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縁の下のバイオリン弾き
3 カナダロッキーへの旅―3
2010年11月3日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ バンクーバー(西村万里 スケッチブックより)
●台湾映画「海角7号」とデーヴ・ケリー

そもそもなぜ私がカナダはバンクーバーの中華街で月琴を買うことになったのか。これには長い歴史があるのだ。

私は5年生の日本語の教材をさがすためにいつも日本の新聞を読んでいる。2年前だったと思うが朝日新聞の「人」欄で田中千絵という女優の事を読んだ。まだ若い人で、子役から女優になったのだけれど優等生的な役しかもらえず役者としては今ひとつ、ということで悩んだあげく、家族の反対を押し切って台湾に語学留学した。中国語を猛勉強してついに「海角7号」という映画で主役を張ることができた、という記事だった。私は感動した。ことばがよくできる人に対してはそれだけで無条件に尊敬を払う私だが、その語学力をいかして映画に出演する、ということはほとんど奇跡に近いことに思われる。ことさら、若い時に香港で映画の新人募集に応じてみようかと考えた事もある私にとって、中国語で映画に出演するというのは自分自身の夢だった。田中千絵は日本では多少知られていたとはいえ、台湾ではまったくの無名の新人で、はげしい競争を勝ち抜いた末に主役の座を獲得する事ができたのだそうだ。その努力と根性には自然と頭がさがる。中国から日本に来て歌手になったり映画に出演したりした人は何人もいるけれど(もちろん私はその人たちを尊敬する)、その逆はいないと思う。ひょっとしたら山口淑子(李香蘭)以来60年ぶりではあるまいか。しかも山口淑子は中国育ちでバイリンガルだったのに田中千絵は中国語を一から勉強したのである。偉業、といっていいと思う。(もっとも 映画の中の彼女がしゃべっているのは中国人声優による吹き替えかもしれない。方言の違いがとほうもない中国では映画の中の音声が演技している役者のものでなく吹き替えだというのは珍しくない。たとえばブルース・リーは広東人だったから北京語はしゃべれなかった。彼の映画は全部吹き替えである。でもたとえ田中千絵の言葉が吹き替えだったとしても、中国語ができなければ台湾映画に出演はできないわけで、それだけでもえらいと思う。)

ところがその後私は友人の孫慷からこの「海角7号」という映画のDVDを贈られたのである。「中国でけっこう評判になった映画で、日本語、北京語、台湾語が飛び交うからニシさんには興味深いと思いますよ」ということだった。これはまったくの偶然で、私は孫慷に田中千絵のことはおろか、「海角7号」のことすら話した事はない。「その映画のことなら知ってるよ」というと彼はびっくりしていた。

台湾の地方都市の売れないバンドのマネージャーが田中千絵で、彼女が日本から来た大歌手の前座として自分たちのバンドを成功させるまでを描いた映画だ。
ほんとうに台湾語がやたらに出てくる。いい傾向だとは思うけれど、あまりのスピードに目が字幕に追いつかず苦労した(もちろん聞いたってわかりはしない)。

話自体はけっこうありきたりだ。しかしそこに日本語と中国語を話す田中千絵が出てくるのがミソだ。この映画を作るについては資金難で困難が多く、途中で何度も挫折しそうになったのを田中千絵が日本で資金集めに奔走してやっと実現にこぎつけたのだとインターネットに書いてあった。

そしてこの映画は台湾の映画賞を総ナメにしたのである。

田中千絵と反目を重ねながら結局は恋に落ちるバンドのボーカリスト兼ギタリストの若者は、日常生活では新米の郵便配達だ。やはりバンドのメンバーの本物の郵便配達のおじさんがけがをしたために臨時にそのかわりになって配達をしている。というか配達しようとするのであるが、自分の将来に絶望している彼はやけになって配達をせず、郵便物をためている。そのたまった郵便物の中に50数年前、台湾独立に際して台湾をひきあげた日本人の教師が船上から台湾の恋人にあててつづった手紙、結局は投函しなかった手紙の束があった。恋人も日本人でこの教師の教え子だった。彼女は台湾にのこり、台湾人と結婚した。教師が亡くなった後、その娘が昔の恋人にこの手紙を送り直した、というわけでそのあて先が「海角7号」であり、この話が映画全体のわく組みになっている。

