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ボーダーを越えて
72 愛の表現
2005年12月12日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ タトゥはアフリカングレイ。オウムの中でも特によくしゃべる種類である。しゃべるだけでなく、なんでも噛み砕いてしまうので困っている。
「タトゥは話せるんですか?」
我が家に初めて来た人は、オウムのタトゥを見ると必ずそう聞く。聞かれたタトゥは、ただじっと見つめ返すだけ。人見知りというより、人にあまり近づかれると黙ってしまうのだ。適当な距離があって、本人(本鳥?)がその気になったら、うるさいくらいひとりでしゃべりまくる。

電話が鳴れば、私たちが受話器を取る前に、タトゥは「ハロー」と言う。夜が更けてくると「グッドナイト」と告げ、犬たちがバタバタ暴れると「ジプシィィィ---! マフィィィィ---!」と私の代わりに叱ってくれる。わざわざ教えたわけではない。よく耳にするから覚えてしまったのだ。かえって教え込もうとする言葉は、なかなか覚えてくれない。

タトゥに向かって「アイ・ラヴ・ユー」と毎日言って聞かせたことがある。そのたびに彼は首をかしげ、キョトンとした目で私を見つめるだけ。それが半年も続いて、ようやく「アイ・ラヴ・ユー」と言ってくれるようになった。が、訓練を止めたら、途端に言わなくなった。無理もない。我が家ではなかなか耳にしない言葉だもの…

「アイ・ラヴ・ユー」という言葉は、アメリカでは男女の間のみならず、親子、兄弟、友人同士(恋人同士ではない)でもよく交わされる。アメリカ映画を観ていると、男女の間と同じくらい頻繁に家族の間で「アイ・ラヴ・ユー」という言葉が飛び出すことに気が付くだろう。トーマスにはアメリカに親類がいて、特に従妹とその長女とは私も親密に付き合っている。アメリカ生まれでアメリカ育ちの彼女たちは、電話を切るときに必ず「アイ・ラヴ・ユー」と言う。「愛しているわ」と真剣に言っているのではない。一種の挨拶のようなものである。とは言え、そこにはやはり信頼と愛情がこめられているから、嫌いな人には「アイ・ラヴ・ユー」とは絶対に言わないだろう。

ところが、「アイ・ラヴ・ユー」だなんて、イギリス人は滅多に言わない。イギリス人は「コチコチの上唇」(stiff upper lip)を保っているとよくいわれる。上唇を突っ張る、つまり感情を表に出さないということだ。その傾向は社会階層の上になればなるほど強い。故ダイアナ妃が一般民衆に大人気だった(いまでも人気はあまり衰えていない)のは、上流階級の出身でありながら、ありのままの感情を隠さずそのまま行動したからだろう。彼女自身そのことを十分心得ていて、それを意識的に駆使して民意を獲得していった気配がある。

それはともかく、トーマスだって若いころはガールフレンドに「アイ・ラヴ・ユー」と言っただろうが、いまは言わないのだ。彼の親類や友人が言うのも私は耳にしたことがない。(でもまあ、日本人もアメリカ人ほどには「愛してる」とはあまり言いませんね。私も滅多に言いません。)ごくたまぁに、そう、1年か2年に1度ぐらい、彼に「愛してるわよ」と言ってみたくなるときがある。言ってみると、彼はニヤッとして、「うれしいこと言ってくれるね」とまんざらでもなさそうだ。それなら「僕もだよ」と言ってくれてもよさそうなのに、絶対に言わない。彼には「アイ・ラヴ・ユー」という言葉を発するのに、なにか大変なハードルがあるようだ。こんな家に住んでいるので、タトゥーは特訓の結果やっとその言葉を覚えても、すぐ忘れてしまったのだ。

トーマスに「アイ・ラヴ・ユー」と言われなくても、99パーセントは気にならない。気になるのは、彼は自分の仕事以外のことでは何でも私任せで、私に言われるまで何もしないことだ。私が文句を言うと、「君の指図を待っているんだよ」と、のたまうのだから、世話が焼ける。
「自分の頭を使って、自分で考えて、どんどんやって」と言っても駄目なのだ。どうせお尻に敷かれているんだから、と言って逃げてしまう。そんな彼を追いかけて捕まえることもたまにある。そうすると、「お尻に敷かれていた方がラクだから」と、彼は本音を吐く。

日本人の友人Yさんの会社の同僚にも、お連れ合いのお尻に敷かれているアメリカ人男性がいるそうで、彼に言わせると、「奥さんがボスザル状態でいられるのも、自分(夫側)の愛情あってのことで、愛情がなかったら誰がこんな奴の言う事聞くか!というのが実は本音らしいです」と、Yさんは教えてくれた。一理ありそうではある。

普段は全く気にならないのに、ふと、トーマスが「アイ・ラヴ・ユー」と言わないことに淋しくなることがある。大抵の場合、彼がロイドン家のことで頭がいっぱいで私の気持ちを無視していると感じるときだ。そんなとき、つい、「私のこと、愛してる?」と聞いてしまう。
「もちろんさ」と、彼は即答しても、決して「アイ・ラヴ・ユー」とは言わない。「仕草とか言葉遣いでわかるだろう?」
まぁねぇ、それはそうだけど、でも、そういうことじゃないんだなぁ… 
頭ではわかっているけど、心の中に不安定なものがあると、それを確固とした言葉で彼に消してもらいたいのだ。が、そのことをどう彼に伝えたらいいのかわからない。そのうち、私は心の平静を取り戻して、「アイ・ラヴ・ユー」と彼に言ってもらわなくていもいい、と私は気をとり直していく。そういうことを繰り返してきた。

でも、トーマスの事故の後は、そう簡単には自分を言い聞かせられなくなった。あのまま彼が逝ってしまっていたら、私は彼から言葉化された愛を1度も受け取らずに終わってしまったことだろう。それはどこかに疑念を残す。たとえ米粒ほどの小さなものであっても、それはつらい。

「ねぇ、私を愛してる?」と、私は改めて聞いた。
「もちろんだよ」また、そんな当たり前のことを、と言いたそうな笑い顔で彼は答える。
「それならちゃんとそう言ってよ」
「言ったよ」
「言ってないわよ。きちんと自分で言って」
「言ったじゃないか」
「だめっ。ちゃんと言って」
彼の顔は一瞬、こわばった。でも、思い切ったのか、諦めたのか、「アイ・ラヴ・ユー」と、彼の口が動いた。

ワァーッ、とうとう言った! いや、言わせちゃった。
これで彼は大変なハードルを越えたのだ。もっとも彼自身は、私の指示に従っただけ、と自分を慰めているかもしれない。が、それも愛の表現?と考えておこう。

「アイ・ラヴ・ユー」という言葉は、もう2度とトーマスの口から聞けないだろう。が、それでいい。
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36 ボーダーとは
35 最終回:グローバリゼーション
34 番外編:クリスマス・ディナー
33 サンタアナの風
32 お刺身パーティー
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28 三つ子の魂
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18 世界アボカド会議
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16 ハースマザーの木(下)
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12 花婿の父
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