1989年創立 個の出会いと交流の場 研究会インフォネット
HOME 研究会インフォネットとは 会員規約 お問い合わせ
会員専用ページ
過去のINFONET REPORT カレンダー 会員連載エッセイ なんでも掲示板
会員紹介 財務報告
会員連載エッセイ
最近の記事 以前の記事
ボーダーを越えて
67 思わぬ道草(18)人は孤島にあらず
2005年10月12日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 仕事の後、毎日やって来てトーマスのひげを剃ってくれたホセ。
▲ お見舞いに来てくれた労働者たちに言いたいことを筆記するトーマス。
トーマスが呼吸困難に陥ってから3日目、喉が腫れていても呼吸には困らないように、喉の前方から気管切開をして管を通す手術をした。いつまでも喉から管を通しているといろいろな黴菌に感染する可能性があり、かえって危険なのだそうだ。同時に、血塊ができても心臓に到達しないように静脈にフィルターを差し込む手術もした。どちらも治療というより、予防処置である。そうして呼吸困難の心配も心臓マヒの心配もなくなり、トーマスは一般病棟に移された。

その手術後の最初の日曜日、病棟に着くと、トーマスの病室から歓声が聞こえて来た。いったい何事か…

病室ではトーマスのベッドを囲んで、チャル(と愛称で呼んでいるチャルマーズ・ジョンソン)と彼の連れ合いのシーラとアルゼンチン人画家のアルフレードが壁にかかったテレビにしがみつくように、アメリカ対メキシコのサッカー戦の観戦に夢中になっていたのだ。ICU病室の半分もない狭い一般病室は、みんなの熱気とお祭り気分でムンムンしていた。おまけにみんなが応援したメキシコが勝って、そこが病室だということすら忘れてしまいそうなほどますます賑やかになった。「とっても楽しいパーティーみたいですねぇ」なんて、トーマスのIVの袋を取り替えに来た看護師さんに冷やかされたけれど、文句も言われなかった。

喉の穴を開けられてしまったトーマスは声が出ないから、言いたいことはせっせと紙に書く。それをシーラとアルフレードが読んでいる間に、チャルが私にそっと囁いた。
「農園の運営資金に困っているんじゃないのかい? 私たちは日本人みたいに現金を持っているから、必要とあればいつでも出せる。だから、困っていたら遠慮なく言って欲しいな」
去年出版した本がまだまだ大評判で印税がたっぷり入ってくるのだから、と付け加えた彼は、いたずらっぽく顔をほころばせた。鋭い論説で敵も少なくないチャルマーズ・ジョンソンだけれど、奥深い思い遣りを持った人なのだ。経済的援助を申し入れてくれたから言うのではもちろんない。

10年ほど前に、トーマスが捕らぬ狸の皮算用をやった上に不況の大波を浴び、大変に厳しい思いをした経験がある。それからというもの、いつどんなことがあっても困らないように、運営資金のやりくりの手は打っておいたので、トーマスに大事故があっても資金繰りに青くならずに済んだ。それでもチャルの申し出は胸に沁みた。

チャルだけではない。惜しみなく応援の手を差し伸べてくれる多くの人たちに、私たちはどれほど支えられたことか。「思わぬ道草(15)もつれた糸」に書いたように、私の力になってくれたエド・スティッカは、用事で留守にしなければならなくなるまで、毎日病院に来てくれた。彼がいなかったら、私は途方に暮れたままくじけていたかもしれない。

同様に一番大変だったときに助けてくれたホセは、病院にハープを持って来てトーマスのベッドの脇で弾いてくれたことがある。入院中はなかなかぐっすり眠れないと言っていたトーマスだが、ホセがハープを弾き始めると、2分もしないうちにコトッと眠ってしまった。そして目を覚ました途端,「こんなに穏やかな気分で目を覚ましたことはない」と言った。ホセはハープを弾いて入院患者を慰めるボランティア活動を、月に何度か別の病院でしている。一番喜ばれるのは未熟児のいる病棟だという。ちゃんと身体の準備ができていないのに母親の胎内から押し出されてしまった赤ちゃんは、神経がぴりぴりしている。そんな赤ちゃんの隣で静かにハープを弾くと、たちまち安らかに眠ってしまうのだそうだ。そういうホセのハープの恩恵はおとなもあずかれることを、トーマスは証明したわけだ。