この本来の郵便配達夫のおじさんが、ここがとても台湾的なのだが、バイクにのって配達しながら日本語でシューベルトの「野ばら」を歌う。あの「わらべは見たり、野中のばら」ではじまるゲーテ原詩の有名な歌だ。このおじさんは日本統治時代にこの歌をおぼえたにちがいなく、だから彼はこの歌をドイツの歌として歌っているのではない。あくまで日本の歌として歌っているわけだ。

そしてこのおじさんが月琴をひくのである。最後のクライマックスでかれは月琴をひきながら「野ばら」を歌う。バンドのメンバーがひとりずつ自然に歌い出し、最後に日本から来た大歌手が合唱に加わって映画は終わる。

映画をみていたリンダはこの月琴に興味をしめした。特にこのおじさんがトレモロ奏法をつかうのを見て「あれマンドリンと同じじゃないの」という。私が教えたのでリンダはマンドリンがひけるのだ。トレモロとは同じ弦をピックでつづけざまにひく方法で、ふつうはマンドリンに特有の奏法だと思われている。その奏法が中国楽器でも使われているのを見ておもしろいと思ったようだ。

それだけなら私は月琴を買うこともなかったろう。しかし話はそれで終わらないのだ。ここで友人のデーヴ・ケリーに登場してもらわなければならない。

デーヴ・ケリーは音楽仲間だが、ジャンルがちがうので長いこと深いつきあいはなかった。それが6年ぐらい前、サンフランシスコから買って帰ったギターのことで相談してから急に親しくなった.今は引退しているが彼は以前は楽器の売り買いで生活を支えていて、今でも彼の家はさまざまな楽器でうまっている。


そのデーヴから、カナダ旅行の少し前に電話がかかってきた。
「ニシ、今日ひまか」
「夏休みだからね、いつだってひまだよ」
「じゃ家に来ないか。一緒に歌を歌おう」
「いいよ。じゃ1時ごろ行く」
と私はいって、フィドルとギターを持ってリンダといっしょにデーヴの家をたずねた。デーヴの家の前庭にいすをすえて3人で午後一杯演奏した。一休みしているとデーヴが、
「ニシ、おまえムーン・ギターというのを知ってるか」
と聞く。
「知っているよ。中国の楽器だろ」
「うん、そうなんだがおれの家に1丁あるんだ。見たいか」
「へえ、ほんとうか。ぜひ見てみたいな」
「じゃ、ちょっと待ってろ」
といってかれは月琴を持ち出してきた。
「なるほど、こりゃ本物だ。だけど糸巻きが1本たりないね」
「そう、それに糸も2本しかない」
「こんなものをどうやって手に入れたんだい」
「手に入れようと思って手に入れたわけじゃない。誰かがグッドウィル(不用品回収所)に持ち込んだんだ。そこの責任者がおれの知り合いでね。売ろうったってどうせ売れるはずがないからおれにくれたのさ。どうだニシ、ほしいか」
「いや、ほしいかと聞かれてもひけるわけじゃないし、糸巻きもたりないし…」
「お前がもらってくれるんならただで進呈する。ほら、持ってきな」

というわけでいやもおうもなく私は月琴を押しつけられた。たぶんデーヴも処分にこまったあげく、単に東洋人だというだけで私のことが頭に浮かんだんだろう。


ラベルを見ると「上海民族楽器ー廠」とある。
「孫慷に手紙をだして糸巻きをさがしてもらいましょうよ」とリンダはいう。
「いや、もっといい方法がある。バンクーバーのチャイナタウンはサンフランシスコの次に大きい中国人の街だ。きっと楽器屋があるにちがいない。そこで糸巻きをさがそう」
というわけでカナダ旅行の最初の街バンクーバーで糸巻き1本を買うつもりが、結局月琴をもう1丁買うはめになってしまったのだ。(続く)
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