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146 最澄と空海 その1 還学生と留学生
2014年12月20日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
平安時代、当時の先進技術や文化、仏教経典等の収集等を目的として、20回くらい唐に派遣された朝貢使を遣唐使と言いますが、なにせ当時の航海技術のことですから、難破して行方不明になってしまうケースもたいへん多かったようです。生還率はおおざっぱに見て半分。約50%程度でした。つまり極めて高いリスクを伴った旅だったのです。

そんな中で、804年に出発した遣唐使船に乗っていた最澄と空海が2人とも無事に生還したことは、ほとんど奇跡的と言ってよいことでした。(2人の出発は同時でしたが、帰国した時期は少し異なりました。)

出発時も4隻の船団中、2隻は難破したのに、この2人は残る2隻に乗っていたというのですから運命を感じます。(それも2人は別々の船に乗っていました!) もし2人とも、あるいはどちらか1人でも遭難して帰国しなかったら、日本の仏教史や思想史が、現在とはずいぶん違っていただろうと思います。

2人は間違いなく日本仏教史上のキーパーソンの一員だと思いますが、ほぼ同時代に生き、かなり交錯した人生を送りました。

最澄(767年〜822年) 平安時代初期の僧で天台宗の開祖。伝教大師。

空海(774年〜835年) 平安時代初期の僧で真言宗の開祖。弘法大師。

最澄の方が7歳年上で、空海よりも13年早く亡くなっています。

最澄も空海も、いずれ劣らぬ仏教史上の巨人で、お互いに競争意識もあり、それがまた日本における仏教の発展を大いに促したのは事実ですが、やはり2人は、最終的には並び立つことはありませんでした。ある時点で決別してしまったのです。

今回はその決別の経緯や事情などについて、ちょっとおしゃべりしたいと思います。このあたりのことは、天台宗、真言宗ともに、積極的にふれたくはないことでしょうから、あまり見かけることはありませんが、政治的な事情と共に、とても人間的な事情も含んでおりまして、私はかねてから関心を持っていました。

2人の僧は同じ時期の遣唐使船に乗って唐に派遣されたものの、実は2人の身分には大きな差がありました。その時点では、最澄の方が空海よりは、ずっと身分が上だったのです。

最澄は出発時点から、時の天皇、桓武天皇に大切にされていた高僧でした。スキャンダルにまみれた奈良仏教と決別して、ひとり叡山で修行していた最澄は、同じく奈良仏教の政治への介入を嫌い、平安遷都を断行した桓武天皇の同志でもあり、桓武天皇にとっては平安遷都の宗教的裏付けを助けてくれた僧侶だったのです。

ちなみに最澄が注目して興隆させようとしていた天台仏教は、当時、唐で栄えていた華厳仏教の一時代前の隋の時代に栄えた仏教でした。逆に奈良仏教は華厳仏教ですから、当時の唐で栄えていた仏教でした。ということは、最澄はあえて歴史の流れに逆らって、中国では一時代前に栄えた旧仏教に戻ろうとしたということになります。それはなぜなのでしょうか?

おそらく最澄は、聖徳太子の仏教の伝統を再興しようと考えたからだと思います。日本に仏教を取り入れた最重要人物であった聖徳太子は、とりわけ「法華経」を重要視しました。天台仏教は、その法華経を根本経典としていたのです。ですから最澄は、その天台の教えを信奉する教団を日本に作ろうと思ったのです。そしてそれを以て、桓武天皇と共に、平安遷都後の鎮護国家を実現しようとしたわけです。

こうした最澄は、通訳を兼ねた弟子の同行まで許されたエリートの「還学生(げんがくしょう)」として、唐に向かいました。一方、空海はそれまで山野を放浪する乞食僧のような生活を長い間続け、唐に向かう寸前に受戒を受けて正式の僧となった無名の僧でした。身分は「留学生(るがくしょう)」というものでした。

ちょっとここで言葉のご説明をさせていただきますね。現在でも使われている「留学生」という言葉は、当時は上記のように「るがくしょう」と呼ばれましたが、意味は現在とはかなり異なります。「留学生(るがくしょう)」とは、派遣された中国に留め置かれて、少なくとも20年間は日本に帰って来ることができない学生のことです。遣唐使の帰り船にすんなりと乗ることはできなかったのです。つまり異国に留め置かれて、置き去りにされる人のことを言います。当時の衛生状態や、航海技術を考えると、2度と故国に帰ることができない可能性が高かった人達です。

それに対して「還学生(げんがくしょう)」は、1年ほどで日本へ「還って(帰って)来ることが出来る学生のことです。無事に帰国すれば「入唐還学生(にっとうげんがくしょう)」として、エリートとしての活躍が保証されています。ですから、両者の意味はかなり違っていたのです。

「還学生」の最澄と、「留学生」の空海は、その身分は大いに異なっていましたが、こうして、804年5月に遣唐使船で日本を出発し、最澄はその翌年、805年7月に帰国しています。在唐期間は9ヶ月ほどでした。

一方の空海は、20年間の約束を破って、806年3月には長安を離れ帰国の途に着きました。2年足らずの唐滞在でした。

最澄は9ヶ月とはいえ、天台はもちろん、戒律、禅、密教などを必死に学び、それを持ち帰ってきましたが、いかんせん期間が短すぎました。真言密教を十分に学んで来ることはできなかったのです。最澄は後にそのことをずっと悔いることになります。

その一方、空海は2年足らずでしたが、極めて充実した時間を過ごし、真言密教の奥義を習得し、早くそれを日本に布教したいとの思いで、「留学生(るがくしょう)」として20年間以上唐に滞在するという約束を違えて帰国したのです。

実はこのあたりにも空海の幸運があったのですが、当時の唐では真言密教の全盛時代は終わっていました。唐の朝廷の一部には廃仏の動きすらあったようです。そんな中で、インドから唐に渡来していた密教の高僧、恵果は異国からやって来た空海の抜きん出た才能に着目し、密教の今後の発展を中国人僧侶にではなくて、日本から来た空海に託したのです。空海は恵果から、真言密教の奥義や秘法を唯一人授けられ、同時に多くの経典や仏具を集めて日本に持ち帰りました。

ところが帰国した空海が直面したのは「闕期(けっき)」の罪でした。なにせ20年間という約束で入唐したにもかかわらず2年足らずで帰国してしまったわけですから、期間不足=闕期だったわけです。朝廷もそれをどう扱ってよいのか迷い、空海はしばらくの間、太宰府に留め置かれ、すぐには京都への帰還を許されませんでした。

空海にとって幸運だったのは、ちょうどこの時期に天皇の交替があったことでした。最澄を重用した桓武天皇は806年4月に亡くなり、空海が帰国した時は次の平城天皇の時代でした。

京都への帰還ができなかったこの時期に空海が打った手は、「御請来目録(ごしょうらいもくろく)」の朝廷への提出でした。これは空海が唐から持ち帰った数々の経典や法具の目録に、堂々たる弁明書を付けたものでした。このような、これまで日本では見たこともないような仏教経典や仏具を持ち帰り、それを故国に広めようとしているのだから、闕期の罪は許されるべきだという空海の堂々たる主張です。

結局、空海は短期間で終わった平城天皇の次に即位した嵯峨天皇によって京都への帰還を許されたのみならず、真言密教の大発展を実現することになるのですが、そこにも大きな政治的な事情がありました。長くなりますので、そこいらあたりは、<その2> でおしゃべりさせていただきます。
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