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ボーダーを越えて
26 アボカド探検家
2004年4月7日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ スターライトに跨がって、グァテマラ・シティーからアボカド探検に出かけようとするウィルソン・ポプノウ。右は助手のホセ・カブナル。(出典=Frederic Rosengarten, Jr.著 Wilson Popenoe: Agricultural Explorer, Educator, and Friend of Latin America, p.49)
▲ ポプノウ自身が1917年にグァテマラで撮影したニムリオ(グァテマラ系のアボカド)。この種は1個が1kgぐらいにもなる。(出典=上書, p.50)
▲ 現在カリフォルニアで植えられている各種のアボカド。赤い矢印が付いているのはハース。(出典=Fruit Gardener: California Rare Fruit Growers, Vol.32, No.1, Jan/Feb 2000 の表紙)
オレンジ栽培が第2のゴールドラッシュといわれるほど大成功し、オレンジで大儲けできるようになると、我も我もとオレンジ栽培をする人が急増して、オレンジは1880年代末には生産過剰になってしまいました。オレンジ栽培の成功と生産過剰は、別品種開拓への意欲を掻き立て、関心がアボカドにも向けられるようになったのです。カリフォルニアで最初のアボカドが植えられたのは1856年だという記録がありますが、南カリフォルニアのあちこちでアボカドが植えられるようになったのは1890年代初頭になってからで、メキシコやグアテマラから持ち込まれた様々なアボカドの種子を試しに植えてみたようです。20世紀初頭になるとアボカド・サラダに人気が出て、ロサンゼルスやサンフランシスコの高級ホテルではメキシコから1個1ドル(当時では大金!)も出して輸入していたそうです。それでますます、なんとかアボカドを自分で栽培して大量に出荷したいと一生懸命になる人が出て来たのでしょう。

そのころ、フレッド(フレドリック)・ポプノウという人物が、ロサンゼルスから真東のアルタディーナに西インド庭園という名の養樹園を始め、世界のあちこちから珍しい果実を取り寄せては育ててその苗を売り始めました。日本から金柑も導入して売ったそうです。ポプノウ氏はもともとはカンザス州の出身ですが、コスタリカの金鉱に投資して、一家そろってコスタリカに住んだことがあります。金鉱投資は大失敗に終わってしまい、財産のほとんどを失ったポプノウ氏は、カリフォルニアに移って養樹園経営で人生をやり直したのです。ゴールドラッシュ以降のカリフォルニアではどこにでもあるような話ですね。

いろいろな果樹の苗を扱った西インド庭園ですが、最も力を入れたのはアボカドでした。ポプノウ氏の次男ウィルソンは、子ども時代を過ごしたコスタリカで初めてアボカドと出会い、それ以来アボカドが大好きになったのだそうです。彼は植物採集に興味を持つようになり、まだ学生だった頃に栽培に適したアボカドを探し求めて南カリフォルニア中を飛び回って父親の養樹園の手伝いをしたそうです。後にウィルソンは、父親のコスタリカでの金鉱事業失敗は自分には幸いだった、と回想したとか。そうでなかったら、金持ちのぐうたら息子になって意義ある仕事などせずに一生を送ったしまっただろうというのです。

多種のアボカドがあっても、それでは大きな市場に出すことはできません。一定の質を保って品種を生み出す必要があります。そこでポプノウ氏は、南カリフォルニアの気候でもたくさん実がなるようなアボカドの木を探し出してそれを接ぎ木で増やそうと考え、まだ農業専門学校の学生だったカール・シュミットを雇って、1911年にメキシコに送り出しました。このアボカド探検にウィルソンも行きたかったのですが、シュミットが送って来る苗を接ぎ木する仕事ができるのは、農業専門学校で植物繁殖の知識と技術を学んだウィルソンしかなく、仕方なく園芸所に残ってせっせと接ぎ木をしたのでした。その中から、カリフォルニアのアボカド産業を打ち立てたフエルテが生まれたのです。(フエルテについては、「17 フエルテ」をご覧ください。)カリフォルニアのアボカド産業が確立すると、ポプノウ氏はカリフォルニア・アボカド協会を設立し、1922年には会長を務めています。

