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153 山崎と大山崎 その2 (大山崎山荘の誕生)
2015年3月27日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
さてそれでは本題に入ります。本題とは、現在の「アサヒビール大山崎山荘美術館」についてのことです。でも美術館と言いましても、ここの場合は収蔵品や展示品についてではなくて、その成り立ちと建物の内外装、それにそこからの風景に私は強い興味を持ちました。

もちろん展示品には、たとえば私が訪れた時にも、モネの睡蓮の連作(晩年の作品)が3枚あったり、ヴラマンク、モディリアーニ等の作品があったりしたのですが、それよりもその成り立ちの方が、はるかに面白いと感じました。

突然ですが、加賀正太郎(かが しょうたろう)氏という人物のことをお聞きになったことがありますか? 一般的には決して有名な方ではないのですが、なかなかの人物なのです。1888年(明治21年)大阪に生まれ、1954年(昭和29年)に66歳で亡くなった方ですが、この人物がまあ、ケタはずれの趣味人だったことから、この山荘の歴史は始まりました。

氏は大阪船場にある、江戸時代から両替商をしていた豪商・加賀商店の長男として生まれました。明治21年、明治憲法発布の前年です。加賀商店は明治に入ると証券業に参入して成功をおさめていましたが、氏が12歳の時に、父・市太郎が夭逝し、当時の慣習に従って氏が家督を相続したのですが、母親の意向で家業は番頭にまかせ、成人するまでは家業にタッチしないということになりました。

やがて彼は、学業のために大阪を離れ、当時の東京高等商業学校(現・一橋大学)に入学しました。在学中の明治43年(1910年)、ロンドンで開催されていた日英博覧会見物のためにヨーロッパに出かけました。もちろん生家の潤沢な経済力のおかげだったことは間違いありません。

ただしこの、既成のワクにはまりきれない多趣味な学生は、そのまま帰国することなく、かねてからの計画にもとづいて、帰途、スイスアルプスのユングフラウ(4148m)に日本人として初めて登頂しました。ユングフラウ鉄道として有名な登山鉄道は、1912年8月に終点のユングフラウヨッホ駅が完成していますので、加賀氏が登った1910年には、まだ現在のような整備された状態ではなかったはずです。ですから、かなりの装備が必要だったはずで、この時に使った登山用具や装備を、帰国時に日本に持ち帰り、そのことが近代日本登山に大きな刺激を与えました。氏はその後、日本山岳会の名誉会員にもなっています。

また英国滞在中には、ロンドンにある王立植物園、キューガーデンなどでランに出会って大いに感銘を受け、そのことが氏の終生の趣味となるラン栽培のきっかけとなりました。

訪欧の翌年、明治44年(1911年)、東京高等商業学校を卒業した彼は大阪に戻り、家業を継ぎました。そして証券会社(加賀証券)を設立し、大きな成功を収めながら、不動産経営、貿易業などにも進出し、実業家として大きく発展していきました。

実業家としてのこうした多忙な生活を送りながら、その合間を縫って設計から建築までを自ら手がけて作り上げたのが、氏の別荘である大山崎山荘なのです。1911年6月に、大山崎の天王山のふもとにあるこの土地を購入していますので、氏は家業を継いでほどなく、自分の夢の実現を目指し始めたことになります。

現在の美術館本館にあたる建物が、本来の大山崎山荘でして、1912年(大正元年)に着工し、1917(大正6年)年までには一応建物を完成させたのですが、庭園等、すべてを加賀氏の構想通りに作り上げたのは、1932年(昭和7年)頃とされています。まさに20年がかりで実現した、氏のロマンであったわけです。

またこの山荘建築と並行して、氏はランの栽培を試みていました。ヨーロッパで見たランの美しさが忘れられなかったのだそうです。そしてそれは次第に素人の趣味の範囲をはるかに超えるようになっていきました。山荘の敷地内に作った温室を使って、最終的には約1万鉢のランを育て、人工交配による新種を1140種も作り出すという、すさまじい成果を生み出しました。

その後、その中から選りすぐりの104種のランの絵をおさめた木版画集「蘭花譜」を制作したりもしました。太平洋戦争開始直前まで10年近くかけて制作されたこの版画集は、彫り師、摺り師ともに当時の最高の職人達が選ばれ、膨大な時間と費用が投じられました。出版は、終戦直後の1946年、もちろん自費出版でした。300部限定で、100部は海外の大学・植物園に寄贈され、200部は国内の研究者や好事家に市販したという記録があるそうです。

「お国のため」という号令のもとで、国民に過酷な負担を強い、挙げ句の果てには、家庭内の金属の供出までさせ、同時に軍需産業を大儲けさせて作った軍艦、軍用機、戦車、銃器等々は、人間の命を奪った挙げ句に、すべて海のもくずとなったか、廃棄物となり、結局、国民には何の役にも立たなかったわけですが、「非国民」扱いされ、「お国のためにならない」と非難されかねなかった贅沢品のランの記録は、こうして後世に大切な記録として残されたわけです。敗戦後間もない日本から、極めて高い水準の植物図鑑を寄贈された海外の研究者達は、日本の文化水準の高さにあらためて敬意を持ったことでしょう。戦前、加賀氏がこうした画集を制作し始めたのは、彼なりの読みで、軍国主義下、1万鉢ものランを栽培し続けることが困難になる時代を見越してのことであったような気がします。

上の写真は過日、大山崎山荘を訪れた際のものです。上段の写真に写っている塔は、隣接する真言宗智山派の古刹「寳積寺(ほうしゃくじ)」の三重の塔です。奈良時代に創建されたこのお寺も、なかなかの歴史を持っています。

中段の写真は本館のベランダに面した外観です。構造は鉄筋コンクリートですが、外観は木の柱を露出させてその間にレンガ壁を組んだハーフティンバー工法で、淀川を見渡す大きなテラスが備えられています。内部はがっしりとしたイギリス風の調度がそなえられています。下段の写真は内部のほんの一部ですが、家具調度を含め、本当にすばらしいものでした。氏が滞英時代に体験した当時の先進国の暮らしを、そっくり持ち込んで来たかのようです。

次回は、この「大山崎山荘」が、どうやって「アサヒビール大山崎山荘美術館」になったのかの歴史をご紹介させていただきます。そこには、アサヒビールはもちろん、ニッカウィスキー、サントリーまで絡んできます。なかなか面白いですよ。
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