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ゴールドラッシュの波紋(上) |
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2004年3月15日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ カリフォルニアを南北に走るシエラ・マドレ山脈のふもとを流れるアメリカン川。
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▲ アメリカ川の水流を利用したコロマの製材所。この建設現場で金が発見され、ゴールドラッシュの引き金となった。写真はコロマ・バレーのウェブサイト( http://www.coloma.com/gold/)から借用。 |
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▲ 1849年のサンフランシスコの様子。原典=アメリカ国会図書館所蔵。 |
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アボカドは西半球がスペイン人に征服される何百年も前に、原産地のメキシコから南米へと広まっていたと、すでにお話ししましたね。でも、北には広がっていかなかった。その理由には、気候が適していないとか、メキシコ北部にある大砂漠が人や動植物の動きを阻んでいたというような不利な自然条件が考えられます。が、それだけではなく、新しい果実を受け入れて育てるだけの人口や文明がなかったからなのでしょう。アボカドに限らず、いろいろな食物が世界中に広がっていった歴史を見ているうちに、食物の広がりの決定的要因はむしろ社会条件なのではないかと、私は考えるようになってきました。
それでは北アメリカでアボカドが栽培され始めたのはいつなのか、というと、一番古い記録は、1833年にヘンリー・ペリンという人がフロリダでアボカドの木を植えたものです。名前から見ると、イギリス人かイギリス系アメリカ人ですね。多分カリブ諸島から持ち込まれたのでしょう。カリフォルニアでは1856年にトーマス・ホワイトという人がロサンゼルスに植えたという記録が一番古いのですが、どうもこの木の生長はあまりよくなかったようです。カリフォルニアできちんと育った最初のアボカドは、R.B.オードという裁判官が1871年にサンタバーバラで植えたメキシコ産の木だとされていますから。1890年代に入ると、いろいろな人が様々な種類のアボカドの種をメキシコやグァテマラから持ち込んでアボカドを育て始めました。現存最年長のアボカドの木は、カリフォルニア大学バークレー校キャンパスに立っていて、1879年に植えられたものとか。(この木はいつか見に行かなくちゃ、と思っています。)
ここで私にふと疑問が湧いたのです。なぜ19世紀後半のカリフォルニアで、こんなにアボカド栽培に関心が集まったのでしょう? この問いを、サンディエゴ郡農業アドバイザーのゲアリー・ベンダーさんに投げかけてみました。 「ゴールドラッシュのせいだよ」と、ベンダーさんはこともなげに言います。 ゴールドラッシュ? でもカリフォルニアのゴールドラッシュは1848年から1859年で、アボカドへの関心が高まった時期とは少しずれています。どんなふうにゴールドラッシュがアボカド栽培に影響を与えたのでしょう? そこで私はゴールドラッシュについて、少々調べてみました。アボカドの話からは脱線してしまうを思われるでしょうが、ちょっと我慢して読み進めてください。アボカド栽培発展の背景を理解するには、カリフォルニアの歴史の一部を知っていると便利なので。
カリフォルニアにヨーロッパ系人が定着するようになったのは、ミッション(布教所)を建てるために、1769年にカソリック僧たちが当時スペインの植民地だったメキシコからサンディエゴに到着したときからです。1ケ所でミッションを建設し、自給自足のための農地や果樹園を整備すると、カソリック僧たちは荷車で1日で行ける場所にまたミッションを建てました。そうして徐々に北上して次々にミッションを建設していき、1776年にはサンフランシスコに到着して最後のミッションを建てたのです。
1821年にメキシコがスペインから独立すると、カリフォルニアはメキシコの一部になりました。ところが、連載11回目「シンコ・デ・マヨ」でも述べましたが、1848年にメキシコはアメリカとの戦争に破れ、カリフォルニアはアメリカ合衆国の領土になって、1850年には正式にアメリカの31番目の州になりました。そのときのカリフォルニアの総人口は9万人ちょっと(この統計に先住民がどのくらい含まれているかは疑問ですが)。それが1860年には4倍以上の38万弱にもなったのです。アメリカの州になったとはいえ、それだけでたったの10年間で人口がこんなに急激に増えたとは考えられません。別の大きな要因があったはずで、それが1848年に始まったゴールドラッシュだったのです。
カリフォルニアで一番最初に金が発見されたのはそれより数年遡った1842年で、ロサンゼルスから30マイルほど北西の放牧地でした。たちまち100人ぐらいの男たちが集まって金の採掘が始まったのですが、水不足で金の採掘は採算が合わなくなり、1845年にはわずか日当30セントで30人ほどの男たちが働いていたに過ぎなかったそうです。ゴールドラッシュは1848年1月にサクラメントの東を流れるアメリカン川のほとり、コロマで金が発見されたことに始まります。文字通り一獲千金を夢見た人々が、この地域にアメリカ各地からどっと押しかけました。当時はまだ鉄道はもちろん、ろくな道路もありませんでしたから、多くの人は船でサンフランシスコに上陸しました。サンフランシスコは1850年に市になったのですが、その年の最初の4ヶ月半で、男性60,244人、女性1979人がこの新興都市やって来たと記録されています。一方サクラメント市は、同年10月に5万7千人が金鉱で働いていると報告しています。カリフォルニア人口の半分以上が金の採掘をしていたことになります。 (続く)
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