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六義園のテーマあれこれ |
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2020年10月25日 |
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 | 原田 美佳 [はらだ みか]
東京都出身。学生時代から長年関わった韓国文化院を2015年末に退職。現在は、日本ガルテン協会の広報部長の仕事をしながら、これまで関わってきた韓国文化を日本に紹介するための著作、交流活動を中心に自分のライフワークを模索中である。共著書に『コンパクト韓国』(李御寧監修)、『読んで旅する韓国』(金両基監修)、「朝鮮の王朝の美」、『朝鮮王朝の衣装と装身具』などがある。 |
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▲ 六義園入口 染井門
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▲ 霊元天皇から贈られた和歌の石碑「新脩六義園碑」
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▲ 中の島 「いもせ山 中に生(おひ)たる 玉ざゝの 一夜(ひとよ)のへだて さもぞ露けき」 |
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六義園をテーマに1時間ほどで話しするのに切り口、テーマを何にするかで大論議となった。 和歌三神から古今・新古今和歌集と続く和歌の庭、柳沢吉保と江戸文化をあれほど発展させた政策と庭、綱吉や桂昌院をはじめとするおもてなしの庭…で、改めてもう一度、六義園に行ってみた。 ちなみに六義園は、駒込駅から徒歩2−3分ほどにある柳沢吉保が作った大名庭園で、池泉回遊式庭園。
まずは、アイテムをあげてみた。 万葉集、須佐之男命、古今集、新古今和歌集、聖武天皇、山部赤人、紀ノ川、和歌三神、玉津島姫、衣通姫、柿本人麻呂、和歌の浦、有間皇子、紀貫之、藤原定家、俊成、詩経、六義(風・賦・比・興・雅・頌)、西行、吉野、源氏物語、忠臣蔵、徳川綱吉、桂昌院、正親町町子…、何だか庭園の内容の検討に行くまでも、考えれば考えるほど縮まらず、終わらない感じだ。
芭蕉の先生でもある北村季吟に、和歌の秘伝である古今伝授の相手と思わせた柳沢吉保は、将軍でもないのに、霊元天皇から六義園のために公家らが詠んだ和歌を撰んで贈られている。入り口近くにその石碑が置かれているが、気に留める人は少ない。 吉保というと、芝居の影響かなぜか悪名が高いが、実は稀代の文化人でもあった。 綱吉に仕えた吉保は、江戸時代でも元禄文化を開花させた立役者で、官吏としても領地を富ますなど有能な人物であった。
園内は、山部赤人がお供して聖武天皇が行幸して和歌を詠んだ和歌山の風景ばかりではなく、奈良吉野の風景、中国の風景を写し、和歌に因んだ景観、八十八境が六義園には散りばめられている。 八十八景の標として六義園のなかに石柱が置かれていた。いまは三十二景しか残っていない。 う〜ん、これって吉保の庭と言っていいのというくらい、当時の庭に込めた思いを込めた景が無くなっていくようで、逆に余計な植物などが視界を塞いでいくようだ。
六義園はいろいろな見方があるが、今回は、徳川綱吉将軍や桂昌院へのおもてなしの庭という面より、古今集をはじめとする和歌との関連で、和歌を木のように育ててきた古えの日本人の美への思いを中心にするのがよいような気がしてきた。
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