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ボーダーを越えて
60 思わぬ道草(14)彼の青い目(下)
2005年8月5日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 堂々とした風格のプク(もともとの名はプクプク)は、猫との共同生活の楽しさを私に教えてくれた。彼が玄関前の蘇鉄の下でお昼寝中に心臓マヒで大往生してから、そろそろ10年になる。
シーンとした病院の中を急ぎ足で歩くと、自分の息づかいが大きく響いてくるような気がする。トーマスの病室に着くと、胸をはだけてベッドに横たわり、目を大きく見開いているトーマスと、彼を見守りながら黙って脇に立っている看護課長と若い看護師さんが、小さな灯りの輪の中にいた。私の姿を見て、3人ともホッとしたような、そんな空気が一瞬流れた。

私は看護師さんたちの反対側にまわって、トーマスの顔を両手で包むようにして何度も頬を撫でた。そんなことはいままで一度もしたことがない。イギリス人と日本人という組み合わせの私たちは、どちらも感情はむき出しにしない、またそれを美徳とする文化を背負っているから、手をつないで歩くことすら照れくさくてしない、というより、できない。頬を撫でるなんて、まして人前で、もってのほかである。でも私は、とにかく彼をなだめなければ、と必死だったのだ。彼は彼で、やっと自分の味方が来たとばかりに、看護師さんへの不信を私に訴えることに夢中で、頬を撫でられているのも気付かないようだった。

「彼女たちはあんな窮屈なものを着けさせようとするんだ。あんなものをしたら死んでしまうよ」
トーマスは足元に押しやった「ローマ鎧」を憎々しげに指差した。
「それは違うわ。固定具をしないと、あなたの怪我は治らないのよ」
「そうじゃない。あんなものをしたら息ができなくなる。それでも無理矢理着けさせようとするのは、彼らはきっとあれで大儲けしているんだ」
「そんなことないわよ。看護師さんはドクターの指示通りにしているだけよ。あなたがちゃんと回復するようにって」
「彼女たちの言うことに騙されちゃいけないよ。みんなグルになってるんだから」
「そんなこと言っちゃだめ。看護師さんはあなたのためを考えてくれているのよ。私もあなたに固定具を着けてもらいたいわ。あなたの怪我が治ってほしいから」
が、いくら言ってもトーマスの理性を呼び戻すことができない。彼とこのまま堂々巡りの言い合いをし続けたら、彼の首も危なくなるかもしれない。どうしたらいいだろう…

そうだ、彼は私のお尻に敷かれているなんてよくうそぶくから、彼の言葉を逆手に取ってやろう。
「トーマス、私はあなたのボスなのよ。だから私の言うことをちゃんと聞きなさい」
「…」
「いいこと、怪我を治すためには、この固定具をちゃんと着けなきゃいけないの。わかった?」
「…でも…」
「だめっ! 私の言うことを聞かなきゃだめよ」
この作戦は効いた。トーマスは急におとなしくなったのだ。(本当に彼は私のお尻に敷かれていると思っているのだろうか…)目で合図すると、待ってましたとばかりに、看護師さんたちは手早く「ローマ鎧」を彼に着け始めた。トーマスはされるがままで、抵抗はしなかった。口ではまだ逆らって、「あんたたちはこれでまた儲けたんだろう」などと言ったけれど。
「そんなことありませんよ。こんなことで儲かるもんですか」
看護課長はトーマスの悪口をさりげなくかわしながら、「ローマ鎧」をさっさと着けてしまった。そして彼に鎮静剤を打った。

さっきまでの大騒ぎが嘘のように、トーマスは寝息を立て始めた。それを見届けて、若い看護師さんが指で私を廊下に呼んだ。
「私たち、できるだけのことはしたんです」
そう言った看護師さんは、いまにも泣き出しそうな顔をしていた。かわいそうに、この看護師さんはまだまだ若くて、経験も浅いのだろう。ICUから移されたばかりの患者を担当して、自信をなくしてしまったのかもしれない。
「いいのよ。あなたが最善を尽くしてくれたのはよぅくわかっています」
私はそう言って彼女を慰めた。

