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ポジティブ・シンキング〜大国未津子さんのこと |
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2018年9月6日 |
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 | 原田 美佳 [はらだ みか]
東京都出身。学生時代から長年関わった韓国文化院を2015年末に退職。現在は、日本ガルテン協会の広報部長の仕事をしながら、これまで関わってきた韓国文化を日本に紹介するための著作、交流活動を中心に自分のライフワークを模索中である。共著書に『コンパクト韓国』(李御寧監修)、『読んで旅する韓国』(金両基監修)、「朝鮮の王朝の美」、『朝鮮王朝の衣装と装身具』などがある。 |
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▲ 月刊紙「韓国文化院友のニュース」と『韓国文化院での16年』 |
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韓国文化院での生活でいろいろなことを教えて下さったのは職場の大先輩の大国未津子さんであった。大国さんは新潟出身で、子供の頃に遊んだ親戚のお宅が北方文化博物館という方で育ちの良さが滲み出ていながら、もともと新潟日報の婦人記者の嚆矢でもあった。 アメリカでライブラリー・サイエンスも学ばれ、TVで料理番組なども担当した大国さんは広報担当で広報物全般の制作をはじめ、書くことや話すことが好きで、講演会ともなれば、いつも一番前の席で講師の話を食い入るように聴き、鉛筆を走らせていた。そうして編集しておられた月刊紙「韓国文化院友のニュース(韓国文化院News)」は10年ほど刊行された。映画も映像担当の李徳さんに映画をみせてもらってはあらすじを書き、目録を作り、イベントがある度に案内パンフレットや招待状を制作した。
そんな大国さんの口癖のひとつが、Positive Thinkingであった。 何でも前向きに仕事をされていた。ちょっと躊躇していたりすると、「原田さん、Positive Thinkingよ」と、背中を押された。また、いろいろな人の意見を伺ってこうなりましたというと「賢者は愚者からも学ぶ」と笑いながら褒めてくれた。
池袋のサンシャイン60ビルに韓国文化院にあったときは、院長のほかに、日本人職員であれば、まず大国さんのことを思い出す人が多かった。いつもきれいに化粧されて大勢の人が大国さんを訪ねて来られたり、運転が好きで車であちこち行ったり、地方のイベントにも参加したりと忙しそうであった。 大国さんは歴史にも詳しく、韓国人の前でも、同じ年代の人が覚えさせられたように天皇の名前も諳んじておられた。誕生日も昭和天皇と同じ4月29日だった。
80年代の韓国文化院では、陶磁器、渡来文化や考古学、元寇や朝鮮通信使、韓国併合といった韓日の歴史観といったテーマとした講演会とともに、映画や美術と韓国文化を伝えるさまざまなイベントを毎月行っていた。 とはいえ、今のような若者が大勢集まる韓流ブームと異なり、講演会には男性を中心とした年配者が、映画会には在日の方々が主なお客で、いまとは趣きが違っていた。 また、家族的な雰囲気のある職場で、さらに大国さんの家族である国際政治学会で出会い結婚した大国さんのご主人、タイガー李先生や娘さんの斎藤歌恵子さんもたびたびイベントに来られ、ご一緒に食事したりした。
退職後には、『韓日の文化交流 韓国文化院での16年』(サイマル出版会刊)として韓国文化院での活動をまとめられた。 いつも前向きな姿勢で人生を謳歌されておられ、足が少し悪くなられても何時間もかかる道のりを退職後もよく韓国文化院のイベントに顔を出して下さった。 人生のよき先輩であった。
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