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縁の下のバイオリン弾き
127 ラフカディオ・ハーンのこと
2016年7月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
平川祐弘の「ラフカディオ・ハーン」(2004)を読んだ。なぜこれを読んだかというと、その名前はよく知っているにもかかわらず、私はハーンの書いたものをほとんど読んだことがなかったからだ。

ハーン(1850―1904)は日本を外国に紹介した人として知られる。日本人と結婚して日本に帰化し、小泉八雲(こいずみやくも)と名乗った。


かれの代表作「怪談」の中のいくつかの話は小学校の教科書で読んだと思う。でもその記憶はたしかではない。その本を原作とした映画「怪談」(1965)の印象が強烈で、「怪談」というとどうしてもそちらの方を思い出してしまうからだ。

「黒髪」「雪女」「耳なし芳一」「茶碗の中」の4つの話を脚色したオムニバス映画だ。赤い水の流れる川などという特殊撮影が必要な場面があるのだが、監督の小林正樹は最初ディズニーに処理を頼んだ。ところがやたらに高いことをいうので、そのぐらいならば、と日本ですべて完成させた、ということを当時読んだのを覚えている。

でもハーンの作品を本格的に読んだことはなかった。かれについて他に知っていることといえば、東京帝国大学で英文学の講師であり、夏目漱石の前任者であった、ということだけだ。


映画を見たのとほぼ同じころ、江藤淳の「漱石とその時代」(1970)を読んだ。英国帰りの漱石が東大で教鞭を採ってみると学生に不評だった、ということが書いてあった。前任者ハーンの評判がそれだけよかったからだ。

漱石はロンドンでうつ病になるまで勉強した。最後には頭がおかしいとまで言われた。それは漱石に英国に対するコンプレックスがあったためだと思う。かれがほかの学科を勉強しに行ったのならそんなに苦しむこともなかったと思うが、なにしろ文部省から命令された仕事というのが「英文学」の研究、というものだった。どうあがいたって現地の人間にかなうわけがない、と考えたとしても無理はない。それでも必死に考えて自分なりの研究の筋道をたてて帰国した。そのころには英国も英国人も大嫌いになっていた。

ところがそれを大学で講義してみると学生から反発をくらった。漱石は公式みたいなものを黒板に書いてまるで数学を教えているような感じだったからだ。昔も今も文学青年は科学的な態度が苦手だ。

学生にしてみれば、西洋人であるハーンに教えられてこそ選ばれた者という感覚にひたることができる。日本人の漱石がなにを言ったって信用できるものじゃない、という偏見があっただろう。ハーンの留任運動までして漱石が教えることに反対した。

しかもハーンの講義というのが原文を朗々(ろうろう)と読み上げ、学生はただ聞いているだけ、といった、むしろ「日本的」なやり方だった。漱石の理詰めのアプローチとは正反対だ。

私は自分が教師になってからつくづく漱石に同情した。学生の評判が気にならない教師はいない。悪評はこたえる。しかもその評判が自分では選べない生まれ育ちにもとづいているのだとすればたまったものじゃない。

だから私の頭の中ではラフカディオ・ハーンは偉大な夏目漱石を苦しめた、いわば敵役(かたきやく)だった。


しかし平川のこの本を読んでみると、話はまったく逆なのだ。ハーンはいわゆるお雇い外国人だった。明治政府はお雇い外国人のポジションをゆくゆくは日本の人材にとって代わらせるという考えだった。漱石はそのために英国に派遣されたのである。だから漱石が東大で講座を持つのは既定のなりゆきだったのだが、ハーンにしてみれば突然解雇を言い渡されて衣食の道に迷うことになった。お雇い外国人として高給をとっていたから納得できないのも無理はない。

かれはすでに欧米で文名の高い作家で日本を外国に紹介したという自負もある。英文学を教える教養と実績を持つ者は自分以外にないと信じていただろう。論文ひとつ書いていない日本人の青二才にとって代わられたというのはプライドを傷つける事件だったにちがいない。

漱石自身もハーンのあとがまとして自分は適任ではないと思っていた。英国でのにがい経験もかれの居心地の悪さを倍加しただろう。

ハーンの方は欧米から飛び出て日本人になったものの、アウトサイダーとしての自覚を忘れるわけにはいかない。日本人からいかに賞賛されてもそれはしょせん外国人だから、なのだ。

双方にとって不幸なことだった。漱石は東大に嫌気がさして2年ほどで講師の職をなげうって小説家になり、ハーンは早稲田に職を得たもののほどなく死んでしまった。

大学の外で暮らしている人にはそんなことは「コップの中の嵐」かもしれない。でもハーンが死んだのがこの東大騒動に由来しないとはどうして言えよう。ことにハーンは漱石にもましてコンプレックスにとりつかれていたようだから、なおさらかわいそうだ。


ハーンのコンプレックスのひとつは容貌のことだ。かれは少年時代事故で左目を失明した。そのあとが異様に見えたのだろう、かれは写真をとる時かならずといっていいほど右側から、左目が見えないようにして撮影した。つまり容貌について気にしていた。

私は自分が左目を失明するのではないかと二年前思いわずらったので、これを読んだ時は心から同情した。

かれの父親チャールズはアングロ・アイリッシュで、英国軍の軍医だった。アングロ・アイリッシュというのは植民地アイルランドに居を構えたイングランド人の支配階級だ。昔植民地だった台湾や朝鮮、また「満州国」にわたった日本人と同じだけれど、チャールズの場合は何代にもわたって住みついた家系だ。そのため宗教はカトリックではなくプロテスタントだった。

