1989年創立 個の出会いと交流の場 研究会インフォネット
HOME 研究会インフォネットとは 会員規約 お問い合わせ
会員専用ページ
過去のINFONET REPORT カレンダー 会員連載エッセイ なんでも掲示板
会員紹介 財務報告
会員連載エッセイ
最近の記事 以前の記事
縁の下のバイオリン弾き
142 黒い雨
2017年10月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 広重「大はしあたけの夕立」1857
▲ ゴッホの模写 1887
▲ ギュスターヴ・カイユボット「パリの通り、雨」 1877


これはゴッホ(1853−1890)が広重(1797−1858)の浮世絵をまねして描いたものだ。私はこの絵が西洋で雨を線であらわした最初の油絵ではないかと思っている。

それとの対比でここにのせたギュスターブ・カイユボット(1848−1894)の大作は雨の降るパリの町を描いたものだ。人々が傘をさしているから、雨の情景だということはわかるのだが、雨そのものは描かれていない。

これはどうしてかというと、西洋画では雨を表現することが原則としてできないからだ。我々日本人は雨を線ととらえることになんの違和感もないが、よくよく考えてみると雨は線ではない。雨は一滴の水であって、それが落ちてくるスピードが速いから、連続して線に見えるにすぎない。静止したたくさんの画像を速いスピードで写すと映画になるようなものだ。実際に雨のしずくが落ちてくるところを拡大した写真をみると、水滴は丸い玉で、いわゆる「涙型」ですらない。

もし雨が落ちてくる一瞬をとらえてその雨滴をえがいたら、全画面が水玉模様になってしまって絵になりようがない。かといって降ってくる雨を白い線として表現することは要するに漫画であって、絵画としてご都合主義だと批判されることになる。

第一、全空間に落ちてくる雨をいったい何本の線であらわせばよいというのか。激しい雨は線の数を多く、さみだれは少なく描けばよいのか。雨が降ってくると駆け出す人がいるが、そうやっても雨から逃げ切れるはずがない。

台風を描いたら画面は白一色になってしまわないか。

高校時代、美術の教師が言ったことがいまでも頭に残っている。石膏像のデッサンをしているときに、「自然には線というものはないんだ。よく見てみろ。どこに線がある。石膏像の白い面が周囲の暗い色の中で浮き上がってくるから、そこに線があるように思われるだけだ。ものはマス(かたまり)としてとらえられなければならない。線をひいて終わりというのでは自然を写したことにはならない」

だいたいそういったことだったと思う。これが西洋画の思想だ。ところがその主張に忠実に従うと、雨は描けないことになってしまう。そうでしょう。

だからカイユボッットは雨をえがかなかったのだ。ゴッホは日本に傾倒していたから、何の苦もなく雨を線であらわした広重の浮世絵を見て、自分たちが従来考えてきたことからは想像もできない新しい表現だと思ったにちがいない。だから模写する気になったのだろう。それに気がついたゴッホは天才だと思う。

どうして広重は雨を線で表すことができたのか。私はそこに東洋と西洋の美術観のちがいがあらわれていると考える。

西洋の絵画にはペインティングとドローイング(デッサン)の二つの種類がある。日本では前者を絵といい、後者を素描という。私が「西洋の絵では雨が描けない」といったのはペインティングのことだ。

ペインティングは絵の具を使った絵だ。西洋絵画では実際問題としてこれは油絵であることが多い。そしてこれが絵画の本道だと思われている。美術館に行けば、特別の展覧でないかぎり、壁にかかっているのは油絵だ。

それに対してドローイングは鉛筆、木炭、インクなどを使った単色画だ。これらは絵の具を使った最終作品の下絵であることが多い。たとえそうでなくてドローイングそのものが最終作品だったとしても、一般にドローイングは絵の格としてペインティングよりは劣るとされる。素描の「素」という字は簡素の素であり、素人(しろうと)の素であり、素朴の素だ。単に「白」という意味でもある。つまり白黒の簡単な絵だ、という意味だ。

