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ボーダーを越えて
34 番外編:クリスマス・ディナー
2004年12月27日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 12人でひたすら食べ、おしゃべりしたクリスマス・ディナー。
▲ デコレーションはないけれど、クリスマスツリーを植えたニックの「家」。
感謝祭に引き続き、クリスマスにも17ポンド以上の七面鳥に中華式ソーセージと栗の入った中華風おこわを詰めて、こんがり焼きました。それを友人たち10人と我々夫婦の合計12人でほとんど食べ尽くしてしまったんですよ。食事の後には、サンタアナの風で落とされてしまった立派な大きさのアボカドを好きなだけ持って帰ってもらいました。

食べるために集まるようなクリスマス・ディナーですが、この1年を無事過ごすことのできた幸運を、友人たちと分け合うことに意味があると、私も連れ合いも思っています。ですから、前夜は下準備、当日は料理と家の掃除に一日中アタフタしますが、それもちっとも苦になりません。

実はもう1人ディナーに呼んだのですが、その人は来ませんでした。ニックという名のホームレスのおじさんです。

おじさんといっても、私より若いかもしれません。口を開けると前歯が全然ないし、顔の皮膚がカサカサしているのでちょっと年寄りくさく見えますが、身体はガッチリしているし、歩く姿は力強い壮年の感じです。

我が家から1マイルのところにフリーウェイ(高速道路)があり、それに平行して通っている自動車禁止の道へ、私はよく犬たちを運動に連れて行きます。その道の入り口はフリーウェイの下になっていますが、そこに大きな木の箱があります。その周囲にはだれかが暮らしているような気配は全くありませんが、その箱がニックの「家」なのです。さぁ、いつごろからそこに住んでいるのでしょうか。毎日のように見かけていた海岸への道を歩いている人がその箱に住んでいるのだと気がつくまで、しばらく経ちました。ビーチにある公共バスルームにはソーラーパネルがあって、ぬるくはあってもお湯が出るので、彼はそこで毎日シャワーを浴びているのでしょうか、身なりはいつも清潔です。彼がどういう人なのか、話をしてみたいと、私は次第に思うようになりました。

今年の春頃、犬を散歩に連れて行った時、どこかから帰って来た彼とぱったり出会い、これはチャンス、と、「ハロー」と声をかけてみました。いつも人と目が合うのを避けて歩いているような人でしたが、彼もニッコリして「ハロー」と答えてくれたのです。

それ以来、挨拶の交換から、短い会話を交わすようになり、夏の終わり頃には長々と彼の話を聞いたりしました。そのとき、彼の名がニックというのだと教えてもらい、海軍の通信技師だったこと、600ドルの所得税未払いで車を取り上げられたのが没落の始まりとなったこと(アメリカでは車がないと普通の生活はなかなかできませんからね)、妻に見捨てられ、成人した娘にも見放されていることなどがわかりました。彼自身は言わないけれど、そうなる前に荒れた生活をしていたのかもしれません。そのとき、彼は「この国は、個人が人間であることを否定している」と、怒りをぶちまけるように言ったのです。

「そうよ、戦争なんかにお金を使わないで、国は助けを必要としている市民の生活をしっかり守るべきよね」
「戦争? この国がどこかと戦争してるのか?」
「イラクよ。この国の政府が勝手にイラクにしかけた戦争のことよ」
「イラクと戦争なんて、あれは1991年のことじゃないのか」
なるほど、ニックは毎日黙々と歩き、スーパーで食べ物を買い、夕方に箱に帰って来るということを繰り返しているだけで、誰とも話す機会もなければ、テレビを観ることもなくて、彼には世界の情報など全く入って来ないのですね。いえ、そうやって生きていくだけで精一杯で、自分の世界の外で何が起こっているか、考える余裕もないのでしょう。「神はみんなをちゃんと見ていてくれると思う」と、自分を慰めるように繰り返し言います。かと言って、キリスト教原理主義者でもなさそうです。

