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思わぬ道草(17)一歩後退の教訓 |
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2005年9月23日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ トーマスが退院してから開花したエピフィラム(蘭サボテン)。 |
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あの日曜日の朝はトーマスの事故から6日目だった。なのに、事故当夜よりも私はオタオタしてしまった。なにしろ病室に入った途端、人工呼吸器やら酸素ボンベやらIV やら血圧や心臓の鼓動のモニターやらに繋がられて横たわっているトーマスの姿が、私の目に飛び込んできて、息が止まるような思いがしたのだから。枕元に寄って名前を呼んでみると、多分鎮静剤でリラックスさせているのだろうけれど、彼はかすかに頷くだけ。これまでずっと保ってきた私の自信がガラガラと揺らいでくる。ホセがその場にいてくれたのが、本当に助かった。
病室の向かい側にある看護師ステーションでいろいろ指示をしていたドクター・ボカーリが、私のところにやってきた。 「あなたのダンナさんは大丈夫だから安心しなさい」 まずそう言って私の肩に腕を廻したドクター・ボカーリが、私にはとてつもなく頼りがいのある男性に感じられ、思わずその厚い胸に寄りかかりそうになった。何か言おうにも言葉が出て来ず、ドクター・ボカーリの説明をただ頷きながら聞くことしかできない。
トーマスが呼吸困難に陥った原因には2つの可能性が考えられる。心臓発作を起こしたか、あるいは喉の前方からの首の手術で喉が腫れて呼吸管を圧迫したか、のどちらかだ。心臓発作かどうかは血液検査で、起こった時間まで確定できるという。が、原因は多分後者だろう、とドクター・ボカーリはゆったりした口調で言った。 「とにかく、ダンナさんは危険な状態をもう脱出したのだから、心配しなくていい」 そう言ってドクター・ボカーリは私の肩を軽く叩いた。 「ありがとうございます」 私は消え入るような声で応えた。そんな自分が情けないと思っても、身体の中がまだ震えているような感じで、声がちゃんと出てこないのだ。ドクターが出て行ってから、私は大きく深呼吸をしてやっと落ち着きを取り戻し始めた。
そうだ、エド・スティカやボストンの親類や家族同然に親しくしているシャーリーとゲアリーに、トーマスの状態を知らせなければ。そう思って、もともと苦手な電話をホセに頼んだ。快く引き受けてくれた彼が廊下に出ると、私はまたトーマスの枕元に行き、彼の腕をそうっと触ってみた。トーマスはそれに全く反応しなかったけれど、彼の身体のぬくもりが、「大丈夫だよ」と言っているように感じられた。人工呼吸器の一定のリズムも安心感を与えてくれる。(ハリケーン「カトリーナ」襲撃後、停電になったニューオーリーンズの病院で、看護師さんたちが重症患者たちの人工呼吸器を必死に手で動かしたと新聞で読んだとき、私はトーマスの姿を思い浮かべ、思わずぞっとしたものだ。)
電話を終えたホセが戻ってきたとき、病室でレントゲンを撮るとかで、看護師さんたちが大きな器械を持って来た。それが済むまで、ホセと私は廊下に出て、トーマスの病室の様子が見える位置に腰を下ろした。
2つ隣の病室の入り口に、私と同年齢ぐらいの女性が立っていて、そっと涙を拭いているのが見えた。その病室の前を通ったとき、若い女性がベッドに横たわっているのが見えた。そっと涙を流しているのは、多分母親なのだろう。その人の辛さが私には痛いほど感じられた。わかります、いま、あなたがどんなに辛い思いでいるのかーーそう言って、その人を抱きしめ、いっしょに泣きたい気持に私は駆られた。
そうする代わりに、私はホセに、病院に来る途中、運転しながら考えていたことを話した。 「きょうと同じような経験を、私はもっと若いときにしたのよ。母の命が危ないっていうとき。あのときは、母はもう助からないってわかっていたのだけど、きょうの方がずっと辛く感じられた。それがなぜなのか、わからないの」 あのとき、私は二十歳の若さだった。それでもきょうのようにオタオタしなかったのは、母の死が近いことがあまりに明白で、もしかしたら、という微かな望みを持つ余地もなかったからだろうか。それとも、若い自分にはまだまだ未来があるという希望が持てたからだろうか。
