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縁の下のバイオリン弾き
173 I can and I will
2020年5月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
去年の暮れのことだったと思う。私はデパートで特大のカップを買った。それには“I can and I will”と書いてあった。「なせばなる」ということだ。

このカップを買ったのにはわけがあった。新聞で「朝一番に1ℓの水を飲むのが健康法だ」という誰かの記事をよんで、店の棚にこのカップを見つけた時、自分もやってみようと思ったのだ。

家に帰って測ってみると、このカップには750㎖しか入らないことがわかった。でもそれでかまわない。朝これになみなみと水を汲んで飲み干す。そのあとでコーヒーだのお茶だのを飲めば1ℓに達するだろう。

750㎖を飲み干すというのは結構骨が折れる。だから一息に飲めない時は1日何度にも分けて飲む。忘れて飲まない日があっても気にしない。そうやって水を飲んでいると体に良いということが実感として感じられる。まず便通にいい。歯医者に行くと水分をよくとっていると言って褒められた(これは去年のことです)。見ればわかるのだそうだ。

七十を過ぎて今更そんなことを言われてもおもはゆい。これまでの人生、ずっと水不足の生活を送ってきたのだ、と改めて気づかされるからだ。

ところがこの二、三ヶ月、それどころではなくなってきた。新型コロナウイルスの流行で、水気が足りていようがいまいが命そのものを奪い去られる危険が迫ってきたのだ。

ご承知のようにアメリカはウイルスの流行がダントツで世界一である。死者は4月末で6万人を超えた。ロサンジェルスでは死亡原因の第一がウイルスだ。私の住むサンディエゴはロスから車で3時間ほどだから、うかうかしてはいられない。

日本でも緊急事態宣言やオリンピック中止で大変らしいけど、感染者数も死者数も他国と比べるとよほど低い。韓国は峠を越えて今はうまくやっているし、台湾やシンガポールに至っては模範的な管理をしているようだ。

この危機を経験して世界は確実に変わっていくだろう。たとえコロナウイルスの病勢がおさまって、人々が安穏に暮らせるようになったとしても、今までの行動原理ではやっていけないことは明らかだ。その時に日本をはじめとするアジアの国々が世界に貢献できることがあるのではないか。そこで、日本人としてアメリカにいて感じることを順不同で書いてみたい。

まずなんと言ってもアメリカ最大の理不尽は先進国の中でただ一つ、国民健康保険がないということだ。最後まで大統領選候補者競争に残ったバーニー・サンダース候補者は国民皆保険をキャンペーンの目玉にしていた。今回のウイルス禍によって、彼の主張は強力な説得力を持つかに見えたが、惜しくも資金不足で撤退を余儀なくされた。

なぜアメリカに国民皆保険がないか。それはアメリカ人の「社会主義」嫌いによる。本物の社会主義がどういうものか、彼らがわかって反対しているのではない。ともかくみんなで一斉に何かをやるということがもうほぼ本能的に嫌いなのである。そういうのは全体主義で、それはイコール社会主義だ、というわけで、実は「社会主義」は嫌いなことに仮につけられた名前に過ぎない。

隣のカナダではちゃんと機能している皆保険がアメリカでできないはずはない。ウイルス後のアメリカ社会でたぶん最も変化することがこの保険の課題だろう。


カリフォルニアでは「外に出る時には必ずマスクを」ということが強制力を伴った法律となった。しかしここに来るまでにはマスクの扱いが二転三転したのである。

もともとアメリカにはマスクをつけるという習慣がなかった。風邪の季節になると誰もがマスクをつける日本の社会は異様だと思われていた。そうして「マスクなんかで病気が防げるはずがない」ということが暗黙の了解だった。マスクを使うのは医療関係者だけだった。

最初のうちマスクをつけることは奨励どころか、積極的に反対さえされた。それもある意味当然で、マスクが極度に不足していたから、みんながマスクをしたら本当にマスクが必要な医療関係者に行き渡らない、という懸念があった。

N 95という高性能のマスク以外は役に立たないと言われた。普通の布のマスクなどではウイルスが繊維の間をすり抜けるから防禦の手段とはならないと信じられていた。日本で普遍的な「他人に迷惑をかけない」という観念はほとんどなかった。咳をする時には口を手で覆うのではなく、曲げたひじに向かってしろ、などと言われた。

要するにマスクも「全体主義」だと思われたのだ。今とはなんという違いだろう。本物のマスクが不足している現在、以前の冷笑はどこへやら、政府はなんでもいいから顔を覆え、と言い出し、ハンカチ、スカーフ、バンダナなど様々な代替物が使われている。病気の恐怖がついに根強い抵抗に打ち勝ったのだ。今や「役に立たない」などという者は一人もいなくなった。

握手もハグもできなくなった。これはアメリカ人にとっては(多様な出自のコミュニティーに関係なく)つらいことだ。そこでいろいろ握手に代わる珍妙な挨拶の方法が提唱された。最もおかしいのはひじを打ち合わせよう、というものだ。

そんなことをしなくても、日本流におじぎをすれば問題は解決するではないか。会釈だけでもいい。

「三銃士」のはじめに、主人公のダルタニャンに対して父親が、「国王陛下以外に、誰であろうと頭を下げてはならぬ」と訓戒する場面がある。西洋人はそれぐらい頭を下げたくないらしい。ではおじぎという習慣がまったくないのかといえば、芸能人は舞台で深々と頭を下げるのだから矛盾している。

