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国籍あれこれ:彼の場合 |
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2005年1月15日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ 配偶者の「グリーン」カードとイギリスのパスポート (色の出が悪くて、すみません。) |
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イギリス人である私の配偶者は、国籍に対する思い入れがないので国籍に執着もしない私とは正反対である。大学を出てから母国で働いたことがなく、アメリカに30年以上も住んでいながら、国籍を変えるつもりは全くない。本人の記憶は確かでないが、1970年代初頭に大学院に入るために学生ビザでアメリカに入国したはずである。その後アメリカで仕事をすることになったので、労働許可を取り、ビジネスの投資家として永住権を申請した。たまたまそのとき、記録破りの数の移民が押し寄せたとかで、永住権を得るまでには数年待たされたが、永住権を得てから20年以上になる。
彼は毎年イギリスに里帰りする。親はもう他界したが、相続した不動産の管理のためである。80年代の半ば頃から、私もしばしば同行するようになった。その頃の彼は、こちらに戻ってロサンゼルス空港の外に降り立つと、顔中の筋肉をほころばせたものである。カリフォルニアを包む何とも言いようのない「自由」の空気。それを吸うのが嬉しかったのだ。私も日本から帰って来るたびに味わう気分と同じだった。それでも彼はアメリカ国籍を取ろうとはせず、いつまでもグリーンカードのままなのである。
グリーンカードとは、永住権の俗称で、転じて永住権保持者もそう呼ばれたりする。永住権証明カードが最初は緑色だったからだそうだが、いまはクリーム色で、俗称だけがそのまま残っている。政府機関や司法関係、また防衛産業で働くつもりがないのなら、選挙権がないこと以外は、グリーンカードも市民も普通に生活していく上で変わりはない。農業をやっている我がイギリス人には、アメリカ国籍を取る必要性が特にないのである。イギリス国籍を失いたくないとも思っているようだ。といっても、母国に対して強い愛国心を持っているわけでもない。大英帝国の歴史にもイギリス社会の停滞性にも、彼はいつも批判的である。産業革命を真っ先に成し遂げて台頭したイギリス中産階級は、世界の隅々にまで出て行きながらイギリス人という帰属意識も習慣も捨てず、その延長に国籍があったのではないかと思う。彼もそういうイギリス人なのだろう。
たしかイギリスは二重国籍を認めているはずだ、と私は数年前、彼にアメリカ市民権を取るよう勧めたことがある。彼にもアメリカに住んでいる限り、選挙に参加することで地元に対する責任を担ってもらいたいと思ったからである。また、ビジネスとか土地売買とかで何かの理由で誰かから妬み恨みを買ったり、政治的な理由で政府のブラックリストに載せられたりして、いちゃもんを付けられて国外追放という羽目にならないとも限らない。そうなったら不便きわまりないではないか。アメリカ市民であれば国外追放は避けられる。私はそういうことも考えた。
母国イギリスが二重国籍を認めるなら、アメリカ市民権を取ってもいいかな、と彼がようやく思い始めたときに、9・11が起きた。みるみるうちにアメリカ政府がファシストのようになっていく。そんな中でこの国の市民権を取るというのは、いまのアメリカ政府のやり方を支持するようなものである。私も勧める気など吹っ飛んでしまった。万が一、グリーンカードの彼が国外に追い出されることになったら、それはそれで正面から受け止めていこうではないか。もっとも、グリーンカードご当人は私などよりはるかに実質的で、そういう問題はうまく避けることをちゃんと考えてはいる。
「自分は世界市民だと思っている。だからどこに国籍があるかは問題じゃない」と、彼は言う。私もそう思う。私がアメリカ市民であるということを意識するのは、選挙のときと、国外からアメリカに戻ってきて「アメリカ市民」(US Citizen)と書かれた窓口で入国検査を受けるときぐらいだろうか。空港から外に出ても、もう以前のような「自由」の空気は感じられない。荒々しい攻撃的な態度ばかりが目について、溜め息が出る。アメリカが変わったのか、私が変わったのか…
できることなら、しばらくアメリカの外で暮らしたいという気持が、近頃ムラムラわき上がったりする。それならどこに住もうか。余生はイギリスとカリフォルニアの間を往復して過ごしたいと言う我が配偶者は、そうする前に、「自分は恵まれた人生を送らせてもらったから、どこか第三世界でお返しをしたい」と、ときどき言う。 「それなら早くそうしないと、年を取り過ぎて動けなくなっちゃうわよ」と、私は本気で言い返す。
たとえば、タンザニア。彼はそこで若い頃の8年間を楽しく過ごさせてもらった。30年ぶりに訪れた彼との再会を心から喜んでくれた村人たちは、貧しいけれど屈託がなく、卑屈さもない。私は心の大洗濯をさせてもらったものである。ああいう所にしばらく住もうと彼が言ったら、私は大喜びするんだけどなぁ… 「豊かさ」で傲慢に振る舞っているアメリカに、辟易しているから。 (続く)
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