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ガルテン〜私の庭物語
1 シーボルトが導いた日本庭園
2017年2月21日
原田 美佳 原田 美佳 [はらだ みか]

東京都出身。学生時代から長年関わった韓国文化院を2015年末に退職。現在は、日本ガルテン協会の広報部長の仕事をしながら、これまで関わってきた韓国文化を日本に紹介するための著作、交流活動を中心に自分のライフワークを模索中である。共著書に『コンパクト韓国』(李御寧監修)、『読んで旅する韓国』(金両基監修)、「朝鮮の王朝の美」、『朝鮮王朝の衣装と装身具』などがある。
▲ ▲シェーンブルン宮殿のパルメンハウス(植物園)<写真 左>と
明治天皇が贈ったシーボルトの碑。
▲ ▲山田貴恵(左端)と担当庭師のアンタル氏(右端)<写真左>と山田、原田、フィシャー・コルブリー庭園局長(右端)。
▲ ▲手水鉢を発見して蔦を取り除く母、京子。
現在、私が所属している「特定非営利活動法人 日本ガルテン協会」は、妹、山田貴恵がオーストリア・ウィーンのシェーンブルン宮殿内で日本庭園を発見してから始まったものである。

夫のオーストリア転勤についていったウィーンで、ペーター パンツァー、ユリア・クレイサ著の『ウィーンの日本―欧州に根づく異文化の軌跡』(佐久間穆訳、1990年、サイマル出版刊)を読んで、明治天皇が贈ったシーボルトの石碑を見にシェーンブルン宮殿に出かけた。

ウィーン・シェーンブルン宮殿は、年間650万人以上が訪れるというオーストリア最大の観光名所であり、マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットがここに滞在している時、6歳の神童モーツァルトが招待されて、求婚したとか、映画「会議は踊る」でも知られるウィーン会議がここで開催されたハプスブルグ家の夏の離宮で、美しい泉があったためにシェーンブルン(美しい泉)と命名したと伝えられている。

さて、お目当てのシーボルトの石碑の場所は、植物園と動物園のあいだということで、あちこち探しまわったが見つからなかったそうだ。緑のアールヌーボー風の植物園の建物と、広い動物園の間には、なにやらこんもりとした上の方には立てた石などと、真中あたりに池がツタの合間から見えた。石を立てて置くのは意図があってのもので、とくに、三尊石組は仏教思想の仏像の三尊仏のように立てる。

シェーンブルン宮殿内の周りの雰囲気と少し異なり、日本庭園のようなちょっと違和感のある場所だった。そこで、写真を撮り、「アルペン・ガルテン(アルプス風庭園)」と呼ばれている石庭が、何だか日本庭園のようなところがあるし、ウィーンに一度、遊びに来ないかしら」と連絡がきた。1996年のことだった。

父は、古くから日本建築学会や庭園協会などに所属しており、私たちが幼いころから母と日本だけではなく、世界中を旅行して、フランスの建築家コルビジェやアメリカのF.L.ライト、スペインのA.ガウディといったよく名建物などを見てまわっていた。

そこで、すぐに母と、妹のいるウィーンに遊びに行ってみようということになり、シェーンブルン宮殿に旅立った。三尊石組や、園路や池らしきものが蔦の間からちらりと見え、「これはそうだろう!」ということになって、写真もたくさん撮って帰国した。

ちょうどその頃、日本庭園学会が発足して母校の大妻女子大学で大会が開催されるという。写真などを持って父とともに学会に行き、学術調査に行ってみませんかと話してみたが、多くの方々がけんもほろろの反応だった。

ウィーンの観光名所であるシェーンブルン宮殿に日本庭園があるとは思えない、訪問客も年間何十万といるのに日本庭園が知られていないはずがないなどと言われた。なるほどなと思いながらも、写真もあるし、引き下がれない。

そうこうしているうちに、熱意におされてか浅野二郎会長が仲隆裕さんらに話して下さり、結局、中村静夫氏(大妻女子大学)、仲隆裕氏(京都造形芸術大学)、父の旧知の戸田芳樹氏(戸田芳樹風景計画代表取締役)、小口基實氏(小口庭園グリーンエクステリア主宰)と両親の6名で調査団を結成し、フィッシャー・コルブリー・オーストリア庭園局長に学術調査団受け入れの許可をもらい、ボン大学で講演してからウィーンに赴くこととなった。妹は現地で両親ら一行を迎える準備などで大忙しの大活躍だ。

