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縁の下のバイオリン弾き
7 カナダロッキーへの旅―7
2010年11月7日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ バンフへ向かう汽車からの眺め(スケッチブックより)。
●ツアーの実態

予約した時にはわからなかったのだけど、実はカナダの鉄道に乗ろうと思ったらこのツアーを利用する以外に手がないのだった。このツアーの特別仕立ての車両をのぞけば人間を運ぶ汽車というのはない。あとは全部貨車である。

どんなに衰退していても1日に1本ぐらいは普通の乗客用の汽車が出ているだろうと考えていた私は無知だった。私は想像上の普通運賃とツアーの値段を比較してにがり切ったのだったけれど、まったくあさはかだったというほかない。

考えてみればカナダでも自動車網が発達していて汽車で旅行しようなんて人間はまずいないわけだ。

ではなぜこのツアーがあるのか。すべてが終わったあと、私はやっとなぜ世の中にツアーというものが存在するのかが腑に落ちた(ついでにいうと、このツアーにはホテルはふくまれているものの、食事は汽車の中の物をのぞけば全然入っていなかった。それでだまされたような気になった。)

汽車の旅はけっして悪かったとは言えない。カナダのいなかの景色はすばらしかった。でも丸2日、朝の7時から午後の5時まで汽車にゆられるのはたいそう疲れる。しかも、この汽車に乗らなかったらカナディアン・ロッキーの醍醐味はあじわえませんよ、みたいなことが宣伝文に書いてあるのに、実際にカナディアン・ロッキーの山々がすがたをあらわすのは最終目的地のバンフにつく直前だった。それすらその後にレンタ・カーで走った時の圧倒的な景観にくらべればほんの序の口、といった感じで、要するにカナディアン・ロッキーを楽しむのには必ずしもこの汽車に乗らなくてもいいということだ。

汽車には飛行機のアテンダントよろしく添乗員が乗っていて風景のガイドをし、食事やおやつをくばる。これがおいしくない上に温かくない。考えてみれば当然のことで、満員の一車両はほとんど飛行機の一便に相当するだろうからたとえ電子レンジを使っても温かい食事をいっせいに出すためには最低でも一車両に3、4人の乗務員が必要だろう。とても一人のできることではない。そのために温かい食事を出すことをさっぱりあきらめたと見える。そのかわり量だけはやたらに多い。私たちはもちろん手をつけなかったけれど、デザートやらチーズやらが間食にたくさん出てくる。そうして高齢にもかかわらずそういうものに手を出す乗客が私にはいかにも不健康な、あまやかされた、しつけのできていない人種に見えた。

結局このツアーは金持ちの老人たちをお守りしつつ、ありあわせの鉄道という遺産を利用して金をもうけようという陰謀なのだった。

もう足腰もロクに立たないようなじいさんばあさんを旅行に駆り出すには汽車の旅にかぎる。バスとちがっていったん押し込んでしまえばあとは何のめんどうもいらない。トイレはついているし座席も通路も広いから歩くのも自由だ。(私は昔学校で世界の鉄道は広軌 ―― 幅が広い線路 ―― なのがふつうなのに日本は国土がせまいので狭軌を採用した、と学んだことを思い出した。)

食事なんぞはいくら積み込んだって、なにしろ物を運ぶのが汽車なんだからいたくもかゆくもない。食事どきにレストランにとまる必要がない。集合に遅れた客のゆくえをさがす心配もない。万々歳である。

客の方にしたってただすわっているだけで湖水や、絶壁や、ほとばしり落ちる滝、群れをなして走る動物などがパノラマとなって眼前に展開するのだから悪かろうはずがない。カメラをかかえていればここぞというところで徐行までしてくれる。外をのぞいても雲しか見えない飛行機の10時間とはなんたるちがいだろうか。その上に「右に見えますのはクリント・イーストウッド監督の映画『許されざる者』でモーガン・フリーマンが立ち現れた墓場でございます」なんて「解説」されると私のような西部劇好きは手もなく感激してしまう。