その中間に位置づけられるものとして水彩にペンとインクで線を入れたものがある。そういう絵でも分類はドローイングだ。またパステルを使って油絵とみちがえるばかりに極彩色で描かれ、線なんかない絵もある。驚いたことにパステル自体が線を引く画材だという理由で、これもドローイングだとされる。

ドローイングで雨を描いた絵があるだろうか。あるのかもしれないが、私には思いつかない。雨を表すことはできない、というペインティングのきまりがドローイングにも影響しているのだと思う。

線のない自然を表現するのには色彩が不可欠だ。色が違えばおのずから領域が分かれるから、線を使う必要がない。光の表現も単色画よりははるかに複雑なトーンを出せるから、マスをあらわすのにより適しているということができる。

それに対してドローイングではグレーの度合いによって濃淡をあらわすことができるものの、線はほとんど不可欠の要素だといっていい。そもそも線を引くことをdrawというのだから、ドローイングが線を使った絵であることは自明のことだ。

西洋画を語る中でそのことを論ずるのになにも問題はないけれど、ひとたびこれを異文化の芸術に適応させようとするとそこには大きな困難がある。

たとえば中国の芸術だ。中国絵画の最高峰とされる山水画は原則として墨一色で白い紙、あるいは絹に描かれる。線が生命だ。太さも濃淡もちがう線ですべてをあらわす。色はないけれどもこれを素描とみなすことはだれにもできないから、西洋でも山水画はペインティングとしてあつかわれる。

われわれ日本人にとって、色がないからといって、線が大事だからといって、絵として格がさがるというのはとても受け入れられることではない。

色を使った絵でも中国の絵は線を重視する。花鳥画や肖像画は彩色するのがふつうだけど、それでも線がある。というか、線のない絵のほうが中国の絵としては異常なのである。これは花の絵に多いのだが、彩色した、線のない、要するに西洋画のような絵も存在する。それらは「没骨画」(もっこつが)と呼ばれる。骨のない絵という意味だ。わざわざ名前がつけられるほど特殊な描き方だと思われているのだ。

日本の絵画は中国の芸術思想をうけついでいるからもちろん線を重視する。床の間の鯉の滝登りだって、歌舞伎座の看板だって、線がなかったらはじまらない。

装飾的な絵画、たとえば琳派のふすま絵とか屏風とかでは、笹などの緑の葉一枚一枚の輪郭(りんかく)が墨ではなく、金泥で描かれることがある。つまりそれだけ線を強調しているのだ。それぐらい線は大事なのだ。

自然には金の線などはない。これが意味しているのは中国や日本の絵は写実ではない、ということだ。

たとえば柿右衛門のつぼがあるとする。花が描かれている。葉っぱには黒で葉脈がすっすっと入っている。これはこうすることによって、「葉っぱですよ」といっているのだ。いわば約束なのである。伝統的な西洋絵画ではちゃんと目に見えなければそんなことはしない。

西洋画では背景は精密にえがかれ、彩色されている。だからこそ事物を線であらわす必要がないのだ。しかし中国・日本の絵では背景に何もえがかれていないことが多い。その空間は「余白」と呼ばれ、その扱いこそが絵の価値を決める要素のひとつだ。その空間から浮かび上がらせるために線が不可欠になる。

広重は浮世絵画家だから絵の対象の向こうにに背景を描くのはあたりまえだった。それでも線を手放すことはしなかった。

広重がこのような黒い線で雨をあらわしたのは、日本人にはなんの不思議もないが、西洋人にしてみたら意表をつく表現ではなかっただろうか。

私はその背後に「挿絵(さしえ)としての木版画」の長い歴史を想像する。江戸時代、最初の浮世絵は単色画だった。色のない、白と黒の世界だ。それがすぐに色彩をもつようになり、単純なものから絢爛(けんらん)たる錦絵に発展した。

