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「ニューオーリーンズ」に見えたもの |
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2005年10月4日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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「9・11」の翌日以来、私はテレビのニュース番組を見なくなったのに、ハリケーン「カトリーナ」のニューオーリーンズ襲撃後の5日間はテレビに釘付けになったと、「甦生の兆し」と題したエッセイにも書いた。食料も水も衛生設備も医療もないままスーパードームと国際会議場に政府から見捨てられた何万人もの貧しいアフリカ系の人々の姿に、文字から学んではいても身近に触れることのなかったアメリカ社会の本質を、いやというほど見せつけられ、私は呆然としてしまったのだ。
「カトリーナ」に襲われた後のニューオーリーンズの状況は、マイノリティが軍国主義産業保護政策遂行しか関心のないブッシュ政権に無視されてきた結果だという批判を沸き起こした。でも、それだけではない。テレビ画面に映し出されたのは、アメリカ社会主流の無関心がマイノリティを貧困に放置されたままにしているという、構造的人種差別の一端だったのだ。
差別構造の露出を目の当たりにして、「アメリカとは何と情けない国なのか」と私は絶望的な気分になってしまった。そんな私の背中を、誰かがつついたような気がした。振り向いてみると、そこに見えたのは沖縄だった。
ニューオーリーンズのように、沖縄もその独特の文化が観光客を引きつけ、その亜熱帯の空気同様、のんびりして寛容的な人々の心も暖かい。ニューオーリーンズを訪れる人々はフレンチクォーターで料理とジャズを堪能し、ニューオーリーンズ住民の大多数の貧しさには気付かない。同じように、沖縄を訪れる観光客は、美しい海辺のリゾートホテルに直行し、沖縄料理に舌鼓を打ち、郷土音楽に耳を傾け、民芸品に感嘆し、地元民の惜しみない歓迎を受けて、沖縄の人々が戦後一貫して背負わされて来た米軍基地の重みを感じることもなく、帰ってゆく。
ニューオーリーンズのスーパードームや国際会議場に放置されたままのアフリカ系人の姿に私が沖縄を思い出したのは、沖縄の人々も政府に見捨てられ続けて来たからだ。1945年、沖縄は本土決戦と引き延ばす手段として日本軍に利用され、第二次大戦史上最も激しい地上戦の場に化せられ、非戦闘員のおとなも子どもも老人も戦闘に巻き込まれて命を落としたのに、1952年には日本政府は沖縄をサンフランシスコ講和条約から切り離して米軍に利用されるままに見放したのだ。
1972年まで沖縄を全面的に占領し続けた米軍は、1950年代に基地建設のために農民の土地を取り上げたが、そうして土地と生活手段を奪われた沖縄の人々は、軍作業に就き、以来沖縄経済は米軍依存を余儀なくされてきた。海外移住に状況打開の糸口を求める人々もいる。
1954年にボリビアに送られた人々は、50町歩の土地の無償配布という約束で、飲料水もないジャングルに放り込まれた。移住予定地を前もって視察したアメリカ人調査員と沖縄リーダー格の移民使節団は、多数の移民をジャングルの奥深くに送り込むことに何の懸念もなかった。バーバラ・ブッシュ前ファーストレディが「カトリーナ」の被災者たちを、もともと彼らは貧乏人だから、と一笑に付したのと同じような態度で沖縄移民を捉えていたのだと思う。
私が子どもの頃には米軍基地は日本本土にもたくさんあって、私の父も東京北部の赤羽の基地で働いていたことがある。が、50年代から60年代にかけて起こった米軍基地反対運動が自民党政権を危うくし、日米安保体制を脅かしたため、アメリカは基地を本土から沖縄に移し、今日、日本の米軍基地の75パーセントが日本の総面積の1パーセントにしかならない沖縄に集中することとなったのだ。1972年の本土復帰の際にも沖縄は再び日本政府に裏切られ、米軍基地は沖縄から離れることなく、そのまま居残り続けている。
米軍基地が集中しているため、沖縄は観光以外に自立可能な産業が育たず、沖縄の失業率はニューオーリーンズのように全国平均の2倍である。沖縄の人々が置かれ続けている危険と重荷から目を背けて日本社会は経済発展を遂げ、平和な生活を享受するに至った。日本社会ではそのことに痛みを感じる動きは全くない。かく言う私自身、沖縄が意識の中に入るようになったのは、たった10年前のことだった。
沖縄にとってのハリケーンとは米軍基地で、沖縄は無数の「カトリーナ」に襲われて来た。昨年8月の沖縄国際大学キャンパスでの米軍へリコポウター墜落が最近の「カトリーナ」である。たまたま夏休みで通常の人数の一部しかキャンパスにはいなかったのが不幸中の幸いだったが、この墜落事故は、米軍基地のおかげでいつも大きな危険にさらされている沖縄の人々の生活状況をあらわにした。同時に、沖縄と本土との間での米軍基地を担う重荷分担の不均衡も再びあらわになった。沖縄の2大新聞(琉球新報と沖縄タイムス)が号外を発行してこの事故を報道したのに対し、日本本土の主流新聞は同日に号外を発行したとはいえ、それはプロ野球の球団オーナー引退のニュースだったという。こういう日本のメディアの姿勢に、不均衡の実体がさらけ出されている。
「カトリーナ」後のニューオーリーンズの状況にアメリカ人自身が唖然とし、人種と貧困の問題について論議が一時的にせよ起きたのはホッとする。それに対して沖縄の「カトリーナ」からは、日本政府と日本社会全般による沖縄の恒常的な不公平な取り扱いに関して何の議論も引き起こらなかった。沖縄の人々の状況に対する日本のメディの無関心がそのことを上塗りする。またもやその例が今年の7月にも起きた。十歳の少女に対する米兵のわいせつ行為事件を、沖縄の新聞のみならず、イギリスの有力新聞インデペンデント紙も即刻オンラインで取り扱ったのに対し、日本の主流新聞のどのウェブサイトにもその事件の報道記事は見当たらない。
ニューオーリーンズでの惨事のテレビ報道を日本で見ていて、地震被災者の秩序が乱れなかった神戸と比較した人がいたかもしれない。でも、ちょっと待って。「ニューオーリーンズ」の本質を神戸と比べると落っこちるものがたくさんある。日本の「ニューオーリーンズ」は沖縄ですよ。
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この文はJapan Policy Research Institute(日本政策研究所)のウェブサイトに掲載された「Japan’s “New Orleans”」(↓)の和訳を、加筆修正したものです。
http://www.jpri.org/publications/critiques/critique_XII_6.html
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