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ボーダーを越えて
14 鶏より馬
2003年8月10日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 地表すれすれにひろがるアボカドの根
▲ アボカドの木の肥料にもなり、土壌にもなる馬糞を積み出すトーマス。この写真を撮る前に、私は思わぬ災難に‥
▲ 「災難」直後の私。
アボカドにはトリ(鶏)よりウマ(馬)の方がいい。といっても、十二支とは関係ありません。トーマスがアボカドの木に施す理想的な糞のことです。

アボカドの根はびっくりするほど浅いのです。木の根元あたりの落ち葉を掻き分けて、地表の土をちょっとどけただけで、根っこが見えてきます。(熱帯雨林が原産地の木にはそういう傾向があるようです。)ですから、肥料は根元に播けばいいのです。トーマスのアボカド園では化学肥料は一切使わず、ほぼ有機栽培に近いやり方でアボカドを育てています。最初は養鶏場から鶏糞を配達してもらっていました。ところが鶏糞は窒素たっぷりでリッチ過ぎ、混ぜ合わせても化学作用を起こして熱くなる。これがアボカドには良くないのですねぇ。しかも鶏糞には塩分があり、そうでなくても水の中の塩分で悩まされているアボカドですから、ますますよくないのです。

そこでトーマスは馬糞に切り替えました。馬糞は肥料として理想的な成分のバランスなのだそうです。牛糞と違ってサラサラしているし、臭いもないので、家庭菜園や庭いじりをする人たちにも人気があります。この近辺では乗馬やポロが盛んで、馬の飼育場がたくさんあり、馬糞はいくらでも無料でもらえます。というより、どの飼育場も馬糞の処理に困っているので、馬糞に木の削り屑を混ぜて肥料として使いやすいようにし、できるだけ持って行ってもらえるようにしてあるのです。

うちからそう遠くない所に、1984年のロサンゼルス・オリンピックのときに馬術競技の行われたフェアバンクス・ランチという超高給住宅地があります。トーマスは農園へ行く途中、毎日そこの馬飼育場に寄って馬糞をトラックいっぱいに積んで行くのが日課になっています。以前は別の飼育場に寄っていたのですが、いまはもっぱらフェバンクス・ランチだけ。そこの馬は他の飼育場の馬よりもっと高級な食事をしているらしく、馬糞も雑草などの交ざり物がなくて高級なんですって。

以前にも「成熟と完熟」で書いた通り、カリフォルニアのアボカド園のほとんどは急な斜面にあります。水が低い方に流れるのと同じように、冷たい空気も低い方へ流れるので、斜面だと霜の害から免れるからです。トーマスのアボカド園もその例外ではないのですが、それに加えて、巨大な岩がゴロゴロしていて、一見農園には向いていないように見えます。ところがこの岩にも利点がある。太陽熱を吸収して岩の周囲は大気より温度が高くなり、岩の周りの木は花が咲くのも早いし、結実の率も高いのです。(花が結実するのは10%以下、さらにそれが果実として育つのは1%ほど、と、7「女性花・男性花」でお話しました。)でも、少々困ったことには、岩の周りは土が少ない。アボカドの木は根が浅いので、それほど土がなくてもいいのですが、全くなかったらもちろん育ちません。そこで木の削り屑と混ざった馬糞を根元に播いてやると、土の代わりになる。トーマスがせっせと馬飼育場に寄ってどっさり馬糞をもらって行く所以です。

全くの余談になりますが(ですから、まじめな方はここから先は読まなくて結構です)、私は初夏のある日、トーマスの馬糞運搬の一連の写真を撮ろうと同行しました。馬の囲いの向かい側に馬糞が積み重ねられ、高さ2メートルほどの山になっていました。その山はほどよい暖かさが保たれているらしく、リスの格好のアパートといえる小さな穴がいっぱい。私たちが近づくと、リスが何匹も一斉に穴に逃げ込んで行きました。

トーマスは馬糞山の端にトラックを止め、手際よくシャベルで馬糞を容器に入れ始めました。その様子を何枚か撮ったのですが、どうもおもしろくない。上から見下ろすような写真を撮ろうと思い、うまく上れるような場所を捜して山を回ってみました。すると、山の端っこが幅1mほど平らになっていて、そこを渡れば丘に上り、馬糞山のてっぺんに登れそうです。紐なしのハイキングブーツを履いていたので、ちょうどよかった!と喜んで右足を踏み出した途端、ズボッ!!! 膝下まで埋もれてしまったではありませんか! 黄土色の表面は一見堅く見えても、すぐその下は実は真っ黒でドロドロしたタールのようだったのです。でもそれはタールなんかじゃありません。時間の経過した結果、葉酸が生じた馬糞だったのです。

もちろんすぐ右足を引き抜こうとしました。でも、真っ黒な馬糞は固い糊のようにベットリとしていて、私のブーツはビクともしません。それでも全身に力をこめて足首を動かしてみましたら、スポッと右足がブーツから抜けて出ました。同時にその勢いで体が前方にのめり、今度は左足が真っ黒な馬糞糊にズボッ!!! 右足のブーツは馬糞糊の中に埋もれたまま。右足が宙に浮いたままでは左足は引き抜けない。となると、選択の余地はありません。右足を馬糞糊の中のブーツに入れて、カメラを落とさないように注意しながら、今度は両足を動かしてその勢いで底なし沼のような馬糞糊から脱出しなければ‥ 

トーマスに引っぱり出してもらえれば事は簡単に済んだでしょうが、馬糞山の裏側に回ってしまったので、彼からは私の姿は見えないし、大声で呼んでも彼には聞こえない。仕方なく私は必死の思いで両足をグイグイ動かし、自力で馬糞糊の底なし沼からやっと脱出しました。膝から下は真っ黒。ブーツも真っ黒。そんな姿の私を見て、まだ馬糞を積んでいたトーマスは一瞬ビックリ。でも、あまりにもバカバカしい姿なので、彼も私も思わず大笑いしてしまいました。「これは是非記録に撮っておかなくちゃ」と、普段は写真など一切撮らない彼が記念撮影した写真を見ると、馬も不思議そうに私を見ていたのですね。

それからすぐ、真っ黒な馬糞は洗い落として、やれやれとホッとしたら、肝心の「山」の上からの写真を撮っていないことに気付きました。そこで今度は「底なし沼」とは反対方向の急な斜面からブーツなしで馬糞山へ。表面は堅そうに見えるその山も足の下はブヨブヨと無気味に柔らかい。私は足元を確かめながら端っこまで歩いて目的を達成した次第です。ただ写真を撮るだけで、思わぬ災難に出会ってしまったものです。馬糞が無臭なのが不幸(?)中の幸いでしたが、馬糞がどう変化していくのかがよくわかり、まぁ貴重な(?)体験だったと思っています。
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