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ボーダーを越えて
74 蝶の力
2006年1月23日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ アンガンゲーオの教会。
▲ 水を飲むモナーク蝶。
▲ アンガンゲーオの教会の近くのレストランで出されたデザート。
1月10日の朝,まだ暗いうちに目が覚めてしまった。さむ〜い! 暖房がない上、厚くはあってもたった2枚の毛布では,のしかかって来る冷たい空気は防げない。夫も私もセーターを着込んで寝たのだが、それでも体を丸くして熱が逃げないようにじっとしていた。夜明けとともに教会の鐘が30分おきに鳴る。教会の近くに宿を取ったのがまちがいだったかな、と思ったが,三方を山に囲まれた細長いアンガンゲーオ(Angagueo)というこの小さな町では、鐘の音は隅々にまで届くことだろう。早起きさせて仕事に駆り立てようというつもりなのかしらん。あちこちから鶏の鳴き声が聞こえて来る。

前日までの4日間を過ごしたクエルナバカ(Cuernavaca)とは大違いだ。メキシコシティから50キロほど南にあるクエルナバカはアズテックの王様の別荘があった気候温暖な所で、メキシコを征服したエルナン・コルテスも宮殿を建てた由緒ある都市であり、ホテルも一流のものがそろっている。そこからバスを乗り継いで、メキシコシティから西へ200キロ行ったところにあるアンガンゲーオにたどり着いたのだ。

アンガンゲーオからさらに6キロ余りの山奥に、毎年1億5千万のモナーク蝶がアメリカ中西部や東海岸、さらにはカナダ南部からも越冬にやって来る。1度はその蝶々を見てみたいと思いながら、その山を遠くから眺めて通り過ぎたこともある。が、ハリケーンでメキシコ湾沿岸の自然環境が破壊されて、モナーク蝶は例年の移動ができなくなってしまったのではないかとメアリーランド州の知人が心配しているのを聞き、それならモナーク蝶の安否を確かめてこようと、ここまでやって来たのだ。

だんだん明るくなって来た頃,思い切ってベッドから這い出した。朝食は7時15分で、8時にモナーク蝶保護区域へ行くのに雇ったカミオネタ(小型トラック)が迎えに来ると前の晩に言われていたからだ。お湯は昨夜のシャワーのときだけ。仕方なくお水で顔を洗う。蛇口から出て来るお水は氷水のようで、たちまち指の先がハンマーで叩かれたように痛い。あわてて指先を口の中に入れて自分の吐く息で温めたけれど、いい歳をして泣きべそをかいてしまった。

食堂に行くと、前日はちっぽけな町にはふさわしくないビジネスツーツを着ていたプリス・ラモスという名の女将さんが、トレーナーにセーターというくだけた姿で、まずコーヒーとオレンジジュースを出してくれた。「今朝は2−3日前よりずっと暖かいんですよ」なんて言う。泊まり客は私たちだけ。このホテルはプリスさんが、4人の子ども全員が大学と大学院に在学中だから「とにかく働かなくっちゃ」と言って何でも一人で仕切っている。刻んだハムとタマネギとトマトと青い唐辛子の入ったメキシコ式炒り卵も彼女が作ってくれ、それにアボカドとトルティア*を添えた朝食を済ませると、体がやっと温まった感じがする。

時間通りに迎えに来たカミオネタに乗り込んだ。荷台にも座席が作られている。クリスマスやお正月休暇の間は1日平均千人ぐらいの観光客がモナーク蝶を見に訪れるというから、カミオネタも満員になるのだろう。私たちの泊まったホテルの台帳には、アメリカはもちろん,ヨーロッパや東アジアからの泊まり客の名前が記されていた。ガブリエルという名の純朴そうな青年が運転するカミオネタは舗装されていない急な坂道をノロノロ上り、アンガンゲーオが遥か目の下になったころ、エルロサリオ(El Rosario)という名のエヒード**に入った。まだ新しそうな電線が村中に走っている。エルロサリオに電気が通ったのは8年前だと、ガブリエルが教えてくれた。メキシコ政府がエルロサリオの山をモナーク蝶保護区域と指定した1986年以来、観光客が訪れるようになって現金収入をもたらし、こんな山奥のエヒードの生活水準も少しずつ向上してきたのだろう。その奥の山の中にモナーク蝶保護区域はある。

