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148 最澄と空海 その3 (まとめ) 両雄並び立たず
2015年1月5日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
最澄という名前は、たぶん本人が付けた僧名だと思われますが、よく見ますと「最も澄んだ」という文字ですね。実際的には「最も澄んだ人」という意味だと思います。でも彼の一生を眺めて見ますと、たしかにその僧名にふさわしいような生き方だったという気がします。

空海の方は、果てしなく広い空と海という、真言密教の中心仏、大日如来のような名前ですが、これもまた空海自身が付けた僧名だと思います。たしかに両者とも、その名前にふさわしい生き方をされたように思います。(たいへん僭越な言い方で恐縮ですが。)

最澄は近江の国の渡来人系の豪族の出身で、14歳で仏門に入りながら、奈良仏教の堕落ぶりを嫌い、19歳で1人比叡山に入り、新たな仏教を模索し始めました。そして機会にめぐまれて、奈良を脱出して他の地に遷都したかった桓武天皇に認められました。さらにはエリート僧として「入唐還学生」(にっとう げんがくしょう)にも選ばれて唐に派遣され、帰国後も仏教界のエリートとして活躍を開始しました。

ただ、<その1> でも書きましたように、最澄の唐滞在期間は9ヶ月でしたので、いかんせん期間が短すぎました。最澄が学ぶことができなかったのは、呪力を得意とする密教でした。最澄の持ち帰った天台仏教が、奈良仏教に代わって鎮護国家の中心的仏教となるためには、国家鎮護と玉体安穏を祈る強い呪力も欠かせなかったのです。

そのような中で、最澄は、空海が「闕期(けっき)」の罪の容疑で、太宰府に留めおかれていた時期に朝廷に提出した「御請来目録」(ごしょうらいもくろく)を目にしました。そこには最澄がまだ見たことのない密教経典がたくさん記載されていたのです。

そしてその後、最澄は空海が京都に入ってから、空海から密教に関する経典を度々借りて学んだのです。そしてついには、当時、空海が居た高雄の神護寺(当時は高雄山寺と呼ばれていました)に赴き、空海から真言密教の継承者となるための儀式、灌頂(かんじょう)を受けました。灌頂とは、頭頂に水を注いで、仏や曼荼羅と縁を結び、種々の戒律や資格を授けてもらって、正統な真言密教教徒となるための儀式のことです。自分よりは年下で仏教界でも後発であった空海から経典を借りたり、儀式を授けてもらうあたりは、最澄が素直な人物であることを示していると思います。

でもこれは傍目には、少なくとも密教という分野においては、最澄は空海の弟子になったことを意味します。このことは、既に嵯峨天皇の強い信頼を得ていた空海の名前を大いに高める結果になったはずです。平安京仏教界のエリート、最澄が形式的には空海から経典を借りたり、教えを乞うたわけですから。でも最澄は、そのようなことも気にせず、自らの高弟であった、泰範(たいはん)を密教習得のために空海のもとに派遣しました。このあたりも最澄に好感を持ちたくなる行動ですね。

でもこの辺から、社会的に先行していた最澄に、後発の空海が追いついて来たのだと思われますが、とうとう空海による最澄への経典貸出拒否事件が起きました。最澄から真言密教の根本経典のひとつである「理趣経」の注釈書、「理趣釈経」を貸して欲しいという依頼を受けた際に、空海がそれを拒絶したのです。そして彼は、真言密教は文書だけによって理解されるものではなく、実際に行を行ってはじめて習得できるものであり、もしも最澄が真言密教の奥義を学びたいと思うなら、自らが自分のところに来て修行しなさいと申し入れたのです。

当然ですが、これはさすがに最澄と空海の間に精神的な亀裂を生じさせました。またそれに加えて、ちょうどその頃、最澄が空海のもとに派遣した自らの一番弟子、泰範が比叡山に帰らなくなってしまうという事件も起きてしまったのです。

実際、泰範は比叡山に居る時期、最澄によって特別に可愛いがられており、そのことが最澄の弟子達の間で、泰範を孤立させることになっていたために叡山には帰りにくかったという事情もあったようですので、コトは単純ではないのですが、最澄は帰らない泰範に何度も帰山を促す手紙を書きました。

結局、泰範は叡山に帰ることはなく、空海の弟子としてその後を生きるのですが、最澄からの手紙に対しては、泰範に代わって空海が返事を書きました。その内容がまた激しいものでした。天台と真言の仏教としての優劣に言及し、真言の優越性を堂々と主張したのです。真言の方が天台よりも、すぐれた仏教であると。

実際、真言密教は大乗仏教発展の最終段階で生まれた仏教で、華厳経を中心とする華厳仏教の影響を強く受けていました。それに対して、天台仏教はその一時代前に栄えた法華経を中心とする仏教でしたから、優劣は私にはわかりませんが、その肌合いはかなり異質だと思われます。

最澄は元々、仏教界の論客であり、奈良仏教とは度々論争を繰り返していましたが、空海とのこのやりとりでは、空海との論戦は望まず、どちらかと言えば哀願に近い形に終始しましたが、やはり両巨匠は並び立たず、決別しました。

仏教史にも詳しい梅原猛氏はこう書いています。

「私は空海の大崇拝者であるが、この往復書簡を読む限り、最澄に同情を禁じ得ない。純粋で一本気の最澄が、世間を知り尽くした空海に手玉に取られている感じである。」

仏教理論に関する奈良仏教、とりわけ法相宗(薬師寺、興福寺など)との論争には果敢に挑み、実際、歴史に残るような学問的にも高度な論争を何度もしていながら、弟子の返還依頼や真言密教との論争を避けたのは、最澄が自分に不足しているものを知っており、そのことを正直に表現したもののように思えます。梅原氏がおっしゃるように、最澄は空海ほど世間慣れしていない、純粋な、つまりは澄んだ人だったのかもしれませんね。

一方、讃岐の豪族出身ながら、遣唐使船に乗るまでは、乞食坊主のような山岳修行を重ねていた空海は、少なくとも最澄よりは直接的に世間の荒波を体験してきたはずです。

梅原氏は、空海についてこういう指摘もしておられます。

「私は真言密教の日本の思想に対するもっとも大きな影響は、真言密教によって神と仏が一体になったことであると思う。6世紀半ばに移入された仏教は従来の日本の神道とトラブルを起こし、その結果、蘇我・物部の戦いという宗教戦争が起こった。その戦争は蘇我側、つまり仏教側の完全な勝利に終わったが、神と仏の関係はその後も多少ぎくしゃくしていた。しかし、東大寺建造にあたって、応神天皇を主神として祀る宇佐八幡が宇佐から上京し、天神地祇を代表して東大寺建造を祝福して以来、神と仏の蜜月関係が生まれたのである。この蜜月関係は、空海の真言密教によって決定的となった。」

結局、空海は最澄よりは少し世慣れていたのだと思います。神仏融合などどいうことも、そのことのひとつのあらわれかもしれません。また現在に至るまで、弘法大師伝説の方が、伝教大師伝説よりも一般に広く普及しているのも、そうした事情が一因なのかもしれませんね。

日本思想史にそびえ立つ両巨人達も、こうして人間的側面から見ていくと、より親しみが涌きます。それぞれが、それなりにご苦労されたのですね。天台宗や真言宗のお寺さんに詣でたら、こんな2人の祖師のことをちょっと思い浮かべてみると、お寺や仏像もひと味違って見えるかもしれませんね。
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