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縁の下のバイオリン弾き
157 オランダの絵
2019年1月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ パウルス・ポッテル「雄牛」(1647)
▲ キット(ポシェット)
去年11月に日本に帰った時は2週間に満たぬ短い間に十の展覧会を見た。そんなことができるほど、東京だけで大変な数の展覧会が催されていた。

その第一にフェルメール展があった。私はフェルメールの絵を愛することでは人後に落ちないつもりであるが、今回はフェルメール以外のオランダ画家の絵も一緒に展覧されるとあって、期待していた。しかしこの展覧会はあまりよくなかった。

よくなかったというのは私の個人的な感想で、他の人はどう見るか知らない。でも時間を区切って入場させるという一見親切そうな処置も実はありがた迷惑だったし、来場者に音声ガイドを押し付けるというのもそうやって高い入場料を取るための陰謀としか思えなかった。私とリンダは音声ガイドを断った。

最初の部屋々々ではフェルメール以外のオランダ画家の作品を見せ、御本尊は最後の部屋で見せる。ところが音声ガイドのためにこの部屋はお話にならない混雑 で、絵などろくに見ることができない。

私はたぶんそんなことだろうと思っていたので、それにはがっかりしなかったけれど、期待していた他の画家の絵にあまりいいのがないのに失望した。


私がオランダの絵に求めるものはまず第一に風景画である。ところがこれが少なかった。風景画に近いものはいくつかあったけれど、どうも本物とは言い難い。

なぜ風景画がそんなに大事かというと、風景画というものはそもそもオランダで発達したものだからだ。風景を描いた絵は別にオランダでなくても昔からあったけれど、それは大抵神話の舞台だったり、肖像画の背景だったりした。

レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザの背景はどうなっていますかと問われてすぐに答えられる人はそんなに多くないと思う。モナ・リザは世界一有名な肖像画だから、重要なのはもちろんモナ・リザその人であって、背景などは実はどうでもいいのだ。

絵を見てもらえば分かるけれど、モナ・リザはバルコニーに立っていて、その後ろにははるかに海を見はるかす山々の風景が描かれている。その描写のすごいこと、さすがダ・ヴィンチだと思わせるものがある。つまり彼の筆力をもってすれば風景画などはお茶の子さいさい、ということなのだ。

しかしこれは背景として描かれたもので、独立した風景画ではない。

風景を風景そのものとして描いた絵はオランダの風景画に始まる。なぜそういうことになったかということについては宗教が大きな役割を果たしたと私は思っている。フェルメール展と同時にルーベンス展を見たが、大画面に聖書から取った題材をこれでもかというほど描いている。ほとんど同時代といっていいのにこれだけの違いがあるのは、ルーベンスの住んだフランドル(今のベルギーの一部)はカトリックであるのに、オランダは新教の国だったからだ。

オランダ絵画に特徴的な画材として教会の内部を描いたものがあるが、絵らしいものは全然飾ってない。カトリックの教会とはなんたる違いだろう。だから自然を背景にして聖者だの天使だのが見えを切っているような絵は描かれなかったわけだ。

その代わりに風景そのものが主人公の絵が描かれた。オランダという国は海を埋め立てて作った国土が多いから真っ平らで、その地平線また水平線を低く取り、空を大きく描いた絵が発達した。

私がひかれたのはこういう風景画だ。というのは何より自分自身が水彩で風景を描いていたからで、空と雲の表現に魅了された。

それともう一つ、私はオランダの画家たちを身近に感ずることのできる事実を発見した。

オランダは16世紀の初めからスペインに属していた。なぜオランダがスペイン領なのか、ということが私には長いこと謎だった。スペインの近くならともかく、オランダはヨーロッパの北の方で、スペインとは距離があるだけでなく、宗教でもカトリックとプロテスタントに分かれている。

2008年にスペインに行ったとき、マドリッドのプラド美術館にオランダ美術がほとんどないのに驚いた。けれどそれはオランダが独立戦争を戦っていて、スペインと敵対していたからなのだ。

その後だんだんわかったことは、スペインの王家はオーストリアのハプスブルグ家の分家だった、ということだ。オーストリアから分れた時、神聖ローマ帝国の北のほうの領土、つまりオランダを属領にしたのであった。

オランダは80年戦争といって、独立を目指してスペインと戦った。最終的に独立を勝ち取ったのは1648年である。

ここで急に話は飛ぶのだけど、中国で中国人の王朝である明が満州族の王朝である清に攻められて滅びたのは1644年だ。私は突然、自分が好きなオランダの画家たちが、明末清初の人間だということに気がついたのだった。そう思うとなんとなく理解が深まるような気がした。

私は長い中国の歴史の中でも明末清初に特に興味がある。それは前朝の遺臣となって忠義を立て貫くべきか、野蛮人の新王朝に仕えて日頃の抱負を実践するべきか、という対立にドラマがあるからだ。


東洋史家の宮崎市定はオランダで風景画が突然現れたのは中国の絵画の影響ではないかという意見を述べている。なるほど、中国で山水画という名前の風景画が現れたのはオランダよりずっと早い。

その反対にカリフォルニア大学の美術史家ジェイムズ・ケイヒルはオランダの絵画が銅版画によって中国に渡り、明時代の山水画に影響を与えたに違いないといっている。

双方とも当時の東西交流のあり方からいってこのような推測も成り立つと論じている。私は半信半疑だけど、でもそういう見方が成り立つというのは面白いと思う。

この時代のオランダの食卓を描いた絵を見ると、ほとんどと言っていいほど明の磁器が描かれている。高価で見事なものだから描かれたには違いないが、交流があったことの証拠でもある。


