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僕の偏見紀行
26 大自然の力、姥湯温泉
2005年8月18日
時津 寿之 時津 寿之 [ときつ としゆき]

1945年、九州にて誕生。2010年4月65才で長年勤務したメーカーを定年退職。家族は息子2人が独立し、今は配偶者と二人暮し。趣味は読書、散歩、旅行。読む本は何でもジャンルを問わず、旅先も国内外を問わずどこでも、気の向くところへ。
▲  峠駅にて。ホームの先にトンネルがかすかに見える。
▲  岩肌から吹き出る源泉、これをそのままパイプで風呂まで引いている。
▲  宿の裏手。左手の岩壁から源泉が噴出しており、右手上方の小屋が露天風呂。
 福島駅で新幹線から在来線(奥羽本線)に乗り換えて約30分、峠駅に到着する。峠駅という言葉から、なんとなく「立原道造」の詩を彷彿とさせる風景などを勝手に期待していたが、少々変わった構えの駅だった。

 トンネンルを出てすぐにホームがあり、雪よけなのか、全体がスッポリと鉄骨造りの大きなドームに覆われて薄暗く、まるで機械工場の中に駅が出現したかのようだ。無人駅なので列車から降りた人がいなくなると、ガランとした殺風景な眺めはどことなくSF的であり、奇妙な旅情に満ちていた。

 駅前にはジュース類を並べた雑貨屋風のお店と、「峠の力餅」を売っている茶店だけで、附近に民家は無い。

 駅前には既に「姥湯温泉桝形屋」の車が待っていた。車は小雨模様の中、九十九折の険しい山道を姥湯目指して登って行く。離合もままならぬ狭い場所や、1度では廻りきれないカーブなどが続く道を約8k、30分くらいかけて登る。徒歩だと2時間半はかかるそうだ。こんな山奥の温泉が室町末期から現在まで17代に亘って続いていると聞いて驚いた。

 宿の手前で車を降りて吊橋を渡る。そこからは急流に沿って急坂を500mくらい歩くしかない。荷物は宿のリフトで急流を越えて宿へ運ばれる仕組みになっている。宿は標高1300m、吾妻連峰の北斜面の谷筋を登りつめたところにあり、そこは激しい流れに面した赤茶けた岩肌の急斜面である。その急斜面にしがみつくように「桝形屋」は小雨と霧に煙りながら建っていた。
 
 こんな環境ながら、改装済みの部屋は最新の設備が整い、男性従業員の素朴だが充分行き届いた対応と相俟って快適な宿であった。また、食事も山形名物の鯉の旨煮や米沢牛のステーキなどが適量サービスされ充分満足した。

 お湯は、男女別の内湯と、露天風呂が混浴2ヶ所、女性専用1ヶ所あって、いずれも乳白色の新鮮なお湯が常に溢れている。

 この宿は源泉に恵まれ、宿の裏手の岩壁から源泉が噴出しているが、6ヶ所のうち1ヶ所しか利用せず、他は急流に流れ落ちるに任せている。

 52度の酸性硫黄泉を一切手を加えずそのまま流しているため、時に熱すぎたりするが、温度調整は湯量を加減するだけと宿の人に聞いた。

 熱めの新鮮なお湯に首まで浸かっていると、じんじんと体の芯まであったまり、大地の豊かなエネルギーが僕の体内に満ちてくるようで誠に心地よい。

 着いた時から降っていた雨が、夕方になって一段とその激しさを増して来た。部屋のすぐ眼下は急流が流れているが、その流れの音に激しい雨音が加わって来た。外を見ると、流れが見る間にその勢いを増し、茶色の濁流となっていった。対岸の岩肌を縫って激しく水が流れ落ち、時折石ころが転げ落ちていった。
 
 雨は翌日も断続的に降り続き、大自然の凄さを体感させられた。しかし合間を縫って温泉につかり、傘をさして入る露天風呂もまたいいものだった。幻想的な奇岩の連なる岩壁が、雨と霧にかすんでいるのを眺めながらお湯につかると、大自然のエネルギーがいささか疲れ気味の僕をゆっくりと癒してくれるのを感じた。

 最終日には天候も回復し、昼過ぎに出発する予定で部屋で帰り仕度をしていたところ、突然激しい揺れが襲ってきた。かなり大きな横揺れが暫く続き、一瞬何事が起きたか良くわからなかったが、窓から絶壁を石ころが転げ落ちていくのが見えた。地震だ、斜面にへばりつくこの宿は大丈夫か、大変だと思うけどどうすべきか、すぐには動けなかった。窓の外を宿のご主人があわてて露天風呂の方へ走っていくのが見えた。

 幸い源泉のパイプが一部外れたくらいで大した被害は無かったが、その後帰宅までが大変だった。宿の車で峠駅まで送ってもらったが予定の列車が待てど暮らせどやってこない。携帯も通じない無人駅に放り出され、情報から遮断されると打つ手が無かった。地震が起きたのは分かっていてもその後の状況が皆目つかめない。

 茶店の公衆電話であちこちに連絡し、漸くのことで福島までタクシーで出ることができた。しかし福島駅も大混雑で、いつ回復するか全く分からない状態で、結局駅前のビジネスホテルに一泊して翌日やっと帰宅できた。

 今回は大自然のやさしさと脅威のどちらも感じることのできた旅だった。自然は時として人間にやさしく、また凶暴にもなる。なにも、自然は人間に都合よく存在するものではない、ということを実感させられた。

 それにしても人間の作り上げた文明のなんと脆いことか、新幹線も情報システムも一度ダウンすると我々の日常生活が一瞬にして機能不全に陥ってしまう。福島から東京まで2時間たらずのところが、どんなにあがいてもその日の内には帰れないという現実に直面して、僕らの生活を支えるシステムの危うさを痛感した。

 それに引き換え、姥湯温泉が500年もの間、厳しい大自然の真っ只中で生きているのは凄いことだと思う。温泉による湯治という営みは、大自然と共存しつつ生きていく日本人の知恵であり、かけがえの無い貴重な文化だといえよう。
 
 
 
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