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訛った英語 |
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2005年3月11日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ ワシントンのポトマック河畔の桜の始まりは、1912年に東京から贈られた3020本。そのうち現存しているのは150本だけで、あとは全部植え替えられた。この写真撮影は2000年3月20日。 |
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▲ 1年中色鮮やかな我が家のブーゲンビリア。色鮮やかなのは花ではなくて葉っぱである。真ん中の小さな白いのが花。原産地はブラジル。 |
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「外国人の私のしゃべることばを、アメリカ人は日本人より親切に辛抱強く聞いてくれますね」 そう言ったのは、日本で大学教員をしている韓国人研究者である。いまは完璧な日本語を話すけれど、日本の大学院に留学した当初は、まず日本語習得に大変なことだったろう。カリフォルニアで1年間研究生活を送っていったのだが、英語も読み書きには不自由しなくても、話したり聞いたりするのに最初は慣れるまで苦労したと思う。その2つの体験から彼が引き出した感想なのである。それはなんとなく想像がつく。
日本では日常生活で外国人と日本語で話すことは少ない。いや、ほとんどの人にはそういう機会はないと言っていいだろう。だから好意的に解釈すると、完璧でない日本語に接することがないと、外国人訛りや文法的誤りには寛容でないのかもしれない。もちろん、違う人種、特に欧米人が日本語を話す場合は、ちゃんと話せなくて当たり前と思う逆偏見もある。
一方、カリフォルニアにはいまでも移民がどんどんやって来る。サンディエゴには、東南アジアやアフリカからの難民が集中して住んでいる一画がある。彼らにメキシコや中米からの移民が混じり、その地区の小学校に通う子どもたちが話すことばは、35カ国語にも上るそうだ。また、大学の周囲には一時的に滞在する外国人研究者やその家族が、都市部にはビジネスの駐在員やその家族が多い。だからカリフォルニア人は、外国訛りのある英語を耳にすることに慣れているといえる。
2000年の国勢調査によると、英語以外のことばが話されている家庭に暮らす5歳以上の人は、カリフォルニア全人口のなんと39.5%(アメリカ全国では17.9%)にも達する。つまり、10人のうちほぼ4人は家に帰ると英語以外のことばで生活しているのだ。(この統計には、私のように英語が母国語でなくても家で英語を話す者は含まれていない。)
ヨーロッパ系アメリカ人(白人)はアメリカ全国では全人口の69.1%を占めているが、カリフォルニアでは人口の半数を割って46.7%である。残り53.3%の中で大多数を占めるのは、ラティノ(Latino)と呼ばれるスペイン語とポルトガル語を母国語とする人たち。アメリカ全人口の12.5%を占めるラティノは、その半分がカリフォルニアとテキサスに住んでおり、カリフォルニアの人口の32.4%に上る。近年はラティノ人口はアメリカ中に広がりつつあり、数も急速に増え、2000年には3530万だったが、2020年には7000万、2050年には1億になるだろうと予測されている。(ちなみに2000年のアメリカ総人口は2億9千万強である。)
マイノリティの人口が増えると、自分たちの政治経済基盤に対する「侵入」として脅威を感じる白人たちもいて、それが長年の有色人種への偏見や差別とつながっていく。「外国語訛りの英語を話しても受け入れられるということには、限界がありますよ」と、冒頭の韓国人研究者の言葉に、私は釘を刺したものである。外国語訛りのある英語がどこまでも受け入れられると考えたら、しっぺ返しを食らうこともあるからである。
たとえば、こんな実験がある。人種や民族、宗教、性別などを理由に住居を貸さないというのは法律で禁止されているが、ちゃんと守られているだろうか。それを調べるために、まずラティノ系の姓名を名乗ってスペイン語のアクセントをつけた英語で、「広告に出ていたアパートを借りたいのですが」と電話してみる。すると、「残念ながら、もう借り手があります」と言われる。次に、黒人独特のアクセントで同じように電話する。返事は、「空きアパートはもうありません」という。今度はアングロサクソン系の姓名で、中流白人らしい英語で同じことを聞いてみると、「まだ空いていますよ」という返事があったりするという。そういう差別をしたことがわかると、罰金を課せられるのだが、まだ根絶できていないようだ。
アメリカ国内にも方言や各地方の訛りというものはある。南部の出身者は、テレビや映画に出たければまず南部訛りを捨てる努力をするといわれている。が、アメリカではアクセントと偏見差別とが密接に結びつくのは、人種民族である。
さて私のアクセントはどうか、というと、習った英語はアメリカ英語だが、もちろん日本語訛りがあり、おまけにイギリス人と長い間同居しているためにイギリス式アクセントもいつの間に混じってしまっている。非営利団体への勧誘や寄付の電話がかかってきてちょっとおしゃべりすると、「あなたのアクセントはどこのですか?」と聞かれることがある。意地悪な私は、「どこだと思う?」と逆に聞き返す。すると相手は困ってしまう。アメミヤという聞き慣れない名字をたよりしようとしても、かえって混乱するばかりだ。 「ポルトガルかなぁ」と言った人もいる。 「イラン?」と聞かれたこともある。 それでも私はすぐには正解を教えない。こんなゲームでも楽しまないと、いちいち勧誘電話になど応対していられないもの。
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