ポプノウ氏は別の品種への関心も捨てず、1912年にはナツメヤシの採集に、長男のポールと次男のウィルソンをインド経由で中近東・北アフリカへ送り込みました。ポプノウ兄弟は1年かけて1万7千本ものナツメヤシの苗木をカリフォルニアに送り込んだそうです。(おかげでカリフォルニア南部の砂漠地帯ではナツメヤシの栽培がいまでも盛んです。)この旅でポールはチフスに罹って危うく命を落としそうになったとか。ウィルソンもマラリアと赤痢で大変な思いをしたそうですが、植物学を学んだウィルソンは植物探検家になるのが夢で、病気になったからといって夢を捨てるなどとは思ってもみなかったようです。

帰国後、ウィルソンはコーネル大学招聘を蹴って、農業省の植物探検家という職に就き、ワシントンに移りました。間もなくネーブル・オレンジの探究でブラジルに、その翌年にはマンゴーの生育状態の調査のためにフロリダとキュウーバに派遣されました。そして1916年から1917年にかけて、待望のアボカド探究にグァテマラへ出かけたのです。それまでアボカドといえば、知られていたのはメキシコ系のものばかりで、グァテマラ系のものをほとんど知られておらず、ウィルソンはグァテマラ系の導入はアメリカのアボカド生産に役立つに違いないと考え、グァテマラでのアボカド探検計画を提案したのですが、それが認可されたのです。

グァテマラにはユナイテッド・フルーツ会社が進出し、バナナやコーヒーの栽培を進めていましたが、アボカド探検には道らしい道のない奥地に入って行かなければなりません。スターライトと名付けたお気に入りの馬に跨がり、ラバに乗ったホセ・カブナルという名のグァテマラ先住民の助手に伴われて、ウィルソンは16ヶ月間にグァテマラ各地を3000マイルも回り、多種多量のアボカドの種子や苗を採集してワシントンに送り出しました。その中にはニムリオのように、いまでもカリフォルニアで実をならせている種類もありますが、そうでなくとも、いまカリフォルニアにある品種の土台になっているものが多いのではないかと思います。現在アボカドの代表となったハースも、祖先の少なくとも一部はウィルソンが集めたグァテマラ系だろうと考えていいだろうと思います。

ウィルソン・ポプノウはグァテマラでのアボカド探検後、中米や南米の各地に派遣されましたが、1941年から1957年に退職するまで、ホンジュラスに創設されたパンアメリカーナ農業学校長に就任し、中米の農業発展を指導しました。ラテンアメリカ全体が好きだったというウィルソンですが、最も愛したのはグァテマラでした。1929年にグァテマラのアンティグァに崩壊寸前の古い家を買い、6年かけて修復し、カサ・ポプノウと名付けて、退職後1975年に他界するまでそこで過ごしたそうです。

1991年の世界アボカド会議でグァテマラ見学旅行に参加した際、私もカサ・ポプノウを訪れる機会に恵まれ、ウィルソンの次女でマヤ文化を専門とする人類学者のマリオンさんのおもてなしを受けました。世界中で最も美しい国は?と問われたら、私はためらわずにグァテマラと答えるでしょう。そのグァテマラで最も美しい都市のアンティグァにあるカサ・ポプノウは、余計な装飾などなく、かえってグァテマラを愛したウィルソン・ポプノウの心が反映されているように見えました。

カサ・ポプノウで描かれた肖像画の中のウィルソンは、半分に割ったアボカドを手にしています。ウィルソン・ポプノウはグァテマラと同じくらいアボカドも愛したということなのでしょう。

[追記]
オレンジの話にちょっと戻りますと、オレンジの生産過剰対策として、1893年に100人のオレンジ生産者が集まり、共同で市場拡大や販売に努めるべく、オレンジ農協を結成しました。それがサンキスト・オレンジの前身となったのでした。
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