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縁の下のバイオリン弾き
15 おらんだ正月
2011年1月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ アブラハム・ファン・ベイエレン「静物」1667
おらんだ正月


こどもの頃、正月の年始客が来ると父はよくカクテルを作った。ふだんはそんなことしないのに、正月になるとシェーカーを持ち出してカシャカシャ氷の音をさせながらそれを振った。

そのカクテルに必要だからだろう、父は冬だというのにレモンを買った。貿易自由化以前の輸入品だから当時は高かったにちがいなく、二つ三つのレモンを使って大事そうにレモン・ジュースをつくったり、薄切りにしたりしていた。

レモンにはSunkist(サンキスト)というスタンプがひとつひとつに押してあった。そのことばが「太陽にキスされた」という意味だとさとったのはいつの事だったろうか。その名のしめすようにレモンは南の国のもの、地中海沿岸とかカリフォルニアとかでできるものだ。

ところが17−18世紀のオランダの静物画にレモンがよく出てくる。オランダは北の国だからレモンがとれるはずがない。どうしてオランダの絵にレモンがでてくるのだろうか。

静物画というのはオランダから始まったそうだ。いろいろな種類の静物画があるけれど、食卓画といって、テーブルの上に置いたたべものを描くジャンルがある。

私の勝手な分類によるとその中に「質素派」と「豪華派」がある。質素派というのは庶民の日常を描いたものでパンとチーズあるいはニシンのくんせいなどが切り分けられて皿の上にある。ガラスのコップがあって、中に入っているのは水だ。陶器のパイプが描かれている事もある。たいてい切り分けるのに使ったナイフがそばにある。

豪華派はテーブルの上にたべものがそれこそ山のように積んである。ロブスター(オマールえび)、ハム、生ガキ、ぶどう、レモン、オレンジ、もも、りんご、などなど。ほとんどといっていいほど中国から輸入した磁器、白地に青でもようを描いた鉢とかつぼとか皿とかがいっしょに描かれている。中国では青花(チンホァ)といい、日本では染め付けあるいは呉須というものだ。これは当時きわめて高価なものだった。飲み物はグラスに入ったワイン。

これら静物画はたべものや食器をどれだけ写実的に描けるか、というのが画家の腕の見せ所だった。だから必ずガラスの器が入っている。ほかのものはごくふつうのものばかり、という質素派の絵でも高そうなガラスのコップや水差しが描かれている。それはガラスというものが絵にするにはむずかしいものだからで、ガラスの質感、反射する光、中の水を通して微妙にたわんで見える物体などを写実的にうまく描こうと思ったらちょっとやそっとの技術では間にあわない。

豪華派のほうはもっと大変だ。レモンはたいていナイフで半むきにされていて、むかれた皮のリボンがたれさがっている。レモンの皮をむいてどうするんだ、と言いたくなる。だってそうじゃないですか。レモンはスライスにするか、四つ割りにして果汁をしぼるものだ。皮をむいたレモンにかぶりつく人はあまりいないだろう。

でも、これは皮をむいたときのレモンの中身、あのつぶつぶの質感を描きたいからこうなっているのだと思う。

ロブスターだって生ガキだってそうだ。ロブスターのとげのある殻を忠実に写す困難はいうまでもない。カキは簡単そうにみえるけれど、へたすると目玉焼きになってしまう。ぶどうにしたってあの一粒一粒に反射する光を描かなきゃならない。中には凝りに凝って殻を割ったざくろを描いた画家もいる。

これらの題材は画家にしてみれば創作意欲を刺激するものだったにちがいない。でも、芸術家だって生身の人間だから作品が売れなければ困る。だからこれらの絵は買い手があったわけだ。それはどういう人たちだったのだろう。

質素派の絵は当時のオランダ人の食卓を描いたものだから、ふつうの市民が買ったのだと思われる。豪華派のほうは金持ちの商人がパトロンだったのではないだろうか。その頃のオランダは商業立国だった。貿易のもたらす富によってヨーロッパでも一、二を争う大国になっていた。勢いに乗る商人階級がうなるほどある自分の富を見せつけるためにこういう絵を注文したのだろう。

絵に描かれるものは高いもの、エキゾチックなものでなければならなかった。ロブスターや生ガキは大西洋でとれるからオランダでは珍しいものではないだろうけれど、レモンやぶどうは輸入品だろう。現代とちがって、それが「ある」というだけで驚きだったにちがいない。その証拠に、絵に描かれたレモンはたいていたった一つである。

ヴェネツィアのガラスの器や中国の磁器はそれこそおごりのきわみといっていい。

客 「ほう、みごとな絵ですなあ」
主人「ありがとうございます。私の家でもたまにはこのまねごとをすることもありましてね。この間もボルドーのいいのが手に入ったのでカキを2ダースとシチリアのレモンで一杯やりましたがね、いや実にけっこうでしたな。はっはっは」

オランダ人は東インド会社という国策会社を作り、インドネシアを支配下に置き、中国や日本と貿易した。東方の文物をヨーロッパにもたらして莫大な利益をあげた。中国の磁器は彼らが本国に持ってきたものだ。

日本では長崎の出島に押し込められていたのはご承知の通り。隔離されてはいてもキリシタン禁制の国でおおっぴらにクリスマスを祝うわけにはいかない。そこでクリスマスのかわりに太陽暦の一月一日を祝った。彼らは長崎の重立った人々 をオランダの食事に招いた。そのうちに日本人の通事(通訳)がまねをし出して自分の家にオランダわたりの家具とか食器とかをそろえて宴会をし、これを「おらんだ正月」といった。日本の正月とは日が違うからだ。

江戸でも蘭学者(オランダ学者)や蘭癖(オランダ文化愛好家のことをこういった)の人々が集まっておらんだ正月を祝った。1794年から1837年まで毎年パーティーが開かれたというからおどろく。実に43年という長い年月だ。こうなるとそれは単なる思いつきとか流行とかいうものではない。オランダからもたらされる新しい情報、新しい生活様式に日本人がいかにひかれていたかをしめしている。

オランダ人はエキゾチックなものを求めるあまり地球を半周して日本にたどりついた。そしたら今度は日本人によって自分たちが究極の「エキゾチック」にされてしまった。おらんだ正月はそのあらわれだ。それに気がついた時のかれらはどんな心境だったろう。

フランス革命とそれに続くナポレオンの時代にオランダはフランスに併合され、オランダという国はしばらくヨーロッパから消滅した。しかし長崎の出島にだけは毎日オランダ国旗がひるがえっていた。それでかれらは「オランダはいまだかつて一度も滅亡したことはない」という。
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