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縁の下のバイオリン弾き
123 アイヌ
2016年3月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ ムックリ
▲ Jew’s harp
先日、作家の津島佑子さんがなくなった。

彼女の作品を読んだことはあるが、私は熱心な読者ではなかった。津島さんの死に感慨をもったのは、最近大学で教えていたときの教材を整理していて偶然彼女のことを書いた新聞記事をみつけたからだ。

それは今から20年前、1995年11月5日の朝日新聞掲載の「ひと」というコラムで、津島さんがアイヌの神謡集を仏訳したことが話題となっていた。

アイヌはごぞんじのように文字をもっていなかった。そのかわり、大昔の日本の稗田阿礼(ひえだのあれ)のように歴史を記憶して語る語り部がいた。

英雄叙事詩の「ユーカラ」、神話の「カムイユーカラ」などの口承文芸は膨大な量になる。知里幸恵(ちり・ゆきえ、1903−1922)が日本語に翻訳した「アイヌ神謡集」(1923)をテキストにして津島さんはパリ大学で日本文学を教えた。その時の経験をもとにしてフランス語に訳したのである。「監修」ということになっているが、それは訳したフランス語に手を入れるフランス人の大学院生がいたからだろう。ありようは彼女が全編翻訳したのにちがいない。約50編あるそうだ。

津島さんの父親は太宰治だ。津軽半島の血をひく人間として「アイヌの存在を無視して自分自身の存在を考えることは到底できなかった」と津島さんはいっている。彼女自身は東京生まれだからこの説明はちょっとロマンチックすぎるように聞こえるけど、「『日本文学』がアイヌ口承文芸をいかに黙殺しつづけてきたか。こんなにも豊かな叙事詩の世界が、まるで見えない存在。異様ですよ」というとおり、アイヌに文学があるとは考えられていなかったことに対する異義申し立てだったのだろう。

彼女は高校時代の「苦い思い出」を語っている。

「修学旅行でアイヌのコタン(集落)を訪ねた時、物珍しげにただ、写真をとることだけに夢中になっていた。その時のことがずっと、心にひっかかっていて」

私はこれを読んで苦笑のほかなかった。というのは私にも同じような経験があり、自分のほうがずっと罪が深いと思ったからだ。

私も北海道への修学旅行でコタンをたずねた。アイヌの人は顔の彫りが深く、めりはりがきいていて魅力的だと思った。

ところが、おみやげ屋の若い女性にむかって、同級生(男子)が彼女をながめながら「やっぱり毛深いね」といったのだ。その女性はすこしはずかしそうに、しかし「しかたがない」というようなおももちで「毛深いでしょ」と答えただけだった。私はその時、ひどいことをいうな、と思った。なにか言わなければ、とあせった。その同級生を責めることば、あるいはその女性にあやまることばをさがしたけれど、いい表現がみつからなかった。それで私は何も言わずにその場を離れてしまったのである。

それが今でも「心にひっかかっている」。アイヌというときっとその場面が頭に浮かんでくる。

ことさら私は外国に住んでいるから、日本にいる日本人よりはずっと自分が他人にどう映るか、ということに敏感だ。だから同級生の無神経なことばが50年後の今でもトゲのように心につきささっていて、折にふれてうずく。他者の好奇の目にさらされる、という経験はしてみなければわからない。

1986年に中曽根首相がいわゆる「単一民族発言」をして物議をかもした。「日本は単一民族だからすぐれている」という趣旨の発言で、アイヌ民族を無視しているというので大問題になった。もともと「アメリカには黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって」知的水準が低い、というばかなことを言ったために、それをカバーするつもりで行った発言のなかでなおさらドツボにはまることを言ったのだった。

新聞にのった抗議の投書を私は授業で教材として使った。日本人としてはずかしいと思ったけれど、この事件がなかったならばアイヌ差別の問題を深く考えることはなかったかもしれない。

私はこどものころ石森延男(1897−1987)の「コタンの口笛」(1957)という小説を読んでいた。北海道のコタンが舞台で、日本人によるアイヌ差別が詳しく描かれている。アイヌ問題に理解のある「先生」に、かれの息子に自分の娘を嫁としてもらってくれないかと相談して断られたアイヌの母親の悲しみを描いた場面が忘れられない。その「先生」にもらった熟した桃を、家に帰る間じゅう固くにぎりしめていていつの間にかつぶしてしまい、捨てたあと、娘に食べさせてやればよかった、と後悔するのだ。


この津島さんの記事がきっかけになったのかどうか、私は日本語の5年生の授業でかならずアイヌについて触れるようになった。日本にも少数民族がいると教えるのは特にアメリカでは意味があった。テキストには中川裕という先生の「アイヌ語をフィールドワークする」(1995)という本を使った。面白い本だけど、学生に読ませるのはほんのさわりだけだった。それでも学生にはまったく知らない世界で、面白いと思ってくれる学生が多かったようだ。その反対に「日本語を勉強したいのになんだってアイヌのことなんか読まなきゃならないんだ」と考える学生もいた。無理もない。たいていの学生は現代の最先端の日本に触れたいと思っている。アニメやゲームに出てくる日本のイメージだ。

この種の抵抗がなければ、授業はやりやすかったのかもしれない。しかし葛藤がなければ物事は学べないものだ。私は自分自身が知らないアイヌの文化を通して日本の文化との対比をこころみ、その二つの間に存在する距離を外国人である学生に見せて、彼ら自身の文化からの距離をはからせるようにしむけた。いわば三角測量だ。