保護区域はエルロサリオの住民が管理していて、1人30ペソ(3ドル弱)の入場料を徴収している。入り口のそばには情報センターが完成したばかりで、その広い部屋の真ん中にポツンと置かれたテレビでモナーク蝶の全容をビデオで見せ、隣の展示室では蝶の生態うや移動の経路について説明してある。移動経路の地図を見ていて、ローッキー山脈以東の蝶がなぜカリフォルニアで越冬しないのかがわかった。理由は簡単だった。蝶は標高の高いロッキー山脈を越せないのだ。

情報センターの前にたむろしていた地元の男性たちのうちの1人が私たちに近寄って来て、ボランティアのガイドだと言い、返事を待たずに山のもっと奥へ上る道へ私たちを導いた。そこに前の晩にレストランで出会ったアメリカ人の父と娘、青年2人がガイドとやって来て、入り口から蝶の集まっている地点までの道を一緒に上り始めた。

高くそびえ立つ杉の森の中に敷かれた坂道を、ゆっくり2キロ近く上った。夫も杖をつきながら、最後尾だがちゃんと上った。途中、地面に落ちている蝶を何羽か見たが、ガイドはそれを手の平に載せて、まだ生きているとわかると、口元に近づけて暖かい息をそぅっと吹きかけた。我々人間は歩くにつれて体が温まり、ガイド以外の全員が途中で上着を脱いだ。そうして少し開けた場所についた。そこが目的地点だった。そこから東の斜面の明るく日が射したところを見て、みな息を呑んだ。100メートルほど離れているが、枝がもくもくした黄色いものに覆われ、垂れ下がっている杉の木が何本も見える。蝶の大群がぶら下がっているのだ。1羽の蝶の重みはたった0.8グラムしかないそうだが、100万の蝶が集まれば、800キロの重さにまる。蝶の重みで折れてしまう枝もあるそうな。耳を澄ますと、しとしと雨が降っているような音が聞こえる。1億以上の蝶々の羽ばたく音だ。そこは蝶の世界だった。私たちは息を殺して眺め続けた。

その地点の三方はロープで遮られ、そこから上にも奥にも進めない。杉の木の枝に密集した蝶々を近くで眺められないのは残念だが、長飛行でやっとここまでたどり着いた蝶々は近寄らずにそっとしておいた方がいい。そのかわり蝶の方がこちらに近寄って来て、目の前の木の幹や野草、はては人の体に止まったりする。日が高くなるにつれて、飛び回る蝶々の数が急速に増えて行き、やがて、勢いよくどんどん下方に向かって飛んで行くようになった。暖かくなったので,水を飲みに行くのだ。私たちも退散しよう。

坂道を下る私たちの周りを、無数の蝶々が羽ばたきながらいっしょに下りて行く。さっきは神秘的な蝶の世界に足下に立ちすくんだ感じだったが、いまは人も蝶も仲良くいっしょに山を下りて行く。おとぎの世界に入ったような気分で、私たちは遠慮なく大声で話しながらウキウキと歩いた。ふと見上げると、頭上にはもっとたくさんの蝶々が流れ落ちるように飛んでいる。さらにそのもっと上には、すでに水を飲み終えた蝶々がさっきの森に向かって飛んで行く。

朝は保護区域入り口付近には、蝶は1羽もいなかった。私たちが森から下りて来たのは午後1時近かったが、近くの小川の浅瀬は、水を飲む蝶々でびっしり埋まっていた。そうしてまた、深い森に戻って行くのだ。蝶々のために、夜があまり冷え込まなければいいけれど…ふと心配になる。2002年の冬には大寒波がこの地を襲って、エルロサリオで越冬していたモナーク蝶の80パーセントが凍え死んでしまった。もう1カ所の保護区域では75パーセントが凍死し、全部で2億〜2億7千万もの蝶々が命を落としたという。それでもここまで数が回復して来たのだから、モナーク蝶の力は大したものだと思う。

(註)
*トルティア(tortilla)=トウモロコシの粉で作ったチャパティのような薄いパンで、メキシコ人の主食。
**エヒード(ejido)=メキシコ革命で大地主所有から元農奴に分配された農地を基に結成された農業共同体。

モナーク蝶については英語ではわんさとウェブサイトがありますが、日本語では以下が一番正確で、しかも分かりやすく説明されています。
http://www.biology.tohoku.ac.jp/lab-www/plsyst/encyclopedia/c_ikimono/monarch/monarch1.htm
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