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縁の下のバイオリン弾き
187 芸術家と外国
2022年7月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ Portrait of Lady Dorothy Dacre (from Wikimedia)

ベンベルグ・コレクションのヴァン・ダイクの肖像画。サテンの服の表現に注目してください。

先日、サンディエゴ市内のバルボア公園にあるサンディエゴ美術館で、「クラナッハからカナレットまで」という展覧を見た。「ベンベルグ・コレクションの傑作」という副題がついている通り、これはアルゼンチン出身ではあるが、フランスで財を成したジョルジュ・ベンベルグという人のコレクションだ。本拠はトゥールーズにある。

その中にアンソニー・ヴァン・ダイク(1599−1641)の肖像画が一枚あった。ヴァン・ダイクはフランドルのアントワープの出身だ。現在の国名でいえばベルギーだが、当時はスペイン領ネーデルランドだった。しかし故国よりも主に英国で活躍した。そのために彼はもっぱらヴァン・ダイクと英語読みで呼ばれるようになった。

若い時から才能をあらわしたが、30歳過ぎから英国国王に招かれて宮廷画家となり、42歳の若さで死ぬまで英国にとどまった。彼が英国に残した影響は大きく、後の画家がみんなヴァン・ダイクをまねしたので、本物の偉大な英国人の画家が育たなかった、と嘆かれるぐらいだった。

彼のように自国でよりも外国で成功した芸術家に私は興味がある。それはもちろん私が外国に住んでいるからだ。けれども、それよりもヴァン・ダイクのように卓越した技術と感性を持った画家ならば、別に外国に行かなくてもよかったのではないか、自国にいてこそ自身の芸術の大成を期待できたのではないかと思わざるを得ないからだ。

ヴァン・ダイクはルーベンス(1577−1640)の弟子で、弟子の中でも先生にもっとも認められた存在だった。ルーベンスより少し遅れて隣国オランダはレンブラント(1606−1669)やフェルメール(1632−1675)など、黄金時代の画家を輩出した。それに比べて、英国は美術では後進国で、英国人で名のある画家は当時いなかった。だから、いくら高給を約束されてもそんなところに腰を落ち着けて絵を描き続けることに不満はなかったのだろうか、というのが私の疑問だ。


2年前にイタリアのフィレンツェに行ったときにそこの美術館の一つで見たものに「ピサに勝利したフィレンツェ」という大きな彫刻があった。これは1406年にピサ(あの「ピサの斜塔」があるピサです)を征服したフィレンツェ市を表しているのだけど、その彫像ではフィレンツェは美しい女神の姿で、鎖に繋がれてうずくまっている捕虜を片足で押さえている。この男がピサである。都市間のあまりの競争意識に思わず笑ってしまった。

この彫像を作ったのが、少し時代はさかのぼるが、ヴァン・ダイクと同じフランドル人のジャンボローニャ(1529−1608)だ。変な名前だけど、フランス語でジャン・ド・ブーローニュという名前だったのがなまったのだ、ということだ。この人は30歳ぐらいの時にイタリアに移り住んだ。初めローマで研究し、ミケランジェロの彫刻などを熱心に学んだが、しばらくしてフィレンツェに移り、79歳の長寿を全うした。

もともと外国人だったのにイタリアに来て尊敬される彫刻の大家になった。ずっとフィレンツェにいたのは、フィレンツェの支配者であるメディチ家が彼が他国に行くのを恐れ、フィレンツェから一歩も出さなかったからだそうだ。その厚遇ぶりはヴァン・ダイクの場合とよく似ている。もっともイタリアと英国では美術的には天地の差がある。ジャンボローニャは満足だったに違いない。

ジャンボローニャの名前も知らなかったのであるが、「メルクリウス像」とか「サビーネの略奪」とかの彫像を見て思い出した。これらの彫像の写真を私は確かに中学高校の美術の教科書で見た覚えがある。他にも色々な彫刻を見た。どれも大したものだと思う。


外国で有名になった絵描きとしてエル・グレコ(1541−1614)を忘れてはならないだろう。エル・グレコとは「ギリシャ人」という意味のイタリア語のあだ名である。エルの方はスペイン語なんだけど、スペイン語ではギリシャ人はエル・グリエゴでなければならない。比較的短時間しか住まなかったイタリアですでにあだ名がついていて、それが一生ついて回ったに違いない。彼はイタリアの後、スペインに移って、トレドに住んだ。

本名はドメニコス・ テオトコプロスというのだけど、そして彼は全作品にこの本名を、しかもギリシャ文字で署名しているというのに、誰にも覚えてもらえなくて、いまだにエル・グレコで通っている。ギリシャ人とはいうものの、彼はギリシャ本国の出身ではなく、クレタ島の生まれだ。

エル・グレコの作風は全く独特なもので、一眼で彼の筆だとわかる。宗教画が圧倒的に多いのだけれど、ひどく痩せた、均整の取れていない体つきの登場人物がぐしゃぐしゃと現れる。ああいうのを見て宗教的な、崇高な気持ちになれるだろうとは私には思えない。けれども宗教だと思わなければ、あんな昔によくこれだけの奇想天外な絵を描けたものだと感心する。