たとえばアイヌの間では火のカムイ(神)が一番身近な、人間を守ってくれる存在だ。「火は、特に道南・道西のアイヌ語では、アペフチとかフチアペとかカムイフチとか呼ばれる。どれも『火のおばあさん』とか『カムイのおばあさん』とかいう意味であり、本来の姿は赤い小袖をはおり、ねじれた杖をついて出てくる年寄りの女神であると考えられていた」。

女神は年寄りなのだ。津島さんもフランス人の翻訳スタッフに「(おばあさん神というのは)高齢者というよりも尊称。いくらこう説明しても、女神は年をとるはずがない、と」うけつけてくれなかった、といっている。

女神ということばでわれわれが連想するのは若く美しい女性だ。「女神のようだ」といっただけで何の説明がなくとも聞く方はかってにイメージをふくらませる。

津島さんはこれを「異文化の落差」と呼んでいるけれど、それは日仏の落差をいっているのだろうか。そうではあるまい。そういう津島さん自身にしたって、日本人であるからには女神は若く美しいと思っているはずだ。

日本の神話にでてくる女神、たとえばアマテラスオオミカミにしてもイザナミノミコトにしてもみな若く美しい。仏教の女菩薩だって母親のような慈愛にみちているかもしれないが、たいして年をとっていないことは一目でわかる。

これがヨーロッパの女神ならばアテナとかビーナスとか、ギリシャ彫刻に代表される輝くような美貌と肉体をもっているのであって、津島さんのスタッフがいうように「年を取るはずがない」のだ。マリアは永遠の「聖処女」だ。

世界中の宗教を調べることはできないにしても、赤い小袖をはおり、ねじれた杖にすがってよろぼい出てくるばあさんが女神だなんて、ばかもやすみやすみ言え!というようなものではないだろうか。

ところがこのばあさん神がアイヌの間ではもっとも尊崇され、たよりにされている。いろりの灰や消し炭のようなものにまでこの神の力がこもっていて、それをもって歩けば人間を守ってくれるのだそうだ。

中川さんの本には「物語の中では、他のカムイが人間界に災いをなすようなまねをすると、この火の女神が村の外れの家から飛び出してきて談判し、悪神を追い返してくれるということになっている。赤い小袖というのはもちろん炎のことであり、年寄りたちはその炎の中に、頼もしい老婆の姿をいつも見てとっていたに違いない」と書いてある。

大昔は今の東北地方までアイヌが住んでいたそうだ。それがいわゆる「和人」によって北海道に追いやられた。いずれにせよ寒いところにすんでいたわけだから、火ほどたいせつなものはなかったのだろう。それが自然に火を守り神として崇拝することにつながったのだと思う。その感覚は昔の日本人も共有していたはずだ。

そういう人間とカムイとの間の信頼のきづなは強く、特別な世界を形作っている。それを迷信と片付けるのは簡単だけど、それがなければ世界がまわらないような存在をあやまりだときめつけることがはたして正しいのだろうか。

これをネタにしてわれわれは教室で議論した。女神がおばあさんだなどとは考えたこともなかった、という感想はだれもいっしょで、アイヌの文化がわれわれ自身を照らす鏡になった。


おばあさん女神は否定するくせに、これが男だと神様はおうおうにして白髪白ひげの老人だ。ミケランジェロの「天地創造」の神、つくられたばかりのアダムと指をふれあわんばかりにしている神を思い出してもらいたい。

神様の人口が多いギリシャ・ローマ神話ではアポロとかキューピッドとか美青年もいるけれど、最高神のゼウスはやっぱり初老にさしかかるおやじだ。日本の七福神は弁天は若くて美人だけど、あとは大黒だのえびすだので若い男はひとりもいない。

これは一種の性差別ではないだろうか。神様といえるほどの存在は全能で、当然経験豊富だ。勢いイメージは老人になる。でも女神の場合頭脳・経験は守備範囲ではないらしい。あるいは守備範囲なのかもしれないが、その上に若く美しいから女神なのだ。

世界中に地母神信仰というのがあって古代には母なる女神をあがめる習俗があったそうだけど、文明が発達するにしたがって女神たちは若く美しく変身した。つまりお飾りにされたのである。どうしてかというと男性原理が地母神信仰にとってかわったからだ。

アイヌの火の神は変身をまぬがれた正統的な地母神なのかもしれない。アイヌの社会ではまだそういう女性原理が息づいているのではないかと勝手に想像している。


高校の修学旅行のとき、アイヌのムックリという楽器を買った。それは竹の小片に二つきりこみをいれて真ん中の「舌」にひもをつける、というものだ。これを口にあててひもをひっぱりながら「舌」を振動させ、口を共鳴箱にしてその形を変えながらいろいろな音を出す。小さなものだし、安かったので買ったのだろう。簡単そうだったがやってみると意外にむずかしく、そのうち飽きてなくしてしまった。今になってみると惜しい。

この形の楽器は世界中にあるらしい。アジアが発祥の地だそうだ。どういうわけか日本人はこの種の楽器をもっていない。

英語では一般に Jew’s harp(ユダヤ人のハープ)と呼ばれている。でも実はユダヤ人とは関係ないそうだ。

アメリカにも金属でできたタイプのものがあり、民謡で使われる。その楽器をはじめて見、演奏を聴いたとき、アイヌのムックリを思い出してなつかしかった。





ムックリの演奏はこちら。

https://youtu.be/9X2tlAPyoXI

Jew’s harp の演奏はこちら。曲は「わらの中の七面鳥」。

https://youtu.be/_EZrhYg8O_U
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