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147 最澄と空海 その2 薬子の変
2015年1月1日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
新年おめでとうございます。管理人さんも心機一転、ますますのご活躍を宣言しておられますので、ささやかながら、私もできることをしていこうと思っております。新年最初のおしゃべりは前の記事の続きです。タイトルの「薬子」は女性の名前でして、「くすこ」と読みます。

藤原薬子(ふじわらのくすこ)という平安時代初期の女性が主役のひとりとなって発生した、「薬子の変(くすこのへん)」という、朝廷をめぐる騒動のことをお聞きになったことがありますか? 日本史の教科書でも、たいていはさらりと流されていますので、普通はあまり詳しく学ぶことはありません。それもそのはず、この事件は朝廷としては、かなり恥ずかしい事件でして、あまりおおっぴらにはしたくないことのひとつだと思われるからです。

最澄と空海との関わりの中に、この「薬子の変」は直接的ではないのですが、重要なインパクトを持った事件として絡んできます。という次第で、早速横道に入ってしまいますが、この「薬子の変」をちょっとおさらいしてみます。

まず桓武天皇が平安京(京都)に都を定めたのが、おなじみ、794年だということを押さえておきますね。最澄と空海が遣唐使船に乗ったのが804年ですから、ちょうどその10年前ということになります。

実は桓武天皇は平安京遷都に先立つこと10年前の784年にも、仏教勢力が政治に口を出し、豪族間の争いも激化し、疫病も頻発していた平城京(奈良)を去って、長岡京への遷都を断行しました。平城京での既得権益を享受していた奈良仏教をはじめ、多くの勢力は、もちろん大反対しました。

長岡京の造営責任者は、藤原式家の藤原種継(たねつぐ)でした。(当時、藤原家は、式家、北家、南家、京家の4つの系統に分かれていました。)ところが遷都をめぐる様々な権益争いの結果、種継は785年に工事監督中に矢を射られて暗殺されてしまいます。結局、そのことの余波から桓武天皇は、長岡京を諦めて、794年に平安京に遷都することになりました。

この藤原種継の子に、藤原仲成(なかなり)と薬子(くすこ)という兄妹がいました。この2人は自分達の父が命をかけて造営した(しかも桓武天皇の命により)長岡京を、いとも簡単に放棄し、さっさと平安京に移って行った桓武天皇をあまりよく思っていなかったのは、まあ自然なことですね。これがまず伏線です。

薬子はその後、中納言・藤原縄主の妻となり3男2女の母となったところで、長女がまだ幼いながらも、桓武天皇の皇太子・安殿親王(あてしんのう)の妃となりました。そして母親の薬子は、その後見役として自らも入内しました。それが798年または799年のことでした。この時期、最澄も空海もまだ修行中でした。

ところが、安殿親王は妃であるはずの薬子の長女はそっちのけにして、母親で後見役として入内した薬子と愛し合うようになってしまったのです。薬子は既に結婚していたわけですから、まあ現代風に言うと、不倫ということになりますね。

この話を聞いた桓武天皇は激怒して、薬子を宮廷から追放してしまいます。でもこれがきっかけとなって元々親子仲が良くなかった桓武天皇と安殿親王は、溝を深めていきました。

でもその桓武天皇が806年に亡くなると、天皇の座は皇太子である安殿親王へと移り、「平城天皇(へいぜいてんのう)」として即位しました。そして、同母弟の「賀美能親王(かみのしんのう)」を皇太子に選びました。ちなみに、この賀美能親王が後の嵯峨天皇となります。この2人は、母も同じ実の兄弟でした。

平城天皇は間もなく薬子を「尚侍(ないしのかみ・天皇の言葉を臣下に伝え、臣下の言上を天皇に伝える女性の役職)」に任命して宮廷に呼び戻し、再び寵愛します。またこの時、薬子の夫の藤原縄主は大宰大弐として九州へ送られました。邪魔な夫を飛ばすという、よくあるパターンですね。

ただ生来病弱であった平城天皇は、薬子を呼び戻してからは、次第に彼女の言いなりになっていきました。また、妹の薬子のおかげで、兄の藤原仲成も権勢をふるうようになっていきました。

しかし平城天皇の病気がちな状態は次第に悪化し、政務を続けることが困難になってきたため、在位わずか3年で、弟で皇太子の賀美能親王に皇位を譲り「嵯峨天皇(さがてんのう)」として即位させ、自分は生まれ故郷の平城京で療養することにしました。(809年)この時期、既に最澄はもちろん、空海も帰国していました。