でも、トーマスは別の理由でホセがやってくるのを心待ちにしていた。ひげを剃ってもらうのだ。ひげが伸びてくると、首から顎にかけて付けているカラーにぶつかってチクチクすると、いとも辛そうだった。ところが女性看護師さんは誰もが、「ひげ剃りはむずかしくて…」と尻込みする。男性看護士さんは剃ってくれるとは言ったけれど、忙しそうで頼むのが申し訳ない。私がためしにやってみたら、ひげが引っかかって、トーマスをかえって痛がらせてしまった。ひげ剃りにもコツがあるということを初めて知った次第である。「それなら僕がやってあげよう」と、ホセが2週間以上も毎日やってくれた。そのうち、ホセの連れ合いのサンディが、最近は電気剃刀でも結構いいのがあるそうだと聞いて買って来てくれ、それで私にもひげが剃れるようになった。それでもホセは、仕事場からも家からも病院は遠いのに、退院するまで毎日ずっと来てくれた。

実はホセは、去年トーマスが人工股関節置換手術をしたときにも、手術の間私のそばにいてくれた。その手術は予定していたことでもあり、入院も3泊4日だけだったから、私は何も心配しなかったから、来てくれなくてもいいと断ったのだが、ホセは、1人で待つのは辛いよと言って仕事を休んで来てくれたのだ。あのときは正直言って、ホセがいてくれることのありがた味をあまり感じなかった。事態がもっと深刻だった今回は、ホセが来てくれる度にホッとしたのだから、全く勝手なものだと我ながら思う。

農園関係の友だちも大勢来てくれた。トーマスの労働者も、入れ替わり立ち替わり何度も来てくれ、筆談を余儀なくされたトーマスと、読み書きが苦手な労働者とのコミュニケーションを、ときには私のつたないスペイン語が補うこともあった。でも、一番大切なのは言葉ではない。彼らが来てくれることそのものが良かったのだ。彼らの顔を見ることは、トーマスの心を農園に繋げて力づけることになったはずだ。私もそれがうれしかった。また、遠くの友人知人が送ってくれたカードにもトーマスを喜んだ。特に子どもの手描きのカードに彼はニヤニヤし、日本から送られた折り鶴にも素直に喜んだ。

大勢の人たちからお見舞いを受ける立場になってわかったことだが、病院でのお見舞いは短くていい。(というより、短い方がいい。長くなると患者はかえって疲れるから。)わざわざ行くという心が伝わればそれでいいのだ。

お見舞いの積極的な価値を学んだのは、姪のエマのことがあってからだ。エマは義兄の一人娘で、イギリスの甥や姪の中で一番親しくしていたのだが、脳腫瘍のため32歳の若さで1年半前に他界してしまった。トーマスと私は9ヶ月の間に3回彼女のお見舞いに行ったのだが、最後のときはロンドンの病院で、彼女は眠り続けて意識を取り戻すことはなかった。それでも彼女の部屋は家族や友人たちでいつも賑やかだった。エマには私たちがその場にいることがちゃんとわかると、母親である義姉は信じていたのだ。隣の部屋にも若い女性が入院していたのだが、家族はジャマイカにいる母親だけだとかで、いつもひっそりしていた。気の毒がったエマの母親が、その女性をときにはエマの部屋に呼んで歓談の仲間に入れたこともある。

エマは私たちが帰国してから2週間足らず後、復活祭の朝に息を引き取った。静かで平穏な最期だったという。私は義兄夫婦のことを一番心配していたのだが、彼らは家族や友人たちに支えられて、淡々と哀しみを乗り越えたのだった。

エマのお葬式は彼女が好きだった小さな教会で行われたのだが、イギリス中から集まった友だちで教会は参加者があふれるほどにいっぱいだったという。それと同じ日に、彼女が第2の故郷とみなしていたオーストラリアのシドニーでも、友人たちが大勢集まって、エマを偲ぶ会を開いてくれたそうだ。

