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縁の下のバイオリン弾き
9 カナダロッキーへの旅―9
2010年11月9日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ ジャスパー国立公園のアサバスカ滝の辺り(スケッチブックより)。
●ルイーズ湖・ジャスパーへの道

ルイーズ湖はヴィクトリア峰の大氷河が溶けた水でできた湖だ。それで山の方をヴィクトリア(女王)と名づけ、湖に娘の名をとってルイーズと名づけたというわけだ。湖に向かう小径をたどってゆくととつぜん視界がからりとひらけ、正面に氷河をいただいたヴィクトリアが見え、その下にトルコ石の色をした湖水がひろがっている。この湖にかぎらず、この近辺の水は川でも湖でもすべてこの緑がかった淡い青色だ。氷河が削ってくる土砂岩石が水にまじって太陽に反射し、この独特の色をつくるのだそうだ。それだけのことで今まで見たことがない景色をつくりだすのだから水の力は偉大だ。

見たことがないといえば、私には氷河を見るのも初めてだった。最初は雪かと思って見ていたものが、よく見ると厚みのある氷だということがわかる。遠い山の頂上にあるから厚みだなんていっているけれども、近くに言ってみたら何十メートルあるかわからないだろう。それが徐々に溶け出してこの湖に流れこむ。手を水に入れてみると切られるようにつめたい。

時々例の観光客用のヘリコプターが飛ぶのが目障りだが、よく晴れた青空のもと、しんとしずまりかえった山並みとあざやかな水の色は見るものの心を澄ませる。実際は人出も多かったし、湖水にはボートも浮かんでいたがこの静寂の印象を破るものではなく、ほとんど気にならなかった。湖のまわりを半周した。ロッククライミングしている若者を何人も見た。

ルイーズ湖を見てしまうとあとはひたすらジャスパーをめざして北上することになる。旅行前にツアーの関係者にきいたところではバンフからジャスパーまでは車で4時間、だから日帰りも可能だということだった。おかしいのはそれを聞いて、行きに4時間、帰りに4時間ではあまりにせわしなさすぎる、それではジャスパーで何もすることができないじゃないかと私が考えたことだ。そのためジャスパーに一泊することに決めた。でもこの考え方には根本的に欠陥がある。なぜならバンフ、ジャスパーともに国立公園の中にあり、そこを走るというのがそもそもの目的なのだから。ジャスパー自体には何も見るべきものはない。それにもかかわらず、ジャスパーに一泊したのは正解だった。片道4時間なんてうその皮で、たぶんその倍ちかくかかったろう。なにしろいたるところにロッキーの偉容があり、大氷河があり、断崖絶壁があるのだ。いちいち車を止めて写真をとっていたら何日あってもたりない。

途中で車がたくさん止まって人々がカメラをかまえているのに行き会った。たずねると道のそばの林の中に小熊が2頭いるのだという。私たちも車を出て見てみた。なるほど黒いかたまりが見え隠れする。でも小熊がいるということは母熊も近くにいる、ということだろう。考えてみればあぶないことだったと今にして思う。熊にかぎらず子連れの猛獣ほどおそろしいものはないと聞いている。熊の突進をのがれて行きのびられる人間はあるまい。

この日は行程の後半がすでにたそがれだったので、全部を味わいつくすというところまではいかなかったけれど、つぎの朝ジャスパーを出発して同じ道を引き返した時は本当にカナディアン・ロッキーの風光をたんのうした。

中でもすばらしかったのはアサバスカの滝である。朝ぼらけの中、広い湖から一カ所だけ水が落ちるところがあり、岩の間をものすごいしぶきをあげて駆け抜ける。滝だから勢いがあるのはあたりまえなんだけど岩にぶつかって四方八方に水がはねかえり、まっ白のかたまりとなってごうごうという音とともに目の前を飛び去る。そのすさまじさといったらない。あまりの躍動感に魅せられて鉄さくを乗りこえ、ぬれた岩に足をすべらせて水に落ち命をなくす人が毎年10数人は出ると警告の掲示板に書いてあった。溶けたばかりの氷水である。落ちたら最後、何秒とかからずに凍死してしまうのだ。

滝を見ながらその不思議さをつくづく考えた。この滝はこの怒濤の爆発を寸時もやめることなく、ここに何万年も、あるいは何十万年も存在していたにちがいない。その時間の流れを考えると圧倒される思いがする。それは海岸に打ち寄せる波を見たって、山頂にひとつとりのこされた大岩塊を見たって同じことなのだが、この激しい動きがいっときも休まることはないということだけでよけいに無限ということを考えさせられる。無限ということがないとわかっていても…。

朝のうちは小雨が降ったりやんだりで、ある時は雲が朝日にかがやき、ある時は虹が山にかかった。道の両側は手つかずの大森林でその中を清流が流れている。つぎつぎに姿を変えていく山々はその色といいその大きさといい、いつまで見ても見あきない感じがする。もちろん写真はとったけれど写真がこの景観の真価を伝えてくれるとはもとより思っていない。

行程の中程に氷河の終わりが道のすぐそばまで来ているところがある。
「登ってみようか」
「そうねえ。でもちょっとこわいわ」
「そうだなあ。あんなところですべったら今度は腕の一本じゃすまないかもしれないし…」
「ほんとだわ。ふつうのスニーカーをはいているんだもん。すっかり忘れていた」
リンダは去年の暮れ、ころんで右腕の骨を折った。リハビリを重ねてそれがようやく治ったばかりだ。サンフランシスコのちかくで生まれた彼女は今までの生涯でいっぺんも氷の上を歩いた経験がない。スキーに行ったことさえないのだ。

昼すぎバンフに帰り着いた。これからすぐカルガリーに出発するには時間がはやい。バンフの周辺にいくらもある湖水のうち、バーミリオン湖というのに行ってみることにした。ここもまたすばらしい風景で遠くに屏風のように切り立った山がむこうがわにかしいでいる。そのまま倒れてしまうんじゃないかという感じだ。湖水はおだやかだがなにしろ寒い。スケッチをしていると身体の芯まで冷えてくる。

車で徐行していると巨大なエルク(アメリカアカシカ)が道ばたで草をはんでいるのにぶつかった。こういうのは本当にどうしていいのか、対応にこまる。イエローストーン公園でバッファローを見た時と同じだ。道のまん中に立っているわけではないものの、そばを車で通っていいものだろうか。今は平和に食事をなさっているが、ひょっとして気を変えてあのみごとな角をふりたててつっかかってくるかもしれない。後続の車から女が一人降り立ってカメラをかまえている。きちがい沙汰もいいところだ。私はエルクの勇姿(といったって別に勇んでいるのではないのだが)を車の中から色鉛筆でスケッチした。

カルガリーの空港でAVISに車を返した時はほっとした。外国ではじめてのレンタルをして事故も起さなかったし、車にきずもつけなかった。よくやったと思う。(続く)
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