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葉山日記
107 「変人たち」の一瞬
2009年12月28日
中山 俊明 中山 俊明 [なかやま としあき]

1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。

ニックネームはTOSHI、またはiPhone-G(爺)
ことし、かつて同じ現場で大スクープ写真を撮った2人のカメラマンが亡くなった。

長尾靖(元毎日新聞カメラマン)5月2日、享年78歳
大友誠一(元共同通信カメラマン)10月10日、享年77歳

長尾は、1960年10月12日、浅沼稲次郎社会党委員長が17歳の右翼少年に刺殺された瞬間を撮影(上)して翌年に日本人初のピューリッツァ賞を受賞。大友もほぼ同じ瞬間の写真(下)を撮ったが、受賞を逃した。あの大スクープをカメラに収めた2人のカメラマンが同じ年にほぼ同年齢で死去したことになる。

この写真のことは本エッセイ欄でも何度か書いたことがある。ことさら記憶に鮮明なのは、当時僕は中学2年生で、新聞で見た写真に異様な衝撃を受けたからだ。後に自分が報道写真にたずさわることになるきっかけを作った写真であることは間違いない。共同通信に入社したとき、「憧れのカメラマン」を真っ先に探した。現れた大友は甲高い声で早口の、想像していたカメラマン像とはだいぶ違っていたが、九州の田舎町から大都会の報道最前線にたどり着いたという感慨で僕自身は興奮していた。

だが、職場に慣れてくるに従い、社内で大友はある種の「変人」扱いされていることがわかってきた。その理由が、彼が「資料魔」「異常なほどの記憶力の持ち主」で、「新聞の切り抜きの山のなかで暮らしている」ということ、「30代半ば過ぎで未だ独身」ということだった。前三者はジャーナリストにとってはむしろ誇るべき才能だし、最後のは「そういう時代だったのだな」と笑ってしまうようなことだ。ならば、現代は変人だらけの時代ということになる。

結局、生涯会うことはなかったが、長尾の方も職場ではかなり「変人」扱いされていたようである。彼のことは沢木耕太郎の「テロルの決算」(文春文庫)に頼るしかない。

《長尾には、およそ特種(だね)意識などないようだった。給料分だけ仕事すれば、あとは自分の好きなことをすればいい、デスクの叱声など意に介さない、というような生き方をしていた。よく言えば肝っ玉が太く、悪くいえばずぼらだった》。つまり、昔は多かった無頼派ジャーナリストというところか。

当時の現場に戻ろう(時代背景などに興味がある方は「浅沼稲次郎暗殺事件」でウェブ検索してみてほしい)。浅沼委員長の演説が始まると、演壇向かって左側座席の方で、右翼たちが野次を飛ばしたり、ビラを撒いたりして騒然となった。他社のカメラマンたちも、警備の警官もそちらに気を取られ、「守備位置」を徐々に騒ぐ右翼の方に移動させた。右翼とは「大日本愛国党」(赤尾敏総裁)である。

《なかでも仕事熱心なカメラマンは、報道記者席を離れ、さらに何かが起きるのではないかという期待から赤尾に近寄り、脇の通路に陣取った。しかし、毎日新聞の長尾は、ずぼらを決めこみ、舞台前の報道記者席を動こうとしなかった》

動かなかったのは大友も同じだ。沢木の表現に倣えば、大友も「ずぼらを決め込んだ」。だが、運命の女神は皮肉にも、この2人の「ずぼら」に幸運をプレゼントしたことになる。暗殺は「仕事熱心なカメラマン」からは、浅沼と右翼少年がまさに殺到する人々の陰となる位置、長尾と大友からはさえぎるもののない真正面の位置で起きたのだ。運命の皮肉というしかない。

「仕事熱心ぶり」は演壇右側を固めていた警備担当者も同じで、騒ぐ右翼の動きに合わせて左へ移動している。つまり、演壇右側ががら空き状態になってしまったところを犯人に突かれた。もっとも犯人の山口二矢も「隙を突いた」わけではなく、「進んでいったらどんどん進めてしまった」という「幸運」に恵まれただけだったらしい。

では同じ瞬間を捉えたはずの長尾と大友の差はどうして生じたのか。シャッターチャンスでいえば、大友の写真のほうがすぐれている。大友の写真は右翼少年が委員長に日本刀を突き刺したまさにその瞬間を捉えた(これが致命傷でほぼ即死状態だったらしい)。