海を隔てても、人の心は繋がっていくのだ。
最近の記事 ページトップへ 以前の記事
ボーダーを越えて
雨宮 和子
かくてありけり
沼田 清
葉山日記
中山 俊明
寄り道まわり道
吉田 美智枝
NEW
僕の偏見紀行
時津 寿之
老舗の店頭から
齋藤 恵
ぴくせる日記
橋場 恵梨香
縁の下のバイオリン弾き
西村 万里
やもめ日記
シーラ・ジョンソン
徒然.... in California
明子・ミーダー
きょう一日を穏やかに
永島 さくら
ガルテン〜私の庭物語
原田 美佳
バックナンバー一覧
199 お葬式
198 とうとうやって来た日、そして雨
197 思い切り生きる
196 一夜が明けて
195 ヘザーと私の日本旅行記(6 下)文楽とフグ
194 ヘザーと私の日本旅行記(6 上)ショッピング
193 ヘザーと私の日本旅行記(5)多様な日本
192 ヘザーと私の日本旅行記(4 下)河津桜と温泉
191 ヘザーと私の日本旅行記(4 上)伊豆へ向かう
190 ヘザーと私の日本旅行記(3)葉山・鎌倉
189 ヘザーと私の日本旅行記(2)江戸・かっぱ橋・オフ会
188 ヘザーと私の日本旅行記(1) 日本到着
187 生ある日々を
186 花嫁の父
185 プラチナの裏地
184 家族をつなぐ指輪
183 「血の月」を追いかけて
182 ママハハだった母
181 アジア人(下)固定観念を越えて
180 ジプシーの目
179 選挙に映ったアメリカの顔
178 とうとう、きょう
177 アジア人(上)その概念
176 海軍出身
175 特攻志願
174 お祭り
173 ありがとう、で1年を
172 クリスマスプレゼントが今年もまた
171 スージー・ウォンの世界
170 秩序の秘訣
169 黒い雲の行方
168 ドアを開けたら
167 今年もまた
166 ボリビア(7)ボリビアで和菓子を
165 ボリビア(6)パクーの登場
164 ボリビア(5)卵の力、女性の力
163 ボリビア(4)小麦の都
162 ボリビア(3)米の都
161 ボリビア(2)2つの日系移住地
160 ボリビア(1)サンタクルス
159 闇の中で
158 みんなの宝物
157 新語の中身
156 年末のご挨拶
155 ピッチピッチチャップチャップ
154 神の仕業
153 ラタトゥイユ(2)レシピ
152 ラタトゥイユ(1)
151 プティ・タ・プティの最後の1片
150 ジプシーとの知恵競争は続く
149 豊かな粗食
148 中絶抗争
147 スーザン・ボイルの勝利
146 黄昏の親子関係
145 子ども好き
144 言葉雑感(8)regift
143 言葉雑感(7)「ん」の音
142 アメリカの理想
141 ときめく日の足音
140 言葉雑感(6)ミルクとは
139 ミルクの教訓
138 年末の独り言
137 投票日日誌
136 あと3日
135 ペイリンから見えるアメリカ
134 訴訟顛末記(1)まず弁護士を
133 園遊会で
132 柔の姿勢
131 言葉雑感(5)4文字言葉
130 豪邸の住人
129 言葉雑感(4)カミはカミでも
128 言葉雑感(3)ブタ年生まれ
127 言葉雑感(2)子年のネズミ
126 言葉雑感(1)グローバルなピリピリ
125 やって来た山火事(最終回)これから
124 やって来た山火事(9)いとおしい木々
123 やって来た山火事(8)現実に直面して
122 やって来た山火事(7)焦燥の2日間
121 やって来た山火事(6)私の方舟
120 やって来た山火事(5)避難準備
119 やって来た山火事(4)止まない風
118 やって来た山火事(3)第1日目の夜
117 やって来た山火事(2)第1日目の夕方
116 やって来た山火事(1)第1日目の昼下がり
115 しあわせな1日
114 チェ
113 メキシコの息づかい
112 「石の家」
111 「バッキンガム宮殿」での晩餐会
110 ケーキ1切れ
109 「豊かさ」の中身
108 イタリアの修道僧
107 3年ぶりの日本
106 キューバ:アメリカの恥
105 キューバ:バラコア
104 キューバ:甘い歴史の苦い思い出