しかし本の挿絵はおなじ木版であるとはいえ、ずっと単色画だった。江戸時代には旅行案内の役目をはたした「名所図会」(めいしょずえ)と呼ばれる絵入りの本が大量に出版された。その挿絵は名所の風景をうつしたもので、ほとんどすべて単色だ。

白と黒であらわす世界において、画家が雨を表わそうとしたらそれは黒い線になるほかはない。 私は江戸時代に出版された木版画の挿絵について調べたことがある。大量の挿絵を見たが、雨があらわれるときはかならず黒い線だった。

単色画で黒い雨を見慣れた当時の人々が、極彩色の浮世絵にも黒い雨があらわれるのを受け入れたのになんの不思議もない。

しかし西洋の感覚では雨は黒ではなかっただろう。水だからむしろ白いと受け止められるのではないだろうか。

雨は描かなかったかもしれないが、西洋の画家は海の絵はたくさん描いた。波がしらや波のしぶきはいくらでも見ることができる。それらはたいてい白く描かれる。白いのは光の反射を表しているからだ。

しかし雨天のときは原則として太陽はない。したがって雨を白く描くことは真実をゆがめてしまう。日本の黒い雨はその点でも道理にかなっている。


それなら中国の木版画はどうだったろう。木版の技術はもともと中国から来たもので、本の挿絵も木版だった。

しかし私は中国の木版画(挿絵が主なもの)で雨を線であらわしたものを見たことがない。それはなぜかというと、木版の技術が中国では日本のように高度な発達をとげなかったからだ。

日本の木版の技術は疑いもなく世界最高だ。浮世絵の美人画の髪の毛の表現をみるがよい。あんな細い線を木版で表すことができるのだもの、雨の線などはお茶の子さいさいだ(本稿第60回「爪紅」の歌麿の絵をご参照ください)。日本人以外にあんな技術を持ち得た民族はいなかったと思う。


ゴッホのこの絵にしてからが、雨の線は太かったり細かったり、曲がっていたりして本家の表現には遠く及ばない。

しかし彼が浮世絵から学んだ最大のものはこの線の活用にあるといってよい。

ゴッホは多作で知られる。全部で900作ぐらいあるそうだ。ふつうの画家(西洋の画家)はそんなにたくさんの絵を描くことはできない。しかも、37歳で自殺してしまったのに。

かれはまたペインティングにもまして多くの素描を残している。たいていはペンとインクの素描だ。線で絵を描くことは得意だっただろう。

もしゴッホがそれまでの西洋の画家と同じく、ペインティングには線は使えないと信じて、モネやルノアールのような絵を描いたとしたら、かれの画業はずいぶんとちがったものになったはずだ。

