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カラスのご馳走 |
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2004年6月17日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。 |
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▲ 山田寿太郎さん。78歳とはとても思えないほど元気で活躍中。 |
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▲ 花をいっぱいつけた寿太郎さんのフエルテの木。 |
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▲ フエルテの大木の前で、寿太郎さんとトーマス。 (写真提供=すべて中山俊明) |
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「ヤマダ・ジュタロウさんの家はどこだかわかりますか?」 と、聞いたのは、中山さん。(研究会インフォネット代表の中山さんです。)
聞いた所は、修善寺から来て沼津に入ったばかりの高速道路の料金徴集所。そんな所で有名な映画スターでもない山田寿太郎さんの家はどこかと聞くなんて、いくら中山さんが積極的で楽天家だとしても、無理に決まってるじゃない―と、私は口には出さないものの、心の中で呆れ返っていました。案の定、料金所のおばさんは「ヤマダ・ジュタロウさん?」と言ったまま、怪訝な顔をしています。 「そうです、ヤマダ・ジュタロウさんです。ジュタロウ・ミカンの‥」 「ああ、そのジュタロウさん」 なんで早くそれを言わないの、と言いたげな顔をして、おばさんは、大体どの辺にあるかはわかるけど、詳しいことはミカン集配所で聞くのが一番いいと、そこへの行き方を教えてくれました。早速そっちの方向へと向かった中山さんは、「いや、まさかわかるとは思わなかった。冗談のつもりだったんだ」と、びっくりしながら白状しました。それを同行のトーマスに説明すると、彼も大笑い。今年の4月中旬のことです。
料金徴集所からまっすぐ西に向かって海に突き当たり、海沿いの道を左に曲がると、見覚えのある風景が目の前に広がってきました。山田寿太郎さんのお宅に、私たち3人は1986年の暮に伺ったことがあるのです。もう1人のカメラマンが、日本でアボカドを生産している寿太郎さんのことを新聞で知り、4人で伊東の温泉で一泊した後に是非会いに行こうと言って、突然押しかけたのでした。山田宅に着いたところで、まず中山さんたちが寿太郎さんに話しに行ったら、「新聞に載ってから見物人が大勢来て、ちっとも仕事になりゃしねぇ」と、剣もほろろ。ごもっともなことです。でも、ここまで来て引き下がるのはやはり惜しいと、トーマスが出ていって寿太郎さんのアボカドについていろいろ質問しました。それで寿太郎さんは、この人はただ物見高いだけの素人じゃないと思ったのでしょう、態度を和らげて、丘の上のアボカドの木まで案内してくれたのでした。そのとき、3月ぐらいまで収穫できるミカンの品種を開発して、ジュタロウと名付けたと言っていましたっけ。
それ以来、是非また寿太郎さんに会い、アボカドの様子も知りたいと思っていました。それで今回は中山さんにちゃんと前もって寿太郎さんに電話で連絡しておいてもらいました。
ミカン集配所で聞くと、寿太郎さんの家はすぐわかり、海沿いの道から丘に向かって車が1台しか通れないような細い道を上り始めた所に、確かにこれだ、と思う家がありました。そこでは息子さんのお嫁さんが待っていてくれて、寿太郎さんは丘の上のミカン畑にいると教えてくれました。さらに細くなる道を上がっていくと、いました、いました。寿太郎さんも顔をほころばせています。
腰が少しかがんではいるものの、寿太郎さんは顔の色艶が以前よりいいくらいで、17年4ヶ月という時間の経過を感じさせません。股関節が痛くて手術を控えているトーマスの方がはるかに年を取ったように見えます。「寿太郎さんは有名になられたのですねぇ」と料金徴集所でのことを話すと、「ジュタロウ・ミカンがブランドとして正式に認可されたからだろう」と、寿太郎さんはお世辞も言わない代わりに自慢話もしません。全く無駄のない人で、すかさずアボカドの木へと案内してくれました。
