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妻との会話 |
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2010年1月16日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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ハイチでは大地震、10万人単位の死者が出ているという情報もある。日本海沿岸は寒波で大雪。そんなニュースがうそのように関東は穏やかな夕暮れ。1歳の孫を抱いて2階ベランダに立ち、茜色に染まっていく夕空を眺める。
仕事部屋に戻れば暖房が十分に効いているし、数台並んだコンピューターからは居ながらにして絶え間なく世界の情報が入ってくる。冷たいコーラを飲みながらそれらに眼を通す。あと1時間もすれば、元気いっぱいの家族とのにぎやかな食事が待っていて、そのあとは浴槽にたっぷりお湯をためてふんだんなシャワーで入浴。
平和な日々。だがそういうとき限って「それでいいのか?」という「ささやき声」が聞こえてくる。根が貧乏性なのか、平和で穏やかな時間が続くとなにやらモゴモゴと落ち着かなくなる。こんな時間がいつまでも続くはずはない、という不安感に襲われ、不機嫌になっていく自分がいる。とはいえ、ここ数年、「平和」は続きっぱなしで、さしたることは起きない。
妻にそういう話をしても「あなたはどうしてそんな考え方をするの?」と不思議そうな顔をする。日々が何事もなく流れていき、家族が健康で仲良く暮らす、それが人生にとってはいちばん大事なことでそれが当たり前、何事も起きないのがむしろ正常、、あなたのように好き好んで波乱を求めたり、人生これでいいのかと考える生き方は考えすぎ、これでいいのよ、とあっさりしたものである。夫婦の会話は、たいてい、こんなに考え方の違う2人がなぜ結婚したのかしら、で終わる。
たしかに違う。僕は、ペシミスティックで、妻は楽天家。そこで僕は結婚当時の妻の状況を仔細に聴いていく。今ごろこんな分析作業もないものだが、考えてみれば、もし「生き方」を当時の2人が真剣に話し合っていたら、とても結婚という結論はなかっただろう。つまりお互いがお互いのことを何も知らず、直感と成り行きと思い込みだけで結婚してしまったようなものである。
妻へのヒアリングの過程で面白いことがわかってきた。結婚適齢期の彼女は、少々人生にいらだっていたのである。家庭には「家族のために生きる」と宣言した父親がいた。職業軍人で、日本の敗戦で目標を失い、「残る余生は家族のために生きる」と決意した男。仕事は実直、生き方はまじめそのもの、自分のことより子供たちの幸せをなにより優先した男。しかし彼女の中には「面白みがない」という鬱屈とした思いがあった(と僕は結論付けた)。
そして就職して1年が経った職場。外資系企業の福岡支店。給料はよく、東京から転勤してきた結婚適齢期の男性3人がいた。彼女の仕事は単純な事務作業だったが、それ以上のことも求められず、社長以下社員全員が彼女に求めたのはその3人の男性社員のうち、結婚相手として誰を選ぶのか、ということだけ。
つまり、家庭でも、職場でも彼女なりに、このまま結婚して平凡なサラリーマンの妻になり、安定した家庭を築いていく、そんな生活はたまらない、面白くない、という焦燥感のような思いがあったのだろう(と僕は結論付けた)。
そんなとき、突然、さっそうと(かどうか知らないが)、中学時代の同級生が現れた。点取り虫で線の細い、学生時代はなんの魅力も感じなかった男の子だったが、ん?久しぶりに会ったらちょっと変化したじゃん。報道カメラマンで仕事の話は面白いし、自分の周辺にいる男たちとはひと味違う。「このひととと一緒にいれば、自分の人生は、もっと面白いものになるんじゃないか、と思った」(これは本人供述どおり)。若干?はあるにしても、卒業して1年でこんなに変わった。それならこれからもこの男はどんどん変わり、成長していくに違いない。と、まあ僕のことを、勝手に拡大解釈してしまったわけだ。
「ということはだ」と僕は高飛車に出る。「君はつまり、人生に冒険を求めていた。自分では冒険はできないが、それを僕に仮託したというわけだわけだ」。「そうかも知れないわねえ」と妻はしぶしぶ同意する。「ということはだ」と再び高飛車。「自分の思い描いたとおり、平凡じゃない、退屈じゃない人生が送れているじゃないか」。
自分の夫と比較して、結婚後、亡父がいかに偉大であったかか見えてきた。今になってみると、「家族のために」定年まで会社を勤め上げ、いま年金で安定した生活をする、かつては「面白くない」と思った男たちを再評価する思いが、いまの彼女にはあるに違いない。
「後悔してる?」「自分が決めたことだから後悔なんてしないわよ」。「後悔はしないけど、あなたがもう少し家族の安定した生活を考えてくれてたらねえ」。「バカ、安定と冒険は両立しないんだ」。「3人の男のうち1人を選んでおけばよかったか?」「学生時代にお前にお熱をあげてたという、あとで大学教授になったとかいう男を選んでおけばよかったか?」「田舎町の医者の奥さんでのんびりとやりたかったか?」。会話はいつも同じ。
「人生ってなんだろうね。生まれて、泣いたり、笑ったり、いろいろなことがあって、やがて死んでいく。いずれ子供たちも同じこと言いながら死んでいき、孫たちも同じことを繰り返す」「だから私がいつも言っているでしょう。なにげない日常のなかで、何気ない幸せを感じて生きる。人生はそれだけ。あなたのように人生これでいいのか、人間の生きる意味は、なんて考えたって仕方ないのよ」。
「ハイハイ考えたってナーンニモならないことは考えない。明日も早いんだから寝ますよー」。単細胞めが、小市民めがと僕はつぶやくが、単細胞で生きた方が幸せかもしれんなあ、と思いつつ枕元のスタンドを消す。
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