線を自覚的に重大な要素として活用したからこそ、あのような絵が描けたのだ。 短い生涯で大量の作品を残すことができたのも、 内面を表現するのに不可欠だった「線」の貢献が大きかったと私は信じている。
最近の記事 ページトップへ 以前の記事
ボーダーを越えて
雨宮 和子
かくてありけり
沼田 清
葉山日記
中山 俊明
寄り道まわり道
吉田 美智枝
NEW
僕の偏見紀行
時津 寿之
ぴくせる日記
橋場 恵梨香
縁の下のバイオリン弾き
西村 万里
やもめ日記
シーラ・ジョンソン
徒然.... in California
明子・ミーダー
きょう一日を穏やかに
永島 さくら
ガルテン〜私の庭物語
原田 美佳
バックナンバー一覧
144 「外国人」
143 微妙なたわみ
142 黒い雨
141 ベーコン
140 根付
139 プリーズ
138 キャベツあれこれ
137 スピリチュアル
136 柿と卵焼き
135 移動と定住
134 ベジタリアン
133 王女と真珠
132 七人
131 イディオムということ
130 平等
129
128 名誉殺人
127 ラフカディオ・ハーンのこと
126 楽器
125 ビスケット
124 動物
123 アイヌ
122 ヘクター・ザ・ヒーロー
121 レッツ・リヴ・ア・リトル
120 果実の皮
119 コンニャク問答
118 安岡力也の生涯
117 事実は小説より奇なり
116 レイルウェイマン
115 火を起こす
114 ふし穴
113 ジュリー・デューティー
112 目玉焼き
111 歌に歌われる
110 組織
109 人種差別
108 丸い足
107 宗教と女性
106 ディーベンコーン
105 神の味噌汁(みそしる)
104 健さんと平戸
103 バグパイプ考
102 ないです
101 聖地
100 マッカンチーズ
99 再造の恩(2)
98 再造(さいぞう)の恩(1)
97 行水
96 かまわぬ
95 本場もの
94 グーリックさんのこと
93 ケセラセラ
92 日本人の肖像
91 センス・オブ・ワンダー
90 カティ・フラードのこと
89 屋根瓦(やねがわら)
88 一人っ子政策
87 文化の違い
86 干し野菜
85 恐れを知らないギター
84 銀シャリ
83 ターナー
82 デリシャス
81 モハメッド・アリの大勝負
80 ハンマーダルシマー
79 白無常(はくむじょう)
78 アメリカいれずみ事情
77
76 ひつじ
75 ひげにまつわる話
74 ぐちゃぐちゃ
73 宗教の周辺(2)ヘズース
72 宗教の周辺(1)翼と銃
71 となりの芝生
70 ピンピンパンパン
69 帯とバックル
68 レ・ミゼラブル
67 テーブルマナー
66 朝の穀物
65 二人松浦
64 好きこそものの上手なれ
63 パイについて
62 Xのこと
61 琴棋書画(きんきしょが)
60 爪紅(つまべに)
59 絵に描いた餅(もち)
58 ブレーキ
57 シャーロック・ホームズとカレー
56 ポール・マッカートニー
55 野蛮な茶
54 パサディナ
53 複数たち
52 玉米(ぎょくまい)
51 それにつけても
50 はしとさじ
49 ローズバーグ
48 ジャカランダ
47 サンドイッチの話(2)「O.J.シンプソンとハンバーガー」
46 バンジョー
45 ジャージー・リリー
44 工夫
43 かゆのいろいろ
42 ホイットニー・ヒューストンと「ボディガード」
41 イニシャルについて
40 無用の人
39 具眼の士
38 天使も踏むをおそれるところ
37 ビスカイーノ
36 サンドイッチの話(1)「センス・オブ・プロポーション」
35 パトリシア・ハイスミス
34 茶飲み話
33 柴五郎とジョニー・ビーハン
32 戦場のゴムぞうり
31 やきもの
30 記憶としての絵
29 アイリッシュ・ミュージック
28 乳と蜜の流れる土地
27 レディ・ハミルトン
26 Mto.
25 『チャイナタウン」
24 ドライ・ランチ
23 プリンス談義
22 帽子の話(3)「新撰組」
21 アメリカの大学から
20 帽子の話(2)「衣冠を正す」
19 帽子の話(1)「男はつらいよ」
18 マイ・バレンタイン
17 理想
16 ビリー・ザ・キッドの恩赦
15 おらんだ正月
14 シャーベット(下)
13 シャーベット(上)
12 カナダロッキーへの旅―最終回
11 カナダロッキーへの旅―11
10 カナダロッキーへの旅―10
9 カナダロッキーへの旅―9
8 カナダロッキーへの旅―8
7 カナダロッキーへの旅―7
6 カナダロッキーへの旅―6
5 カナダロッキーへの旅―5
4 カナダロッキーへの旅―4
3 カナダロッキーへの旅―3
2 カナダロッキーへの旅―2
1 カナダロッキーへの旅―1
ページトップへ
Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved. Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等、全てのコンテンツの無断転載・複写を禁じます。
0 7 7 8 3 3 3 5
昨日の訪問者数0 4 3 3 3 本日の現在までの訪問者数0 4 5 6 0