第一回目の会議は、フィッシャー・コルブリー庭園局長の提案で、5月の気持ちいい藤棚の下でということで、中村先生の通訳で、和やかな雰囲気で調査を始めることとなった。現場では何十年ものの蔦を持ち上げての調査、資料探し、さらに、シェーンブルン宮殿は世界文化遺産に指定されているので、すべてを元に戻さねばならず、なかなか思うようには進まない。調査もオーストリア庭園局との協議も難航した。

<日本庭園とはなにか?>
三尊石組があれば日本庭園だというと、仏教の思想はインド発祥のもので日本ではないのではないのか?不老長寿を願う庭だというと、中国の道教思想の表現が何故日本庭園なのか?仏教と道教を一緒に融合させて表すのは日本しかないが、いよいよ日本ならではのものを見つけなければという思いはあるが、蔦に覆われていて思うように証拠が見つからない。
あっという間に調査団帰国予定日前日、晩さん会が開かれ、結果はいかがと問われた。いろいろと出ては来ていたが、決定的な証拠はまだなかったので、正直にそう言おうということになっていた。食後、会議が始まると、シェーンブルンの環境を監視する会社のマング社長が、庭園ができた当時の写真をみつけたといって出してきた。それを見た小口さんが、これは日本庭園に間違いないというので、安堵しつつも翌日、神仙思想である清浄を表わすものをと探そうとぎりぎりまで池の手前のあたりを探した。間違いないということで、少し大胆に蔦をはずし、入り口の池の手前で発見したのが手水鉢だ。母が蔦の葉で長年にわたって包まれた手水鉢をきれいにすると、小口さんがこれで決まりだなとつ ぶやいた。きれいで、清らかなところを好む神道の神の元に近づくには、手や口を漱ぐ。これで庭園局側も間違いないと納得され、日本庭園の発見を妹の準備した抹茶でお祝いした。

この手水鉢と1920年頃の写真の発見、こうした毎日の調査後のやりとりで庭園局長も本格的に調査してくださいということになったが、現場では、やはり、本当にトラック8台分もの蔦を撤去していいのですか?と何度も聞かれた。石に関心の強い日本人は早い撤去を希望したが、植栽を大切にするオーストリア人との違いの一つだった。

こんなふうに偶然にシーボルトに導かれるように、妹の鋭い観察眼から発見されたシェーンブルン宮殿の日本庭園であったが、1999年に開園式を迎えるまで、これからがほんとうにたいへんであり、興味深い物語の始まりだった。

ちなみに、当初、発見のきっかけとなった明治天皇が贈ったシーボルトの石碑は、植物園の脇の方にあり、石碑自体は、神奈川県の根府川石でできたかなり大きなものだった。どうして見つからなかったか不思議だが、逆にシーボルトの導きで日本庭園が見つかったとも思える。

長崎・鳴滝塾から分けて頂き持っていった、シーボルトの愛妻おタキさんからとった学名「ハイドランゲア・オタクサ」のあじさいが石碑の前に咲いている。

注)
*特定非営利活動法人 日本ガルテン協会(会長:原田榮進)は、庭園を通した日本文化の普及に関する事業を行い、国際親善と文化交流に寄与することを目的とするNPO団体です。オーストリア・ウィーンシェーンブルン宮殿内日本庭園をはじめ、ウィーン大学日本学研究所前青海波庭園、チェコ・ピルゼン市宗翔和苑庭園、韓国・霊岩の王仁博士報恩の神仙・太極庭園といった海外での作庭や、堺・南宗寺の曹渓の庭、京都・相国寺大通院マイマイの庭雨垂れ石の水琴窟など国内外に日本庭園を作庭しています。また、毎月第2木曜日に、人と庭物語り会(例会)を開催しています。

*ガルテンはオーストリアで始まったため、ドイツ語でガーデン=庭園の意味。
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