駿河湾をはさんで富士山が正面に見える丘のてっぺんに、寿太郎さんのアボカドは立っています。樹齢50年になるフエルテとズタノで合計5本。伊豆半島の気候はアボカドに最適なのでしょう、特にフエルテは見事な大木で、トーマスをうらやましがらせるほど、花をいっぱい咲かせています。なんでも静岡県の農林試験所にアボカドを植えてみないかと誘われたのが事の始まりとか。そうやって植えた人は他にもいたそうですが、成功していまだにアボカドの木を持っているのは寿太郎さんだけ。
寿太郎さんのアボカドは17年前は毎年西友チェーンが全部買い取ると言っていましたが、いまでもそうなのでしょうか。 「いや」 どうして? 「カラスがみんな食っちまうから」 寿太郎さんのアボカドのことをカラスはちゃんと覚えていて、収穫寸前になると、どこからか一斉にやって来るのだそうです。カラスの間でも寿太郎さんのアボカドは評判らしく、やって来るカラスの数は年々増えていき、去年は400羽余も来たというのです。
もちろん寿太郎さんはカラス退治にありとあらゆる手を尽くしました。網をかけたり、銃の免許を持っている人に脅かしの鉄砲を撃ってもらったりもしたそうですが、3日もすると、あれはただの脅かしだとカラスは見破ってしまい、ズドンとやっても平気の平座だとか。寿太郎さんはすっかりお手上げのようです。
カラスのアボカド好きは洋の東西を問わないということが、これでわかりました。トーマスの所にもカラスはやって来るのです。カラスはまず、大きくなったアボカドを嘴でつっつく。するとアボカドは木から落ちる。地面に落ちたアボカドは何日か経つと熟れてきておいしく食べられる、ということを、カラスはちゃんと知っていて、その知識も広めたようです。が、サンディエゴ郡にはアボカド園がたくさんありますから、トーマスの農園に一斉にやって来るということはありません。カラスにつっつかれたアボカドは傷がつき、売り物にならないという困ったことになりますが、カラスの到来が便利なこともあるのです。
アボカドを生産者から買い付けるのはパッキングハウスだと以前お話しましたね(詳しくは「6 トーマスのギャンブル(2)」をもう1度ご覧ください)。大手のパッキングハウスがカリフォルニア全体の在庫量を見ながら先付け生産者価格を予想して、生産者に収穫の是非を勧告するのですが、パッキングハウスも商売ですから、自分達に有利に買付け価格をコントロールしがち。未収穫量が減ると買付け価格は当然上がるので、ときとして、量を大変に水増しして発表したりすることがあります。トーマスが取り引きしているパッキングハウスは小規模で独自の方針を持ち、生産者に正確な情報を提供するよう努めてくれるのですが、全体の未収穫量までは把握できません。
アボカドの収穫年が終わりに近づく頃、トーマスの農園ではまだアボカドがいっぱいなっているとき、ほかでも未収穫のアボカドは多量にあるという情報が流れていて、生産者価格はあまり上がらないということがあります。そんなとき、うちの農園にカラスがいっぱいやって来たら、「ははぁ〜ん、他の農園でも未収穫アボカドがいっぱいあるというのはウソだな」とトーマスは考える、というわけです。やって来るカラスの数が多ければ多いほど、他の所で木に残っているアボカドは少ないということであり、したがって生産者価格は近日中に上がることになる、というのがトーマスの論理です。このことを彼は「カラス指数」(crow index)と呼んでいます。
残念なことに、伊豆ではカラスの大好きなアボカドがあるのは寿太郎さんの所だけ。でも、ジュタロウ・ミカンが世に認められて、寿太郎さんは満足そう。欲がない人なのですね。 「うちのアボカドは店で売っているのよりずっとおいしいと、皆さんおっしゃるのですよ」と、寿太郎さんの無口をカバーするかのように愛想のいい山田夫人も、そんなおいしいアボカドをカラスに食い荒らされてしまうことに言及しても、たいして口惜しそうなようすではありません。ご夫婦そろって寛大なお人柄のようです。
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