この父親が当時英国の保護下にあったギリシャに駐在している間に土地の娘と相思相愛になり、子供をもうけた。その結果ふたりは結婚した。この子はそのつぎにハーンが生まれたばかりの時になくなった。

母親ローザは土地の名士の娘だったが、当時のギリシャではふつうだったように文盲だった。チャールズが仕事でよそに転任したので、母子はアイルランドの父母のところに送られた。

義父母はこの「身分違い」の結婚に反対で、それだけではなくことばの通じない嫁につらく当たったらしい。チャールズが帰ってきたときにはふたりの間の愛情はさめていた。

それでも弟を妊娠したローザは一時の里帰りのつもりで単身ギリシャに帰った。これが4歳のハーンとの生き別れになるとも知らずに。

父親は結婚を後悔した。そしてあろうことか、結婚証明書に彼女のサインがないことを理由に結婚を解消したのである。もちろん彼女はサインしたくてもできなかったのだ。そのあとかれは昔の恋人と結婚したのだから不実のそしりはまぬがれない。

こうしてハーンはカトリックの大叔母に引き取られて少年時代をアイルランドの首都ダブリンですごす。アイルランドは雨ばかり降る土地で、少年少女はみなすきとおるような白い肌を持っている。南国の血をひくハーンは異色だっただろう。それがもとでいじめられたとしてもおかしくない。


かれは本名をパトリック・ラフカディオ・ハーンという。パトリックはアイルランドの守護聖人、聖パトリックにちなむ。

ハーンはパディと呼ばれたそうだ。これはアイルランドに特有の愛称だ(ふつうはパットという)。3月17日の「セント・パトリック・デー」が「パディの日」と言われるぐらいだ。

私はハーンがアイルランド人だとはぜんぜん知らなかった。しかもアイルランドを代表するようなパディという名前だったとは。知っていたらもっと親しみを感じたはずだ。

かれはパトリックという名前を嫌い、自分が生まれたギリシャの島に由来するラフカディオのほうを選んだ。それは母親をひどい目にあわせた父親に対する反発からだったという。無理もない。

その父親は早死にし、ついに会うことはなかった母親はギリシャで再婚した。かれにとってはこの母親こそが「まぶたの母」で、彼女にたいする思慕が反英国、ひいては反西洋文明の気質を育てた。

幸せではなかったけれど、土着の文化にはもろに影響を受けただろう。アイルランドはカトリックとはいえ、じつは妖精やふしぎな小人(こびと)が森の中にひそんでいる神秘的な風土だ。私の知人にも妖精に会ったことがあると話す人がいる。夫人の小泉セツが書いた「思い出の記」によるとハーン自身がそのような人であったらしい。のちにかれが日本の民俗や怪談に心をひかれたのにはこのようなケルト文化の下地があった。

イングランドやフランスに送られて教育を受けたハーンはアイリッシュとしてさげすまれたにちがいない。アイルランドのなまりはひとこと聞けばわかる。当時のパディがそれに劣等感を抱いたということは十分考えられる。

大叔母が破産したのでハーンは大学に行くことができなかった。しかたなく19歳でアメリカに移住した。前述したようにかれはのちに日本に帰化したから日本人なのだけれど、この移住のためにアメリカ人としてとらえられることが多い。


一文無しから出発したハーンは新聞記者として成功をおさめた。オハイオ州シンシナティに住んでいた時、異人種間の結婚を禁じる州法をおかして黒人と結婚した。そのためにシンシナティにいづらくなり、結婚は認められず、妻とも別れてニューオーリンズに移り住んだ。フランスの影響のつよいこの町でかれはフランス文学を翻訳し、たくさんの作品を発表した。

私が特に興味を惹かれるのは、目が悪いにもめげず、ハーンが絵を描いたということだ。かれは水彩画家だった。漱石も水彩を描いたけれど、時代のせいかその画風はよく似ている。

ハーンはまた木版画をたくさん彫って新聞記事のイラストに使った。私も木版画を何度も彫ったことがあるので、かれのセンスに共感するところが多い。

黒人の文化に親しみをもち、その民俗を記事にした。いまでこそ広く知られるようになった「ヴードゥー」をはじめて紹介したのはかれである。

その後カリブ海にうかぶフランス領マルティニーク島に2年間くらした。同じ時期に画家のゴーギャンが島に住んでいたそうだ。


日本人の心を高く評価したハーンは欧米の社会からつまはじきされた。明治時代の日本は欧米人にとってみればまったく異質の世界で、かれらはたとえ日本に住んでいてもその価値を認めようとはしなかった。ハーンは仏教徒になったから、ことさら彼らの憤激をかった。「ハーンは原地人になった」とうわさされた。

終生日本語が上手にはなれなかったけれど、消えゆく古い日本に強い愛情を持っていた。その反面、「近代化」する日本を憎んだ。

日本人と結婚したのも、日本の国籍をとったのも、ギリシャで「原地の」女と所帯を持ち、彼女を捨て去った父親のようにはなるまいという強い意志がはたらいていたのだろう。

その圧倒的な才能にもかかわらず、漱石もハーンもコンプレックスに苦しめられた一生を送ったように見える。そして私はそのことに人間的なものを感じる。コンプレックスのない人間はいないのかもしれないが、それを押し殺して生きることができる人は強い人間だ。でも、コンプレックスに自覚的な人は他人の弱点に対して寛容になり、やさしくなれると思う。

ラフカディオ・ハーンの生涯を読んで、私はふしぎななつかしさを強く感じた。

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