おじぎは合理的な挨拶の習慣だと思う。顔の前で手を合わせるタイの習慣は美しいと思うけれど、両手がふさがっている時はどうするのだろう。

個人の家の中では靴を脱ぐ、という日本の習慣も、ついに市民権を得るのではないかと私は期待している。私だけではないと思うが、現在買い物から家に帰ってくると着物は全て洗濯機に投げ入れる。でも始終靴を洗うことはできない。誰のどんな唾液の飛沫がどこで降りかかっているかわかったものじゃない。その靴を履いて家の中を歩き回ったあげく、寝る前に手で靴ひもを解く、など危険極まる。

ひきこもり中だと日中はジャージー、夜はパジャマで毎日同じ格好で過ごす、という冗談とも悲鳴ともつかない記事を新聞で読んだが、それと同じように靴のあり方も変化するのではないか。すぐ脱げるような靴が売り出され、それが流行となって家の中では靴なしで生活できるようになってもらいたいものだ。


レストランも学校給食もなく、輸送もままならないから農作物が売れない。畑のキャベツやレタスをトラクターが潰してゆく。ミルクは日持ちしないからタンクからそのまま流して捨ててしまう。もったいないけど、この災害が起きる前からミルクの売り上げは落ちていた。ベジタリアンやビーガンが増えて、乳製品は売り上げが振るわなくなったのだ。すでにソイミルクやアーモンドミルクが売られている。ミルクのかわりとして私は海藻を推奨したい。ひじきなどは結構カルシウムがあるのだ。

サンディエゴに来た当初から私は海岸沖に昆布の大森林があることを知っていた。教室で「いつかこれを日本に送って大もうけするんだ」と冗談を言っていたものだ。しかし、日本に送らなくても、アメリカで食べられるようになる日が来るのではないだろうか。

アメリカは世界最大の大豆生産国だ。豆腐は優れた食品としてすでに一定の地位を占めているが、ぜひ納豆も食べさせたい。


これらは日本と比較できる物事だけれど、アメリカ独特、という現象もある。

何を血迷ったかトランプ大統領は4月末に移民許可を一時停止すると宣言した。コロナウイルスでアメリカ人が失業している中、移民にその仕事を奪わせてはならない、というのが口実だけど、このご時世、世界一のウイルス感染地たるアメリカに誰が移民などするものか。

以前にも書いたが、アメリカの農業における中南米(主にメキシコ)からの「不法移民」の存在は想像を絶する。政府の統計では農作業を担う者のほぼ半分を彼らがしめる。実は75%ぐらいだろうと言われている。だから彼らはアメリカになくてはならない働き手であるのに、徹底的に差別されている。大部分は官憲の目を恐れながらアメリカに定住して何十年にもなる、といった人たちだ。

ところが、今回のパンデミックで、もし彼らが働かなければ、アメリカの食料を確保できないことが明瞭になった。では「不法」のレッテルをはがすのか。いや、それはしないでおいて、別に彼らに「必要不可欠な人材」だという称号を与えた。そうしなければ、市民がスーパーに行っても、肉も野菜もまるでない、という窮地におちいってしまうのだ。

しかし貧しい彼らは農作業に出かけるためにトラックの荷台にすし詰めになる他はない。畑では政府が推奨する2メートルの対人距離を取れない。いやでも濃厚接触になってしまう。政府としては、自身の命令に背いてでも働いてもらうためのお墨付きとしてこの称号を与えたのだ。

また大半の不法移民は健康保険を持っていない。感染者数も多い。しかし時給700円程度でも収入がなくなれば生活は立ち行かない。つまり政府は弱みにつけこんで半強制的に彼らを働かせているのだ。一律13万円(今は10万円ぐらい)の援助金も彼らには渡されない。もっともカリフォルニア(だけ)ではその半分ぐらいが支給されるそうだけど。

その貢献がはじめて社会的に認識されたものの、そのためにかえって危険な環境に追いやられている、という矛盾が不法移民だ。これはもちろんアメリカ社会の不正だ。でもそれがあらわになったから、今度こそは疫病収束後の社会において、根本的な解決が期待できる、と私は思う。


コロナの犠牲者には黒人が多い。これはいうまでもなく黒人の貧困が関係している。しかし、どんな布でもいいから顔を隠せ、という命令がでた時点でその施策に黒人から反発が出た。ただでさえ疑いの目で見られることが多い黒人が、サングラスに覆面などしたら犯罪者扱いされるのは必定、というわけだ。

実際、警察によって逮捕、暴行、射殺される犯罪容疑者は黒人が圧倒的に多い。無抵抗の黒人が「銃を隠し持っていた」と難癖をつけられて射殺される、などという事件が後を絶たない。そのたびに黒人によるデモが起きる。その時に使われるスローガンが“Black Lives Matter.”だ。私はこれを日本語に直そうとしてはたと困ってしまう。「黒人の命は大切だ」ということなのだけど、それでは意味が通じない。命は誰にとっても大切で、別に黒人に限ったことではない。そんなの当たり前だ。しかし黒人には上述の事情があるから、もしその背後の感情を汲み取って訳そうと思えば「黒人の命だって大切だ」という、これまたそれだけでは舌足らずの不可解な表現になってしまう。それでも私の言いたいことは分かってもらえよう。マスクというウイルス対策の一つが人種差別の拡大鏡として作用してしまうのである。


もしウイルス禍が本当に収束すればの話だが、その後の社会にはより強く、より正しくなってもらいたい。I can and I willといきたいものである。

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