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2006年2月5日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 「ヴェニスのカナレット」のパンフレット
▲ 私の目で見たヴェニス(2003年8月撮影)。ただ単に、わぁ、きれい、カチャっ、と撮った写真。カナレットの描いたヴェニスの方がはるかに生き生きしているのは当然。
カナレット(1697-1768)というと、ヴェニス、と決まっている。生粋のヴェニス人で、18世紀前半にヴェニスの風景を描きまくったのだから。が、彼の作品のほとんどはイギリスにある。当時ヴェニスに住んでいたジョーゼフ・スミス(1674-1770)というイギリス人銀行家がカナレットの多くの作品を購入して見事なコレクションを築き、また彼の画商の役割も果たして、カナレットの作品を次々とイギリスに送り込んだからだ。18世紀のヴェニスはイギリス有産階級憧れの旅行目的地になっていたことも、カナレットの絵画がイギリス人の間で大人気となった理由の1つだろう。

ジョーゼフ・スミスのコレクションは1762年にジョージ3世に買い取られ、以後イギリス王室がカナレット最高作品の所有者となった。そのコレクションの展示が、「ヴェニスのカナレット」(Canaletto in Venice)と題して昨年11月よりロンドンのクィーンズ・ギャラリーで開かれている。(4月23日まで開催していますので、ロンドンへ出かけられることがあったら、是非いらしてください。)

昨年暮れにイギリスへ行く前に新聞でこの展示について知り、夫の甥に前もって切符を買っておいてもらった。と言っても、私はもともとカナレットの大ファンという訳ではなかった。カナレットの画風は緻密すぎて私の好みではない。そう思っていた。それでも見に行ったのは、イギリス人の夫が興味を持っていたからなのだが、彼だって本当に好きだったのかどうか、あやしいものだ。

カナレットの作品は、大勢いた弟子たちはもちろん、彼の甥や果てはイギリス人画家までが模倣していて、それらはカナレット派と呼ばれている。カナレット自身の手による作品だと、その価値は大変なものだが、カナレット派のものだと当然のことながら、価値は100分の1ぐらいにガクッと落ちる。夫はたまたま、海に面したドゥカーレ宮殿のカナレットらしい絵画を先祖から受け継いでいて、それを甥に譲り渡すことにしたのだが、それがカナレットの手によるものなのか、それともカナレット派のものなのか、わからない。専門家に見てもらっても、波立ちの描き方がカナレット自身のものではなさそうだが、確信はないと言う。かくいう事情があって、女王所有の(絶対に本物だとわかっていて、しかもカナレットの作品の中でも最高といわれている)ものを是非見たい、という、お恥ずかしいながら芸術鑑賞とはかけ離れた動機で、展示会へ出かけて行ったのだ。

クィーンズ・ギャラリーはバッキンガム宮殿の脇に付いている。もともとは王室専用のチャペルだったのを、一般向けのギャラリーに改造したのだそうだ。空港のセキュリティチェックのような警備態勢の入り口を通って2階に上がると、まず細長い通路のような場所に線画がいっぱい展示してあった。これは意外だった。そう思ったのは私の無知のためだろうけれど、最初から明るい油絵を想像していたので、モノクロの線画をこんなにたくさんカナレットが描いていたとは驚きだった。

もっと驚いたのは、線画が生き生きしていることだ。カナレットの線画は、油絵の先駆けのスケッチ、油絵の注文を取るための予告版、最初から線画としての完成させたもの、という3つのカテゴリーに分かれるそうだが、どれもが無駄のない線で風景を捉え、軽いタッチで描かれた人物や犬はいまにも動き出しそうに生きているのだ。カナレットがこんなにすごいとは… 私は1枚1枚をじっくり鑑賞した。

線画を見ただけですっかり満足した私は、中央展示室に足を踏み入れて最初の油絵を見た途端、息を呑んだ。運河の水と空の色のなんと鮮やかなこと。陽の光を反射して美しく光る建物の壁の色のすばらしさ。しかも、水も雲も太陽も動いているのを感じさせる。人々が立ち話している。犬が走ったり、ちょこんと座ってしっぽを振ったりしている。絵の中の世界が生きているのだ。じーっと見ていると、自分も額縁の中の18世紀のヴェニスで生活しているような気がして来る。どんなに立派なプリントでも、こういう生気は感じられない。カナレットの世界から受けた衝撃ともいえる感動は、本物の絵画でからしか得られないものだ。

あっ、違う、先祖代々受け継がれて来たという夫の家の絵は、カナレットの手によるものじゃない。とっさにそう思った。もちろん、あの絵だって修復してもらったらもっと明るさが出て来るかもしれないが、どうも生きた感じがしないのだ。(もっとも、カナレットは1746年から9年間イギリスに渡ってイギリスの風景画を手がけたそうだが、そのときには彼の画風は型がはまって精気がなくなっていたという。)

ギャラリーの油絵は、大運河の西方の端から始まって東方の端に抜けてドゥカーレ宮殿に出るまでの地点を描き、全部で14点あった。カナレットの絵は緻密すぎる現実模写のようなものと思い込んでいた私だが、目で見た風景をそのままキャンバスに写したのではないということが、この展示でよくわかった。カナレットは自分の創造性に応じて、キャンバス(あるいは画紙)に入れる視野を広めたり縮めたり、建築物を入れたりはずしたり、あるいは角度を変えたり、または完全に想像上の風景を加えたりしていたのだ。もちろん人物や犬は彼の思い通りに配置している。つまり、カナレットの描いたものは、18世紀前半のヴェニスの風景そのものではなく、カナレットの世界の中のヴェニスなのだ。そんなことは美術の世界では当たり前の論理かもしれないが、私は「本物」のカナレットの絵の前で、そのことを実感から学んだのだった。(それは美術に限らず、写真の世界でも同じことだろう。会員の椹木さんの一連のエッセイを思い出す。)

「どう思う?」
ギャラリーを出たときに、夫が聞いた。
「残念ながら、あなたの絵はカナレットじゃないと思うわ」
私が正直に答えると、夫は「ウン」と言ったまま、黙っていた。彼も同じことを感じたようだった。
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