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54 思わぬ道草(8)楽観の2日間
2005年6月2日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 丘の斜面を埋める野草花。
▲ 俗名ビアドタン(Beardtongue)。学名Penstemon labrosus。
▲ 俗名フラックス(Flax)。学名Linum lewisii var. lewisii。
今年の冬(雨季)はエルニーニョの大影響で、どっさり雨が降った。おかげで3月から4月にかけて、南カリフォルニアもこんなに緑になるのか、と感嘆の溜め息が出るくらい、辺り一面、緑に包まれた。トーマスの農園の周囲も、すっかり緑に覆われていた。事故の翌日、農園から病院へ向かうのに、山の斜面に沿ってくねくね曲がって下りて行く道を通ったのだが、山の斜面は普段見慣れている茶色から、見事なほどに新鮮な緑色だった。ところどころに色鮮やかな固まりが見える。野草花の群生地だ(註1)。

逆方向にまっすぐ東へ1時間ほど行けば、ボレゴ砂漠にたどり着く(註2)。今年の砂漠は咲き乱れる野草花が地面を埋め尽くしていると、何度も新聞に出ていた。一生のうちに2度とは見られないほど見事だというので、是非見に行こうと、3月早々にトーマスと話し合っていたのだけれど、仕事に追われてつい行かずじまいになっていた。トーマスが早く退院できれば、ヘイロゥをしていても行かれるかもしれない。3月末までなら、野草花は無理でも、オカティオ(Ocotillo)というサボテン科の花は見事に咲いているだろう。今度の事故は、目的に向かって突っ走るだけでなく、「ちょっと寄り道しなさい」ということなのかもしれない。そんなことを考えながら、病院に向かった。

病院に着いたのは午後だったが、トーマスはやっと手術回復室から普通の病室に移されるところだった。午前中は部屋の準備ができるのをひたすら待つのみだったという。どうもこの病院は連携システムが悪いようだ。前夜、首の骨折に付いてちゃんと私に知らせてくれなかったことからもそれが伺われる。それでもトーマスの機嫌は悪くはなかった。首の骨折のことも聞かされたようだが、ヘイロゥを何ヶ月か頭に付けるしかないと観念していた。というか、まだ実感が湧かないのだろう。

彼の病室のテーブルには、漫画の宇宙士がすっぽり頭からかぶるような大きな円筒形で前方がくり抜いてあるものが置いてあった。それがヘイロゥだった。「後光」という意味からして、頭の周りをワイヤで囲むだけのようなものを想像していたのだが、それだけでは頭を固定しておけないないのだろう。頭を金属で縛り付けるようにし、さらに首を一切回さないように全体を肩まで押しつける。頭を固定しておくには効果的かもしれないけれど、これを四六時中つけたままというのは、どんなに苦痛だろうか。ましてやトーマスは決して辛強い方ではないから、1週間とやっていられるかどうか。

またもや長い間待たされた後、ヘイロゥ担当の医師がやって来た。トーマスを取り扱う医師はこれで3人目だ。
「オー、これはだめだ」と、その医師はトーマスを見るなり言った。
その医師はトーマスの頭の傷の程度について知らなかったようだ。この傷の大きさでは、このままヘイロゥで縛り付けると感染症が起きるというのだ。傷が治るのを待たなければいけないが、それには1ヶ月はかかるだろう。その間、首を動かさないようにしておくとしたら、寝たっきりでいなければならない。が、それは身体全体には良くない。そこで手術を勧めると言う。喉を前方から切り開いて、骨の折れた箇所にネジを斜めに通して留めるのだそうだ。
「私はその手術はやったことがないので、その手術専門のドクター・タントゥワヤに頼みましょう。私もその手術に立ち会って見学させてもらいたいですな」
「その手術をすると、回復にはどのくらいかかりますか」トーマスは一番気になっていることを聞いた。
「なぁに、2−3日で退院できますよ」
本当かなぁ。どうもこの医師は軽率な感じがする。

でも、トーマス自身は手術に乗り気だった。問題解決方法として手っ取り早いからだ。私はできることなら手術など避けたいと思う方だ。高血圧の彼にはリスクが高いはずだし、そうでなくても手術には潜在的な危険が伴う。しかも金属を骨に埋め込むのは、長期的に見ると問題が出て来るともいう。そう考えると、じっくり時間をかけて問題を直していった方が手術よりいい。とは言え、頭の傷が直るまで、ヘイロゥを付けるのはただじっとしたまま待たなければならないなんて、トーマスにはとても無理だろう。とすると、やはり手術しかないか…