とにかく、危機は通過したのだ。ホッとして、トーマスの寝顔を見ながら、夜明けまで私もなんとか一眠りしたいと思った。ところが、彼は20分も経たないうちに目を覚ましてしまった。そして、あごの下に手を入れて頸部カラーをむしり取ろうとする。私は跳び上がって彼を止めた。
「これ、取ってくれ」
「だめよ。そんなこと、できないわ」
彼はカッと見開いた目で私を見つめた。
「なぜだ?」
「なぜって、それをしないと怪我が治らないから」
「なぜだ?」
私を見つめる彼の青い目はギラギラ光って、いつも以上に青く見える。私はふと、プクのことを思い出した。

プクはトーマスといっしょにボレゴ砂漠から海岸沿いの家に移ってきた大猫である。あるとき尿道が詰まって死にそうになり、手術をしてプラスチックの大きなカラーを首の周りに10日間もはめられてしまった。猫にとって自分の身体を舐めてきれいにできないのは、本能に反したつらいことだ。プクは私の顔を大きな黄色の目で見上げ、右の前足でカラーをこすっては、「取ってくれぇ」と言わんばかりに「ニャオー」と鳴いた。
「ごめんね、プク。それは傷口が治るまで取ってあげられないの。我慢してね」
プクは私を見つめたまま、それでも諦めて寝床に入ってしまう。そんなことを毎日10日間繰り返したのだった。

プクと同じことだ… トーマスの青い目を見返しながら、そう思った。でも、トーマスはプクのようにおとなしく諦めてはくれない。なぜだ?なぜだ?を繰り返し、私が返事に窮すると、自分で首のカラーをむしり取ろうとする。
「ノー、ノー、ノー」私はあわてて彼の手を抑える。首の骨を折って寝たきりではあっても、彼の腕力は衰えてはいない。私は全身の力をこめて彼の手をカラーからはずした。
「なぜ取っちゃいけないんだ?」
「カラーをしていないと、首がちゃんと治らないからよ」
「でもこんなものをしていると、息が詰まりそうだ」
「窮屈なのはわかるわ。なんとかしてあげたいけど、私にはなんともできないの。だから我慢して、カラーに慣れるようにしてちょうだい」
本当に「ローマ鎧」は窮屈そうだ。なんとかしてあげたい。でも、いまは首と背骨を守ることが一番大事なのだから、彼には我慢してもらうしかない。彼は諦めた様子で、うつらうつらし始める。が、すぐまた目を覚まし、同じことを繰り返した。
「なぜここを選んだんだ?」
トーマスは不意にそんなことを聞いた。
「ここは私が選んだんじゃないのよ。救急へリコプターがあなたを運んで来た所なの」私に選べるのだったら、家のすぐ近くの病院を選んだだろう。近いだけでなく、設備もシステムもあっちの方がずっといい。が、トーマスは病院のことを言っているのではなかった。毎日アボカドとパームの木の間で仕事をしてきた彼には、小さな部屋にじっとしていることだけでも苦痛なのだ。
「なぜこんな所に閉じ込められていなくちゃいけないんだ? なぜだ?」
「私だってあなたにこんな所にいてもらいたくないわ。でも、いまは我慢するしか仕方がないの」
「絶望だ」
私を見据えたまま彼が吐き出した言葉に、私はぞっとした。絶望だなんて言う人じゃないのに…
「絶望だ」彼はまた言う。2度も、3度も。
「あなたがいますごく辛いのはわかるけど、でも、必ず治るって約束してちょうだい。私のためにも。オーケー?」
彼は返事をしようとしない。そこで私は同じことを繰り返して、無理矢理彼に「オーケー」と言わせようとした。彼は渋々頷いて、眠りに落ちていった。


(あとがき)この夜のことをトーマスは全然覚えていないそうです。事故後1週間のことは断片的にしか記憶にないと言っています。
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