即位した嵯峨天皇は平城天皇の息子「高岳親王(たかおかしんのう)」を皇太子とし、新たに「蔵人頭(くろうどのとう)」という役職を設置します。これは内侍(ないしのかみ)と同じく、天皇の言葉を臣下に、臣下の言上を天皇に伝える男性のみの役職で、嵯峨天皇が藤原薬子を遠ざけるために打った手だと思われます。

これを聞いた平城上皇(天皇を引退して、上皇になっていました)は、地方政治の実情を調査しに北陸へ行っていた薬子の兄、藤原仲成を平安京へ呼び戻し、嵯峨天皇の動きを監視させます。ここに至って、平城上皇と嵯峨天皇の兄弟対立が次第に明らかになってきました。

その一方、政務を離れて療養したおかげで、平城上皇は次第に健康を取り戻し、再び政治の表舞台に立とうと考え始めました。そうなると奈良に居る平城上皇の周囲には、平安京遷都によって権益を失った平城京の旧勢力がぞくぞくと集まって来始めました。こうなると当然、嵯峨天皇側も、兄の平城上皇の動きに神経を尖らせざるを得なくなり、一触即発の状況になってきます。

こうした中、810年9月6日、平城上皇はついに「都を平城京に戻す」との「詔(みことのり」を出しました。もちろん嵯峨天皇には無断でした。それに対して嵯峨天皇は、平城上皇が驚くほどの素早さで、征夷大将軍、坂上田村麻呂と藤原北家の「藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)」を平城京へ派遣し、平城上皇を監視させます。また平城上皇が戦の準備を進める前に平城京の周囲の関所を封鎖して、平城上皇が地方から兵を集められないようにしておきした。

そして準備がととのった9月10日、嵯峨天皇は藤原仲成を捕らえて、まずは降格処分とし、藤原薬子は内侍の役職を剥奪され平安京を追放されました。

嵯峨天皇のあまりに素早い対応に驚いた平城上皇は藤原薬子と共に手近な兵を集めていったん東国に出て再起を図ろうとしますが、嵯峨天皇はそれを阻止しようと、9月11日に藤原仲成を処刑、坂上田村麻呂を総大将とする討伐軍を出動させて、平城上皇の進路を阻みました。

先手を打たれた平城上皇は、やむなく平城京に戻り、自らは剃髪して仏門に入り、薬子は翌9月12日に毒薬で自殺してしまいました。これが「薬子の変」でして、こうして内乱は嵯峨天皇の一方的な勝利で終結しました。

実は、この騒乱の際、嵯峨天皇は当時、唐から密教の奥義を授けられて来た僧として、一部で注目されつつあった空海に、祈祷を頼んでいるのです。真言密教の強みは、その呪力といいますか、呪術的要素にあります。そしてそれは、最澄の天台仏教が目指していた思弁的で巨大な仏教理論や修行法では、必ずしもまかないきれないものだったのです。真言密教は、国家鎮護と玉体安穏を祈祷によって達成しようとするパフォーマンスに優れていたと言ってもよいかもしれません。

結果的に、この「薬子の変」は、藤原仲成・薬子がすべての責任を負って亡くなり、平城上皇は仏門に入るだけで済むという、朝廷にとっては、比較的小規模な争乱で平定されました。さらにまた、仲成・薬子達の怨霊も鎮魂され、平安京は落ち着きを取り戻したとされたのです。そしてこれは空海の祈祷のおかげだということになり、嵯峨天皇と空海の結びつきは驚くほど強くなりました。

また嵯峨天皇は自らも書を得意としており、強い文学的趣味を持っていましたが、それらが空海の得意分野と通じていたことも、空海と真言宗のその後の大発展に大きな影響をもたらしました。結局、「闕期(けっき)」の罪で帰国当初、太宰府の留め置かれた空海は、嵯峨天皇によって京都に鄭重に迎えられ、その後、活動の根拠地として、高野山を与えられ、京都での活動の中心地、東寺も与えられ、真言宗の大発展につながっていったのです。

薬子の変は、こうして真言宗が短い間に大発展を遂げた重要な原因になりました。空海がすべての面で先行していた最澄に追いつき、追い越したのはこういう政治的事情もあったのです。では長くなりますので、この続きは <その3> で。
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