こんなに心の中のことをホセに話したことはなかった。私の言葉をただ聞くだけの彼の沈黙が、胸に沁みるほどありがたかった。そのとき私に必要だったのは、吐き出す言葉をだれかがそのまま受け止めてくれることだったから。
「僕もきょう、ちょっ怖かった」今度はホセが話す番だ。「僕が病院に着いたときには、もうトーマスは呼吸困難になっていたんだ。看護師さんが手を打ち始めていたけど、トーマスは僕の顔を見て、息絶え絶えに『もう…だめだ…』なんて言ったんだよ。僕はそれに何と応えていいものかわからなかった。ドクター・ボカーリ専属の看護師さんが来てテキパキと処置を取っていったから、僕はパニックはしなかったけど」 私がその場にいなくてトーマスにはかわいそうなことをした。が、その反面、その場にいなくて良かったと、正直のところホッとした。その場にいたら、私はきっといたく動揺したことだろう。それを自己統制するだけで大変なストレスになる。ホセにいてもらって、本当に良かった。
トーマスの病室に戻ったときには、もうお昼の時間だった。 「ホセといっしょにランチに行って来るわね」と、トーマスの耳元で言うと、彼はかすかに頷いた。 「じゃ、またあとで」と、ホセもトーマスに言って、私たちはカフェテリアへ向かった。 「不公平だなぁ」ホセがいたずらっぽそうな目付きで言った。 「何が?」 「トーマスはあなたの声には応えたけど、僕には何の反応もしてくれないんだから」 ホセと私の顔がニヤッと緩んだ。そのとき、やっと緊張がほぐれていくのを感じた。
午後にはエド・スティカが来てくれた。教会の帰りらしく、正装している。エドは病室に踏み込んだ途端、トーマスには聞こえないような低い声で、「こんなことになるなんて…」と吐き出すように言った。ホセが一部始終を説明するのを頷きながら聞き、「これは一歩後退だ。でも、大丈夫だ、危機から抜け出たんだから」と、私にというより、自分に言い聞かせるように呟いた。そしてホセと交代して、夕方近くまでいっしょにいて、看護師さんやドクター・ボカーリと話してくれた。
その夜、私は看護師さんに促されて、迎えに来てくれたゲアリーとナンシーの夫婦といっしょに帰宅し、家の近くのレストランで夕食を共にした。こうしてトーマスと私は周囲の人々に支えられて、最大の危機を乗り越えたのだった。それから数日後、トーマスは人工呼吸器から離れられたものの、喉の腫れはそのままなので、喉に穴をあけて肺に管を通す手術をした。その管がある間は話すことができず、管を取ってからも何も呑み込めない状態が続くこととなった。それでも、トーマスは運がいい。命を取り留めたばかりでなく、回復まで時間がかかるとは言え、大きな後遺症もなく、いずれはもとの身体に戻れるのだから。
この経験は、私とトーマスの関係をちょっと変えた。ほとんどの面で考え方が一致している私たちだが、こと医療に関しては、東と西の違いがある。つまり、健康回復には、私は薬は最後の手段、手術は最後の最後の手段で、できるだけ自力で直したいと思うのだが、トーマスは手術や薬に全く抵抗がない。ないどころか積極的になる。ゆっくり直すなどというまどろっこいことができないのだ。だから事故後の首の骨折を手術で治すことに、迷いも恐れも全くなかった。私はそれに反対しなかった。私たちはこれまで、お互いのやることに一切干渉しなかったし、干渉しなくてうまくやって来れたのだ。
退院後2ヶ月のころ、折れた骨の回復が遅々としか進まないと、手術後の一歩後退のことをほとんど覚えていないトーマスは2度目の手術の可能性を考え始めた。が、私は絶対反対を表明した。2度目の手術は、うまくいっても首の回転が50パーセント以上失われてしまう。しかも、今度は首の前方ではなく神経線が集中している後方を切り開くので、伴う危険が大きいのだ。回復までに1年かかっても2年かかっても、じっくり着実に最小限の危険で進んでいった方がいい。その教訓を私はいやというほど学んだのだ。
トーマスがしたいということに私が反対するなど、これまで1度もなかっただけに、彼は少々びっくりしたようだった。周囲の友人たちも皆私と同意見で、共同戦線を張ってくれ、その土台の上に、微かだけれど骨の回復の気配があるという医師のことばが切り札となり、トーマスは2度目の手術の考えをすっぱり捨てた。これでますます私がボス的権限を強めた、と彼は思っているようだ。
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