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ボーダーを越えて
45 イギリスの英語
2005年3月4日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ ウェールズの道路サイン。Llanwrthwlという所へ行くには、右に曲がるべきか、左に曲がるべきか、一瞬迷ってしまう。それにしても、この2つの地名はどう発音するのだろう?
▲ ウェールズはいつも濡れているといっても大げさではないほど、よく雨が降る。おかげで緑に覆われているが、土壌が痩せていて、日光が少ないせいか、羊もイングランドのより小型である。
実際に世界共通語の地位を確立しつつある英語だけれども、実はそれほど世界共通ではない。米語と英語とでは単語も言い回しも発音も綴りも違うことが多いのはよく知られている。オックスブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)出身者の英語はわかりやすいが、ロンドンの下町っ子のコックニーとなると、アメリカ人にはお手上げである。(同様にアメリカ南部の米語はわかりにくい。)イギリス映画でコックニーのたむろするパブの場面などが出てくると、「字幕が欲しい!」という声がアメリカ人から上がるくらいだ。

日本の友人たちは、トーマスの英語はアメリカ人のよりずっとわかりやすいと言う。が、一口にイギリス英語といっても、地方によってアクセントや語彙や表現が違う上に、階級によっても異なるので、多様かつ複雑なのである。ラジオでは以前はオックスブリッジの英語を基盤とした「BBC英語」という発音しか聞かれなかったが、最近は方言や訛りを尊重して、かなりさまざまな英語がラジオやテレビで聞かれるようになってきた。それでも、イギリス国内のイギリス人(British)同士でも言葉が通じないこともまだあるのだ。

トーマスとスコットランドのグラスゴーへ行ったとき、トーマスが通りがかりの若いカップルに道を聞いた。親切に教えてくれたのだが、聞き取れなくてトーマスは聞き直した。繰り返し教えてもらっても、まだ聞き取れない。もう1度聞き直して、トーマスは「ありがとう」と言って引き下がった。
「わかったの?」と聞いたら、彼いわく、
「全然。でもあんまり何度も聞き直しちゃ悪いから」

スコットランドの英語の中でもグラスゴーのは特に癖が強いという。でも、スコットランドの英語はウェールズのに比べたらまだわかりやすい。かなり前だが、ウェールズの映画を観たことがある。が、何を言っているのか、私には全くわからない。字幕がないから英語らしいのだが、英語にすら聞こえない。隣に座っているトーマスをつついて、こっそり聞いてみた。
「この映画では本当に英語を話してるの?」
トーマスは黙って頷く。
「ちゃんとわかる?」
「半分ぐらい」
つまりイギリス人のトーマスにも半分しかわからないのだ。私は少し安心した。そのうち私の耳もだんだん慣れていって、終わり近くには少しは単語が聞き取れるようになったけれど、それでも全体の5分の1もわかったかどうか…

そんなウェールズ人(Welsh)と、トーマスの姪が結婚した。その披露宴では、トーマスと私はウェールズの花婿側の親類たちと同じテーブルを指定されたのだ。その理由を、花嫁の母である義妹は、「申し訳ないけど、ウェールズの親類と同席しても大丈夫そうなのはあなたたちしかいないから」と、クスクス笑いながら説明したものである。

という次第で同席したウェールズの親類たちは、比較的わかりやすい英語を話す人もいれば、訛りが強くて私にはほとんどわからない人もいた。彼らは全員、ウェールズ語(Welsh)ができると言った。20世紀初頭にはウェールズの人口の半数が話していたウェールズ語だが、年々話せる人数が減っていき、1980年代には20パーセント以下になってしまった。このままでは死語になってしまうと恐れたウェールズ人は、ウェールズ語の保存と復活に力を入れ、学校で教えたり、テレビやラジオでもウェールズ語の放送もやるようになった。道路標識も英語とウェールズ語の両方が使われている。おかげで、1990年代にはウェールズ語のできる人口が増加し始め、現在では再び20パーセントを越えているという。

8人のウェールズ人に対して我々2人というテーブルでは、彼らの言っていることが全部はわからなくても、私はただニコニコとわかった振りをして、テーブルの会話は楽しく進んでいった。万事順調と思っていたら、突然、右隣のおじさんが私の方を向いて、何か聞いた。さぁ、その「何か」がわからない。私は緊張を押し隠し、にっこり笑って、イギリス式に“Sorry?”と聞き直した。(アメリカだったら“Pardon?”だ。)

おじさんは質問を繰り返してくれた。それでもわからず言葉に詰まった私を見て、おじさんはまた繰り返す。まだわからない。困ったな… 私は申し訳ない気持でいっぱいになった。見かねて、おじさんのお連れ合いが代わって言ってくれた。
「あなたは菜食主義ですか?」
まぁ、そんな簡単なことを聞いたの? とても信じられない。とにかくこのおじさんの「英語」は私の耳には英語に聞こえないのだ。それでも英語には違いない。それが私に通じなかったのは、外国人だから、とおじさんは思ったかもしれない。

そこへ、簡単な挨拶をしに、花嫁の父がやって来た。ウェールズの親類たちは陽気に挨拶を返したのだが、最後に隣のおじさんがまた何か言った。そのときの花嫁の父の顔… おじさんが何を言ったのか、彼にはわからなかったのだ。もちろん私にもわからなかったが、私は日本人だし、アメリカに住んでいるから、ウェールズ人の英語がわからなくても大目に見てもらえる。が、イギリス人でしかも親戚になった彼は聞き返すこともできず、棒立ちになったまま。全く気の毒な姿だった。

あれから数年経つが、あのときの花嫁の父の顔はいまだに忘れられない。



(蛇足)イギリスは、正式の名称がUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandで、イングランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、北アイルランドから成る。英語はイングリッシュというようにイングランドの言葉。スコットランドとアイルランドではゲール語(Gaelic)、ウェールズではウェールズ語がまだ生きているが、コーンウォールのコーンウォール語(Cornish)は死語になってしまった。
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