いやまったく窓外にひろがるカナダの原野はたいしたものだ。列車は道中の大部分をフレーザー川という川にそってすすむのだが、この川がある時は澄み通り、ある時は岩ばかりの急流と化し、山をくだり谷をけずってさまざまな色を見せる。遠くの山頂には8月だというのに雪が見え、その下にははてしのない大森林がつづく。山の上のほうで木材を伐採するとヘリコプターで下に降ろすそうだ。

私たちは車両のなかほどにすわっていたのだが、我々のうしろにはドイツ人の観光団体がすわっていた。英語を話す通訳がひっきりなしにガイドのしゃべることをドイツ語に直している。

村上春樹は世界中どこへ行ってもでくわすのはドイツ人の旅行者だという意味のことを書いている。しかしそれはバックパッカーのことだ。私の印象でもドイツ人の旅行者というのはたとえへたでも通じる英語を話し、少しでも安い宿をもとめてほっつき歩く独立独歩の人々だった。ほとんど英語がわからず、団体を組んで行動せざるを得ないドイツ人というのははじめて見た。そして彼らの話すドイツ語が ―― 聞いてもわからないせいで ―― この旅行を通じて私が接した唯一の外国語らしい外国語だった。

私が風景をスケッチしていると通りがかったおばあさんが「私も絵を描くのよ」と話しかけてくる。イスラエルから来たという彼女は後のドイツ人たちとも話していたので「ああ、彼女はヘブライ語、英語のほかにドイツ語も話すんだ」と私は思った。でもこれは誤解だった。彼女はイスラエルに住んでいるけれどももともとはドイツ人だったのだという。第2次世界大戦後イスラエルに留学した彼女はそこで未来の夫にであった。彼はナチの強制収容所の生き残りで、そのためなのだろうがせむしで肺病やみだった。ユダヤ人に対する罪悪感に悩まされていた彼女は「ああ、この人こそ私が一生かけて罪のつぐないをする相手だ」と感じ、結婚してユダヤ教に改宗したのだという。「あの人が3年前に亡くなるまで本当にしあわせでした」と彼女は問わず語りの結末をつけた。現在92歳でハンブルグに住んでいるという彼女の母親もこの結婚には賛成してくれたそうだ。

私は自分が香港に行った時のことを考えた。私も日本人として中国人には罪悪感を持っていた。あのころ中国人と結婚していれば ―― その可能性はなくもなかった ―― このおばあさんと同じような人生を歩んだのかもしれない。

私には写真をとる趣味はない。ときどきスケッチをしたけれど私の腕ではとても壮観を描きあらわすことはできない。リンダはマウンテン・ゴート(ロッキー山羊)の群れや川沿いに走る熊を見たのだそうだが私はそれらを見なかった。ただ汽車が川にそって走るので川をさかのぼるサケはたくさん見た。交尾のあと死んだサケは赤く変色する。その赤いサケがうち重なって倒れている場面も見た。それはかなしい光景だった。鳥もたくさん見た。わしやふくろうもいたけれど特に多かったのは雁である。有名なカナディアン・ギース(カナダ雁)なのだろう。川ぶちとか駅の構内とかに群れをなしていた。

旅行から帰って私は「ロッキー・マウンテン山登り」汽車ツアーのウェブサイトを見た。そして私は笑いが止まらなかった。どうしてかというと、そこに映し出されている映像はこの汽車にただひとつついている「一等車」を映したものだったからだ。ガラス張りのてんじょうがついていてみるからに豪華である。バンクーバーの駅でこの車両を見たときは「あれに乗れるんだ」と興奮したのだったけれど、案内されたのはよごれ古びた車両で、私たちは二等市民の悲哀をあじわった。ビデオの中の一等車に乗っている乗客も若く美しいモデルをやとったのに違いなく、実際に乗っていた老人たちとは雲泥の差である。また、あの一等車には白い上っ張りを着たウェーターたちがたくさんいたのかもしれないが、われわれの車両にはそんなサービスはなかった。そして食事が温かいかどうかなんてことはビデオではもちろんわからないのだ。(続く)

「ロッキー・マウンテン山登り」汽車ツアーの公式サイトはこちら↓

http://www.rockymountaineer.com/en_US_CA/  
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