|
|
|
2 |
|
 |
|
ゆでガエル |
|
2003年1月5日 |
|
|
|
 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
|
|
 |
|
▲ 今日の葉山・森戸海岸は大荒れ。ここは僕の散歩コース。去年はこの景色を見ながら瞑想にふける時間が長かったなあ。 (5日正午撮影) |
|
|
|
年賀状にメールアドレスを付記してくれた人たちに、今年は返礼をメールで打つことにした。 『私の年頭の所感めいたエッセイを書きました。研究会のサイトでぜひ読んでください』−。 元旦にあえて「ゆでガエル」の話を書いた。厳しい日本の状況をあらためて認識し、ともにがんばりましょうというエールを込めたつもり、だった。 だが途中、「ん?」とキーを打つ手が止まった。
『会社の業務悪化により、年末にリストラとなりました』−。 おいおい、お世話になった取引先PR会社の部長さんではないか。あわてて他のハガキをめくる。 あった。 『昨年7月に会社を辞め、浪人しています』−。 高校の同期生、住宅メーカーの営業職。うーん、なぜもっとはやく知らせてくれなかった。 さらにもう1枚。 『昨年退社しました。いまは気ままに暮らしています』−。 確かぼくよりずっと若かったはずだ。コタツにもぐりこんだネコがうたたねする写真を添えているところをみると、そう心配はなさそうだ。
だがまずい。「ゆでガエル」の話は、このひとたちにはいかにもまずい。僕は、「思慮分別もなくビーカーを飛び出してしまった、元気と感度だけはあるが能力的には?マーク」の「おっちょこちょいガエル」の話に力点を置いたつもりだった。が、読みようによっては、まじめなサラリーマン(あるいは「だった」ひと)を揶揄する文章に思われてしまうかもしれない。それは本意ではない。 送信ストップ。
だがメールの反応はすばやい。すでに打ってしまった知人から返事が到着しはじめた。
『「ゆでガエル」は私の現役時代、他社の新入社員研修を7年間やった中で、毎年のように引用したものです。他社の人たちには研修で話しながら、自分自身結局は何もできず、ゆであがっていたように思います』(大企業OB) 大らかな気持ちで読んでくれた人生の先輩に感謝! ほっ。
『最近は「ゆでガエル」の世界もたいへん、たいへん厳しくなっています。ご時世でしょうねェ。中は熱くなってきているのに、外の寒波に耐える自信もない。いずれ、ゆで上がるんだろうと分かっていても、けっして外へは出られない。中には、ジャンプ力が落ちて出られないカエルもいます。こういうとき、自浄システムみたいなもんが働いて、いろいろ策が練られるんですが、やっと奇抜な対策が決まっても、ぬくぬくに慣れきってきた鉢巻きガエルが「うん」といわない。「ゆでガエル」の運命や如何に。です』(同年輩の友人) そう。すべての組織人が現状に甘えているわけではない。そういう人たちに尊敬心をいだくことはあっても、揶揄する気持ちなど毛頭ない。それにしても「鉢巻きガエル」とは言いえて妙。
『おっしゃる「ゆでガエル」のお話、独立して初めて感じたこと、結構ありました。今年の仕事のモチベーションにつながりました』 会社を辞め、独立したばかりの若きアドベンチャー。がんばれ、恐れることはない。あなたの年齢は僕の半分にも満たない。
『「凍りガエル」にならぬようがんばります』 熟慮のすえ大企業を飛び出したが、いま株価急落のベンチャーで苦闘するあなた。この寒風はおたがい骨身にこたえますが、助けあって行きましょう。
ということで、もし僕の前回の原稿で、憂鬱になったり、傷ついたり、ムカッとしたひとがいたらごめんなさい。これを書いているカエルこそ、過去の「ゆでガエル」時代の甘えからなかなか脱することができないでいる「あまガエル」なのです。
「あなたが私の夫でなく、面白い冒険談だけを聞かせてくれる友達だったらどんなにいいだろう」−これ、僕の「つれあいガエル」のつぶやきです。
|
|
|
|