風景画に次いで私が興味があるのは風俗画だ。これはフェルメールがいい例で、彼の風景画はデルフトの景色が一点あるだけだ。その代わり、当時の人々がどのような生活をしていたか、ということが焦点になっている絵を描いた。

私は普通の人とは全く違う観点からフェルメールに興味を持った。以前書いたことがあるけれど(本稿51回「それにつけても」)、当時ヨーロッパ全土でシターンという楽器が流行していた。私はこの楽器の実物を見たことは一、二度しかないのだけど、その形の優美さにまいっていて、いつか自分で弾いてみたいと思っていた。

それがフェルメールの絵の中では私が数えただけで5点描かれている。当時シターンより主流楽器だったリュート、ギター、バージナル(ピアノの先祖)などが 1点や2点しか描かれていないのに比べると大変な厚遇だと言わなければならない(「恋文」という絵に描かれた楽器は日本では大抵「リュート」とされているがあれはシターンだ。リュートは日本でいう琵琶で、シターンとは形が違う)。

いかにシターンが流行していたかを如実に示すものだけれど、シターンだけではなく、 またフェルメールだけではなく、オランダ風俗画には音楽を主題にした絵が山ほどある。

私はもちろんバイオリンに興味がある。居酒屋でバイオリン、バグパイプ、フルートの合奏をしている男たち、というのが典型的な画材であるが、中には村の広場で踊る男女の音楽を弾いているフィドル奏者、というのもある。

これらは普通のバイオリンだけど、まれに思いがけない物を見ることがある。キットまたはポシェットというバイオリンだ。これは一名「ダンス教師のフィドル」といい、普通のバイオリンでは大きすぎて携帯に不便なために、超小型に作られている。ダンスを教える教師は音色などはどうでもよい、リズムだけとれればいいという訳でこれをポケットに入れて持ち運び、踊る生徒の伴奏をしたのだ(ポシェットはフランス語でポケットのこと。キットはポケットの訛りだという解釈がある)。こういう絵を見つけると私は狂喜してノートに記録を取るのだけど、なんでそんなことをしなければならないのか、自分でもよくわからない。

こういう風に当時の普通の人の生活が表されているのがオランダ風俗画の特徴だ。リュートやギターを弾く王侯貴族お抱えの楽師ではなく、シターンやフィドルを弾いて自分たちが楽しんでいる庶民の生活を描いている。架空の英雄豪傑はおよびでないのだ。

スペインはそれまで世界一の大国だった。しかし、1588年にイギリスに無敵艦隊を敗退させられたのがケチのつき始めで、だんだんに斜陽の帝国になっていく。それに引き換え、貿易でヨーロッパ一の強国に成り上がったオランダは自信に満ちている。自信があるから普通の人間の普通の行動を絵に描いて楽しむゆとりがあるのだ。


静物画もオランダではじまった。本稿15回、「おらんだ正月」に掲げた絵を見てください。私はオランダの静物画に現れるレモンを問題にしたのであるが、レモンは見かけは良いけれど中は酸っぱいので、これには人生のはかなさを教える教訓的な意味があるのだ、という説がある。

「Vanitas(虚栄)」という画題があり、たいてい骸骨とか時計とかが絵の中に描かれている。骸骨は人間なんて一皮むけばみんなこうなんだよ、という意味だし、時計は時の流れの速さを象徴する。私はそれを否定するものではない。そういう趣旨で描かれた絵も確かに存在する。でもみんながみんなそうだとは思わない。

むしろ、豪華な食卓に置かれたレモンは画家にとっては一種の踏み絵なのだと思う。表向きは、こんなうまそうなものがいくらあったって、所詮は夢うたかた、というテーマを掲げているように見えるけれど、実は画家はそのうまそうなものが描きたくてたまらないのだ。だからこれを描いたのだ、と私は推察する。単に言い訳に使われるだけでなく、半むきにされたレモンは描くのが難しいから、画家の腕の見せ所なのでもある。


明治の初年にアメリカとヨーロッパに行った通称岩倉使節団はオランダにも行っている。その記録である「米欧回覧実記」を見ると、ハーグで、マウリッツハイスのことだと思うが美術館に行って、

『欧州に高名なる「ボットル」氏の、柳陰に牛羊を牧する図、「レンブランド」氏の人体を解剖する図の如き、皆この院にあり、ナポレオン第一世の欧州を席巻せる時、各国の珍宝を集めしに、この牧羊の図は、欧州第二の名画なりとの鑑定となりしをもって、40万フランにて買い取らんとせしに、蘭人与えざりしとなり』

と書いている。その絵が大画面であることを述べているから、これはパウルス・ポッテル(1625−1654)の「雄牛」に違いない。19世紀フランスの画家ウジェーヌ・フロマンタンが著書の「昔日の巨匠たち」(1876)の中で特に一章をさいて絶賛している絵だ。

ナポレオンが40万フランで買いたいと言ったのに、オランダ人は売らなかった、という話をわざわざ書いているのは、多分この記事の筆者には、なぜこれが「名画」なのかわからなかったからだと思う。どこがいいのかわからない絵を値段でおどかすのは今でもよくやる手だ。

実をいうと私にもわからない。でもその時の岩倉具視だの大久保利通だのがわかったような、わからないような顔をして「名画」を鑑賞しているところを想像するとおかしくてならない。



注) シターンの演奏です。

https://youtu.be/KrUIL7DIAlM
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