サンディエゴの町の真ん中へ行けば、市や民間慈善団体のなんらかのホームレス対策を受けられるのに、デルマーのように高所得者が集中している場所にはそういうものは全くありません。ニックはなぜそんなデルマーから離れようとしないのか、私には不可思議です。でも、理由を彼に聞いたことはありません。ただ一度だけ彼は、「ここはいい所だ。ある一定の階層の人だけのものじゃない」と言ったことがあります。確かに、その通りではあります。

海軍に働いていたことがあるのなら、金額は少なくても、政府から何らかの支給金が出ているはずで(それは小切手で来ますから、住所のない彼はどこでどうやって受け取っているのか不思議ですが)、食べ物に飢えてはいないでしょう。話をするようになってからも、ニックは私に物乞いをしたことなど、一度もありません。でも、どんなにかみじめな思いで生きていることでしょうね。毎晩、箱の中の暗闇でひとりぼっちで過ごす彼の淋しさは、正直言って、私には想像しきれるものではありません。

そんなニックを、クリスマス・ディナーに呼ぼうか、と感謝祭が過ぎた頃から私は考え始めました。でも、私にはなかなか決心がつきませんでした。ニックはかえって気まずい想いをするかもしれないし、友人たちは彼にどう話していいのか困惑するかもしれない。それに、連れ合いには「そんなセンチメンタルなことを」と叱られるかもしれない、と。

そのままグズグズしているうちに、クリスマス前日になってしまいました。夕方、犬の散歩でニックの「家」の前を通ると、彼は不在でしたが、「家」の周りに小さなクリスマスツリーが植えてある… 「普通の生活」に戻りたい彼の気持が、その小さな木に一生懸命に表されているのを見たとき、私の心は決まったのです。

「ニックをクリスマス・ディナーに呼びたいんだけど」
帰宅した連れ合いに、私はすぐ話しました。ニックのことは前から何度も彼に話してあったのです。
「うん、いい考えだな」と、彼はあっさり言ってくれるではありませんか。(自分の連れ合いの寛大さを見くびっちゃいけない、と反省。)
もうすっかり暗くなっていたので、車でニックの「家」までとんで行きました。ノックすると、ニックが箱の蓋を取って首を出します。
「ニック、あしたのクリスマス・ディナーに是非来てください」
「えっ? … 気持はありがたいけど… ワイフか娘が助けてくれなきゃ…」
「でも、あしたうちに来る友だちはみんなここには家族がいない人たちばかりなのよ」
「うん… でも… 気持だけもらっておくよ」
ニックの気持は硬いようです。無理押ししたら、彼にかえってみじめな思いをさせることになってしまうかもしれません。
「それじゃぁ、あなたの分のクリスマス・ディナーを持ってくるわ」
「いいよ、そんなことしてくれなくって。気持はありがたいけど…」
そう言うと、彼は首を引っ込めました。

クリスマスの当日、みんなで食事を始める前に、七面鳥や詰め物やその他の副食をピクニック用のお皿に、小さいお皿にはクッキーを載せ、そして熱いコーヒーを保温マッグに注いで、車でニックの「家」まで持って行きました。ノックすると、すぐ彼は蓋を開け、立ち上がって上半身を出し、「ありがとう」と、躊躇せずに受け取ってくれました。ディナーを待っていたようです。

家族か国が救いの手を差し伸べてくれるのを待っているニックは、ゴドーを待っているのと同じこと。このままでは何の展開もないでしょう。彼の仮の「家」である箱だって、いつ取り去られるかわかりません。クリスマス翌日にはスマトラ沖での大地震による大津波で多くの人が一瞬のうちに命を奪われてしまったというニュースが… いま、こうして生きている幸運に感謝しつつ、1日1日を大切に生きていこうという思いを、改めて噛みしめています。
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32 お刺身パーティー
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28 三つ子の魂
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