長尾のシャッターはそれから1、2秒(推測)遅れた。だがそのシャッターチャンスの「遅れ」が長尾にピューリッツア賞をもたらした。長尾の写真は、ひと突きされた委員長が演壇左によろよろと数歩出て全身を現し、眼鏡がまさにずれ落ちようとした姿に向かって、少年がふた突き目に入ろうと身構える瞬間を捉えた。後方には3人の弁士の垂れ幕までが、写真をドラマチックに盛り立てるがごとく写っている。

2人の写真の「差」には実は理由がある。写真評論には定評のある沢木にしては、《彼には、当時は毎日新聞にしかなった高性能の写真機があった》と軽く触れているだけだが、僕の取材ではそうではない。当時売り出されたばかりの「ストロボ」を長尾は持っていたのだ。一方、大友は閃光バルブ。両者の閃光時間は片や1000分の1秒に対して、片や80分の1秒。十数倍の差がある。長尾の写真がピタリと止まっているのに対し、大友の写真がややぶれたように見えるのはそのせいだと思われる。沢木がもし2人のカメラマンにもうすこし踏み込んでいれば、本はより深さをましただろうと思われ残念だ。

僕の推測では、沢木は執筆に当たって長尾にインタビューを断られたのではないか。もしくは、当時フリーになっていた長尾の居所がつかめなかったのか。少なくとも大友に取材していれば、ストロボの差が写真に出た、ということは当然話したはずだ(大友は数年前の僕の電話取材にははっきりとそう答えた)が、その形跡はない。

それにしても、沢木の、長尾に関する表現にはいくばくかの「悪意」めいたものが僕には感じられる。すくなくとも「ずぼら」という表現は、当人が自分のことをそう表現した場合にかぎり使えるのではないか。周辺の人物評で、長尾の人物像を組み立ててしまったのではないか。

長尾はピューリッツア受賞で舞い上がってしまったらしい(これは筆者の推測)。無名の新聞社カメラマンがとつぜん脚光を浴び、賞賛の嵐に包まれる。年齢30歳前後、長尾の立場に立てばそれも無理はない。翌年ニューヨークでの受賞式に臨んだあと、社の帰国命令を無視してそのまま諸国を旅して回ったらしい。「変人」の面目躍如といったところだ。あまりの無軌道ぶりに帰国後社内の居心地がよくなかったのか、それとも他に考えるところあったのか、62年1月には毎日を退社している。

長尾はその後二度と世間の注目浴びることもなく、ことし5月2日、静岡県南伊豆町下賀茂の自宅アパートを訪ねた知人により死亡しているのを発見される。死後数日が経過していると推測された。生涯ひとり暮らしを通したという。

一方の大友はその後結婚し、共同通信を定年まで勤めあげた。少なくとも僕が電話した数年前には以前と変わらぬ博覧強記と記憶力を示していた。「同じ瞬間を撮り、相手がピューリッツァ賞というのは、どんな気持ちなんでしょう」という僕のぶしつけな質問に、大友は若いころとかわらぬ早口でしゃべりまくり、いつの間にか話題を変えてしまった。意図的にそうしたのか、それとも耳が悪くなっていて質問が聞こえなかったのか。いまとなっては確認しようがない。

この原稿を書くにあたって、共同通信の僕の同僚で、大友の大学の後輩である人物から連絡をもらった。

《大友さんの訃報を聞いたとき、私はその原ネガを探し出し、じっくり見ました。4×5フィルムが1枚。共同の出稿は上半身のアップですが、元は全体が広く写ったものでした。よく見ると画面左端には制止しようと駆け寄る人物も闇の中に写っていましたし、山口二矢の片足が宙に浮いて体重を浅沼にぶつけているのがよく分かります。アップはよいとして、どうして全体の分かるカットを出稿しなかったのか当時のデスク判断は疑問です。またそれが固定されて、その後もアップしか出なかったのは、硬直化しているというか、怠慢というか残念です。大友さんの死を契機に、左端の人物(フォトショップで救えました)を入れた広いカットを作り、データベースに追加登録し、お通夜の祭壇に供えました》

「制止しようと駆け寄る人物の足」とは浅沼担当の警察官に違いない。あと数秒気がつくのが早ければ、そして駆け寄るのが早ければ、彼は一生悔やむ人生を送らなくて(いまも存命の可能性は十分あるが)済んだかも知れない。ひとつのドラマは無数のドラマを生む。写真は意図せずそれらの痕跡を写し取るのだ。

「変人」と言われたカメラマンたちの、青春時代の文字通り一瞬の光芒。死の床のなかであの一瞬が薄れゆく意識のなかに浮かびあがったのかどうか、これも確かめようのないことだ。

=文中敬称略=
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