その日は犬たちを散歩に連れて行くためにも、日が沈まないうちに家に帰った。


翌日は、そよ風が心身の中を通り過ぎていくように感じるほど、清々しいお天気だった。朝刊を取りに玄関の外に出ると、空気がおいしい。コーヒーを入れて朝刊のカリフォルニア州のセクションを開いて、ハッとした。衝突事故でバスの正面がメチャメチャになっているカラー写真が載っている。キャプションに1人死亡とある。私はあわてて新聞を閉じた。記事を読む気になどとてもなれない。

急いでコーヒーを飲み干し、寝室へ行ってベッドメーキングを始めた。何も考えずにシーツを延ばしていると、どういう訳か目に涙が浮かんできた。と思ったら、次から次に涙が大粒になって落ちて来る。トーマスの事故から丸1日半を経て初めて、私はオイオイ泣いた。悲しかったのではない。ただただ、彼が生きていてくれて良かった--そういう安堵の気持が涙となって胸から溢れ出たのだ。

涙が緊張を洗い流してくれて、すっきりした気分で労働者災害保険のエージェントと対応できた。そしてその日は遅く帰ってきてもいいように、まず犬たちを散歩に連れ出してから病院へ行った。

病室に着くと、すでに首の手術専門のドクター・タントゥワヤは来て、手術は明日正午と決められていた。私も外科医から直接手術の説明を聞きたかったので、会えなかったのは残念だ。代わりに、トーマス担当のユーモアにあふれたコリンという名のイギリス人看護師に、トーマスの首のことを聞いてみた。
「C1とC2の骨折ですよ」と、教えてくれた。つまり、頭を支える非常に重要な部分なのだ。

金属を骨に埋め込むことの悪効果については、トーマスも外科医に尋ねたという。そうしたら、そういう効果が出るとしても、それは20年から30年も先のことだと言われたとか。「どっちみちそんなに長生きしないよ」と、トーマスは屈託なく言う。たしかに、その通りかもしれない。彼の父親は心臓マヒで68歳のときに、母親は肺癌で81歳で他界している。現在66歳の彼があと20年生きられたら、私も大満足だ。そのとき首の骨に金属を入れた弊害が出てきたとしても、現在の問題解決の方を優先させよう。そう考えると、迷いも消えた。これまで不死鳥なように事故をくぐってきたトーマスだもの、この手術もケロッとして乗り越えるだろう。

夜帰宅すると、留守番電話に伝言がいっぱい入っていた。全部に返事の電話を入れたが、同じことを聞かれ、同じ説明を何人にもすると、正直言って神経が消耗する。それ以上に、事故を引き起こした人はどうしたのかとか、トーマスのトラックはどうしたのかとかいう私自身が知らないことを、事故検証報告が出るまでに1週間から10日かかかると伝えたにもかかわらず聞かれると、つい苛々してくる。たまらなくなって、トーマスの様子を報告するメールで、「私は知っている限りのことを皆さんにすべて報告していますので、もし皆さんが知りたいことで私が書いていないとしたら、それは私が知らないということです。ですから、私が知らないことや現時点では知りたくないことについては聞かないでください」と釘を刺さずにはいられなかった。

最後に、事故の目撃者のロバートさんに再び電話をした。事故のあった夜、トーマスの骨はどこも折れていないと言ったけれど、実は首の骨折をしていて、明日手術をするのだと伝えると、「そうですか…」とロバートさんは沈んだ声を出した。
「大丈夫ですよ。彼はすごく頑丈ですから、必ず手術も乗り越えます」と、私は思わずロバートさんを力づけることを言ってしまう。
実際、99パーセントそう思っていたのだ。


(註1)カリフォルニアの野草花は以下のサイトに詳しい説明が写真付きで載っている。
http://www.calacademy.org/research/botany/wildflow/

(註2)ボレゴ砂漠の大部分はアメリカ最大の州立砂漠公園であるアンザ・ボレゴ州立砂漠公園になっている。サンディエゴからは車で2時間ほど。砂漠の美しさが味わえる。
http://www.anzaborrego.statepark.org/

野草花情報は4月21日に最後の情報がアップされた。
http://www.anzaborrego.statepark.org/wildflowers.html


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