彼の絵はスペインに旅行した時にプラド美術館でたくさん見た。それまでの生涯で見ることができたエル・グレコよりもずっと多くの絵をみることができた。けれど、その数の多さが災いして、あまり印象に残らなかった。私が今まで見たエル・グレコで一番よかったのはシカゴ美術館にある聖母昇天の図である。聖母が三日月に乗っている。これはヨーロッパがトルコとの戦いに勝ったレパントの海戦を、つまりキリスト教がイスラムに勝ったということを記念しているとどこかで読んだと思うのだが、この絵は1577年の制作だ。レパントの海戦は1571年だから6年後で、ちょっと早すぎるのではないかと思う。

なぜエル・グレコがスペインに住んだのかわからない。そうは言っても私はエル・グレコ以外のギリシャの画家を一人も知らない。故郷を出て、外国に移り住んだために才能を開花することができ、後世に名を残したのだと思う。


ゴッホやピカソなど、フランスを芸術家の祖国と感じて外国から移住した画家は多い。その中に日本人の藤田嗣治(ふじたつぐはる、1886−1968)がいた。私は少年の時に藤田の日常を映した映画をテレビで見たことがある。フランス国籍をとって、レオナール・フジタと名まで変えた人だから、さぞ西洋化しているに違いないと私は思っていた。しかし画面に映る藤田はそうではなかった。お茶漬けや漬物を食べ、浪花節のような鼻歌を歌っているのだけど、中に「わたしゃやっぱり日本人〜」という文句が入っていてびっくりした。後年私自身がそんな生活を送るようになるだろうとは夢にも思わず、そうか、外国にいても日本人であることはやめられないんだなあ、と思った。藤田の絵はよく知っていたけれど、それからは彼の絵が好きになった。

藤田がフランス国籍をとったのは、第二次世界大戦の時に一時日本に帰って戦意高揚のためにたくさん戦争画を描いた、それが戦いに敗れてみると日本人から大変攻撃された、それで愛想をつかしたのだ、と読んだことがある。私はそれら戦争画を見る機会があった。日本のどこかの百貨店でその展覧をやっていた。彼はお国のためにと一生懸命描いたに違いないが、そしてそれらの絵は結構が整った、戦意高揚画としては役に立つものだったかもしれないが、芸術としては紙芝居のようなものだった。私は彼がかわいそうになった。


「外国へ行った芸術家」の最後に私はポール・ゴーギャン(1848−1903)を加えたい。彼は盟友だったゴッホと違ってフランス人だったけれど、幼少のときペルーで暮らし、成人後は船員として世界中を回ったので、同時代のフランス人より遥かに異国に対して開かれた態度を持っていた。

彼がタヒチをはじめとする「未開」の島々に渡ったのは晩年の10年余りだった。55歳で亡くなったゴーギャンにとってこの10年余りこそ全精力をつぎこんだ正念場だった。彼の栄光も苦悩もその中にある。

今から四半世紀前、私は横浜のランドマークホールで「サンパウロ美術館名品展」を見た。そして圧倒されてしまった。サンパウロなんてブラジルの都市に、こんな素晴らしいコレクションがあるのを全く知らなかったけど、「奇跡の美術館」と呼ばれているというのも道理だと思う。

ルネッサンスから、ヴァン・ダイクから、ターナーやゴヤ、ゴッホまでなんでも揃っている。その中で私が最高傑作と思ったのがゴーギャンの自画像だった。これには「ゴルゴタの近くにて」という副題がついており、暗い背景に白い服を着た自身の肖像は、明らかにキリストと自分を重ねている。これを見ると苦闘の末に敗北を認めざるを得ないところまで追い詰められたゴーギャンの悲しみが切々と伝わってくる。


ここまで書いたのは画家の話だけれど、音楽家はどうだろうか。ショパン(1810−1849)がポーランド生まれだったのはよく知られている。けれど、パリで活躍することは音楽家として本望だっただろう。

「メサイア」で有名なゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル(1685−1759)がドイツを離れ、イギリスで大成したのもよく知られている。夏目漱石はこう書いている。「ハンデルはドイツ人であるけれども英人は自国に関係深き点に重きを置いて、この音楽家を英国人とみなしている。ヘンデルといわずしてハンデルと呼ぶのもこれがためである」(「文学評論」)。死後ウェストミンスター寺院に葬られた。
生涯「ギリシャ人」だったエル・グレコとはなんたる違いだろうか。


実は私がこの稿を書こうと思ったのは二人のバロックの作曲家兼演奏家の経歴を知ったからだった。ひとりはピエトロ・アントニオ・ロカテッリ(1695−1764)、もうひとりはルイジ・ボッケリーニ(1743−1805)だ。二人ともイタリア人なのに、ロカテッリは34歳の時にアムステルダムに移住した。ボッケリーニは26歳の時にスペイン宮廷に招かれ、マドリッドに移住した。二人ともそのまま移住先で客死している。

ボッケリーニは(通称)「ボッケリーニのメヌエット」という曲でよく知られている。ご存知ない方はYouTubeでお聴きになってください。「ああ、あれか」とピンとくるでしょう。

私は無論のこと17世紀や18世紀のヨーロッパの音楽について何かを知っているわけではない。でも、アムステルダムやマドリッドが音楽的にローマやパリより優れていたとはちょっと考えにくい。何が彼らをこれらの都会に誘ったのであろうか。単に収入のためだったのだろうか。どんな理由であれ、彼らは移住先でバイオリンやチェロを弾きながら、故郷の空に想いを馳せたに違いないと思う。



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