサ川も美しい川だった。森の途切れるあたりから、清冽な流れが岸辺の笹薮に沿いながら海へと流れている。この川は浅瀬が多く、整然と上っていくサケの群れを手の届く距離からじっくりと眺めることができる。

 夢中になって、岸辺の僅かな砂床をたよりにさらに上流へ向かった。流れが緩やかな曲線を描く先には砂まじりの浅瀬が広がっていた。産卵の準備なのか、いたるところでサケが背びれをあらわにしながら激しく水しぶきを上げていた。僕は永年憧れていた風景の只中に立って、とても幸せだった。

 ふと気づくと、川岸に「注意!ヒグマ高密度繁殖地」と標識があった。川の両岸は森と笹薮が広がり、しんとして静まり返っていた。思わずクマよけ鈴を握り締め、ゆっくりと後ずさりしながら車へと戻った。
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