103 キューバ:2つの通貨
102 キューバ:近過ぎて遠い国
101 ホンジュラス(最終回)去る者,残る者
100 ホンジュラス(19)シエンプレ・ウニードス
99 ホンジュラス(18)ガリフナ放送
98 あと1年、だったら
97 無信仰者のクリスマス
96 ホンジュラス(17)ガリフナ
95 ホンジュラス(16)バナナ共和国
94 ホンジュラス(15)マヤ文明の跡
93 ホンジュラス(14)牢獄の中と外
92 ホンジュラス(13)先住民の女性たち
91 ホンジュラス(12)一番安全な町
90 ホンジュラス(11)オランチョの森(下)
89 ホンジュラス(10)オランチョの森(上)
88 金鉱の陰で(追記)カリフォルニアで
87 ホンジュラス(9)金鉱の陰で(下)
86 ホンジュラス(8)金鉱の陰で (中)
85 ホンジュラス(7)金鉱の陰で (上)
84 ホンジュラス(6)原則に沿って
83 ホンジュラス(5)農地のない農民
82 移民政争とラティノの力(続)
81 移民政争とラティノの力
80 ホンジュラス(4)消え去った人々
79 ホンジュラス(3)ホテル・ナンキンで
78 ホンジュラス(2)レンピーラ
77 ホンジュラス(1)行ってみよう
76 本物を見る
75 豊かな心
74 蝶の力
73 単刀直入
72 愛の表現
71 ベネット・バーガー
70 感謝の日
69 思わぬ道草(最終回)原点
68 思わぬ道草(19)回復に向けて
67 思わぬ道草(18)人は孤島にあらず
66 「ニューオーリーンズ」に見えたもの
65 思わぬ道草(17)一歩後退の教訓
64 思わぬ道草(16)日没症候群
63 甦生の兆し
62 ニューオーリーンズとクリスチャン
61 思わぬ道草(15)もつれた糸
60 思わぬ道草(14)彼の青い目(下)
59 思わぬ道草(13)彼の青い目(上)
58 思わぬ道草(12)ローマ鎧
57 思わぬ道草(11)看護師騒動
56 思わぬ道草(10)近くの他人
55 思わぬ道草(9)ロールバー
54 思わぬ道草(8)楽観の2日間
53 思わぬ道草(7)一人三脚
52 思わぬ道草(6)長い夜
51 思わぬ道草(5)OR
50 思わぬ道草(4)ER
49 思わぬ道草(3)常習犯
48 思わぬ道草(2)目撃者
47 思わぬ道草(1)3月14日の夕方
46 訛った英語
45 イギリスの英語
44 英語とアメリカ
43 海の中に(下)
42 海の中に(上)
41 姓というマーカー(下)
40 姓というマーカー(上)
39 国籍あれこれ:選択肢
38 国籍あれこれ:彼の場合
37 国籍あれこれ:私の場合
36 ボーダーとは
35 最終回:グローバリゼーション
34 番外編:クリスマス・ディナー
33 サンタアナの風
32 お刺身パーティー
31 アボカド泥棒
30 アボカドと生きる鳥
29 カラスのご馳走
28 三つ子の魂
27 子宝のもと?
26 アボカド探検家
25 ゴールドラッシュの波紋(下)
24 ゴールドラッシュの波紋(上)
23 海を渡って(下)
22 海を渡って (上)
21 コンキスタドール
20 アボカド事始め
19 ハースマザーの行方
18 世界アボカド会議
17 フエルテ
16 ハースマザーの木(下)
15 ハースマザーの木(上)
14 鶏より馬
13 働く人々
12 花婿の父
11 シンコ・デ・マヨ
10 「奇跡の3月」
9 アボカド形の穴
8 父親不明
7 女性花・男性花
6 トーマスのギャンブル(2)
5 トーマスのギャンブル(1)
4 成熟と完熟
3 グァカモーレ
2 アボカドさまざま
1 メックスフライ
ページトップへ
Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved. Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等、全てのコンテンツの無断転載・複写を禁じます。
0 7 7 0 3 1 8 6
昨日の訪問者数0 4 2 4 0 本日の現在までの訪問者数0 2 9 7 1