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国籍あれこれ:選択肢 |
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2005年1月22日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ 法律の専門家などというと固そうだけれど、気さくなマークさんと祐子さん。我が家の動物たちも皆この二人が大好き。(写真提供=寺田祐子) |
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▲ 仲睦まじいケンさんと陽子さん。うちのパーティーにもよく来て手伝ってくれる。 |
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アメリカ市民権申請についての法律の確認を、ニューヨークの移民法専門の法律事務所でパラリーガル(paralegal)として働いていたことのある祐子さんにお願いした。(弁護士助手とか補助員とか訳されているパラリーガルは、ただの事務員ではなく、法律の知識が相当必要である。)
祐子さんは同じ事務所でこれまたパラリーガルとして働いていたマークさんと婚約。そのマークさんが本格的な弁護士になろうと決心してサンディエゴのロースクールに入学した。約1年前に結婚した祐子さんは、私の配偶者と同様に、グリーンカードのままでいいと思っている。
日本政府は原則として二重国籍は認めないので、アメリカ市民権を取った私は日本国籍を失ってしまったと既述したが、実は日本政府に二重国籍承認を求める署名運動があると、祐子さんが教えてくれた。(以下のサイトに全容が載っている。)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4037/citizenship/dual-citizenship.htm
この運動は集めた署名を毎年6月の通常国会に提出するそうで、祐子さんも署名に参加している。「将来のオプションを出来るだけ多く残しておきたいから」、日本が二重国籍を認めないうちは、アメリカ国籍を取るつもりはないと言う。 「もしかしたら再び自分の意思で日本に住むことがあるかもしれないし、家族は日本ですから、将来親の介護などのために日本に長期滞在する場合も、日本のパスポートがあれば問題なしです」 なるほど、賢明かつ堅実な考え方だ。
祐子さんは子どもを持つことになった場合のことも考えている。 「子供の意思で日本、アメリカ、どちらでも好きな国を自由に選べる権利を残してあげたいという思いもあります」と。 アメリカは生地主義なので、親の国籍には関係なく(たとえば両親が日本国籍でも)、アメリカの地に生まれれば、自動的にアメリカ市民となる。アメリカ国外で生まれても、少なくとも片方の親がアメリカ市民であれば、出生届を出せば子どももアメリカ国籍となるのはもちろんである。
一方、日本は血統主義なので、必ず親の一方が日本国籍を持っていなければいけない。以前は日本国籍保持者が父親でなければ、子どもは日本国籍を与えられなかった(つまり、父系主義)。そのため、米軍人男性と沖縄女性との間に生まれた子どもは、父親がアメリカ領事館に出生届を出さなければ無国籍となってしまうという問題が沖縄で続出したのである。この性差別に基づいた父系主義は、1985年の国籍法改正で父母両系主義に改められた。そこで日本国籍保持者である祐子さんが子どもの出生届を日本領事館に提出すれば、子どもも日本国籍になる。しかし、22歳になったら、日本国籍かアメリカ国籍かを選ばなければならないと日本の国籍法は規定している。祐子さんはその選択を子どもができるようにしておこうというのである。
「私はオプション好きな人間なんです」と言って、祐子さんは笑う。そうなったのは、永住権を取ってアメリカに住もうと決めてからだそうだが、選択肢をいくつも持つということは、自由の幅を広げることにつながるものである。
身近にいるもう1人の日本人でグリーンカードの陽子さんも、同じように考えている。日本政府が二重国籍を認めないことに、まず引っかかるという。将来は家族や親戚や友人のいる日本で暮らしたいと思うかもしれないから。一生アメリカに住んでいたいかどうか、わからない。結局は「だれの近くに住みたいかというのが大きな決め手になる」だろうと言う陽子さんも、自由に選べるオプションを手放したくないのである。
一方、陽子さんのお連れ合いのケンさんは香港出身で、BNO(British National Overseas)という香港居住者のパスポートを持っているが、1999年にアメリカ国籍も取得し、現在は二重国籍である。コンピューター関係の仕事をしているが,それと国籍とは無関係で、グリーンカードでも何の不自由もないのだが、BNOだと日本入国のたびにビザが必要である。アメリカのパスポートだとビザなしで入国でき、陽子さんの里帰りに同行するするのにいちいちビザを取る手間が省ける。それがアメリカ国籍を取った第1の理由であったという。BNOだと中国本土へも自由に行き来できるので、ケンさんは三重国籍も同様である。1997年に香港の中国返還にに先立って、他国の国籍を取得しておこうという香港人が大勢いたが、ケンさんのような理由は例外的だろう。
夫婦で国籍が異なるというのはちっとも珍しくない。家族全員がそれぞれ違う国籍の場合もある。シンガポールに住んでいたときに知り合ったポルトガル系オーストラリア人は、事業をする便宜上シンガポール国籍を取ったが、妻は香港出身でBNO、息子は生地のオーストラリア国籍だった。政情不安な国の富裕な家族は、財力を駆使してもっと意図的に子どもたちの間で国籍を分散させたりすると聞いたこともある。
が、祐子さんも陽子さんも、便宜上の理由だけでアメリカ国籍取得をためらっているのではない。祐子さんには「アメリカ合衆国の一員になるということに強烈な抵抗」がある。「もし今仮に二重国籍が日米両国から認められていたとしても、今のアメリカの状態では、アメリカ国籍取得を躊躇する」だろうと言う。陽子さんも「最近のイラク戦争や資源の無駄遣いの超大国であることなど、その傲慢さに辟易する」ので、アメリカ市民になりたいとはどうしても思えないと言う。
32年前にアメリカ国籍を取ってしまった私だけれど、いまだったら、同じような理由で躊躇するだろうと思う。が、日本の国籍に未練があるのではない。少々不便を感じるぐらいである。再び日本に住むかもしれないなどとは考えたこともなかったし、親もいなくなっていたので親の介護の可能性もなかった。とはいえ、自分自身の生き方を振り返ると、選択肢をさっさと捨てることによって状況を切り開いてきたように思える。選択肢とは非現実的な単なる概念に過ぎないという考えが、私の心の奥底に潜んでいたような気がする。子どもの頃の親の離婚や、学生時代の母の他界という、自分ではコントロールできないことに人生が大きく左右されてきたからかもしれない。 日本国籍を失っても,私が日本人でなくなることはもちろんない。学生時代に知り合った中国系シンガポール人と結婚しようと思ったときがあった。そのときは、彼と結婚したらシンガポール国籍を取るつもりであった。シンガポール社会を鉄の拳骨で支配していたリー・クァンユー政権のやり方には反対だったが、当時のシンガポール人の間ではまだ、占領中の日本軍の残虐行為が生々しく語られており、日本国籍を離れることによって、自分が背負った歴史責任を間接的に果たそうという気負いが、私の心の片隅にあったように思う。日本人であるが故に考えたことであった。
[追記] 現在香港政府が発行する新パスポートだと、日本へビザなしで入国できるそうである。
(国籍についてあれこれ考えるのは、これで一応終わりにします。)
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