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縁の下のバイオリン弾き
20 帽子の話(2)「衣冠を正す」
2011年4月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 渡辺崋山「鷹見泉石像」1837年
▲ 渡辺崋山「佐藤一斎像」1821年
日本ではあまり見かけないけれど、アメリカでは絶大の人気を誇るトヨタの車種にカムリがある。Camryと書くから「なんだかわからんが英語なんだろう」とアメリカ人ですら思っている。しかし実はこれは日本語なのだ。

この車の発売当時トヨタはクラウンをはじめとする「かぶりもの」をネーミングの基本としていた。コロナ、カローラと続き、ついには女が頭につける宝石のかざりものティアラまで出したが(アメリカ市場のみ)、とうとうアイディアがつきてしまった。社員に独創的なのがいて、「日本古来のかんむり(冠)はどうだろう」と提案し、「よし、それで行こう」ということになったのだそうだ。「カンムリ」では語源がすぐわかってしまってクールじゃない、というわけでかんむりの別のいい方、かむりにし、しかもローマ字のつづりを英語風に直してCamryとした、という植民地根性丸出しのネーミングなのである。でもそれが功を奏して世界中で売れに売れた。

そして「世界に冠たるトヨタ」になったわけだ。

西洋の王様がかぶっている冠がクラウンだ。コロナやカローラはラテン語で冠をさす。しかし日本の冠は中国の影響をうけたかぶりもので西洋のクラウンとはまったく関係がない。これをかぶるのは男にきまっていた。時代や場所によってさまざまな形があった。

冠より格がさがるものに烏帽子(えぼし)がある。烏という字は「からす」のことだからこれは「黒い帽子」という意味だ。(「亭主の好きな赤えぼし」という矛盾した言い方もありますが)。これにもいろいろな形があるが正装した大名がかぶる丈の高いものが一般的なイメージだろう。今では大相撲の行司がかぶるのがただ一つ実用に供されている例だ。

***

もう20年も前の話だが、台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシエン)監督が「悲情城市(ひじょうじょうし)」という傑作を作った(1989年)。日本が第二次世界大戦に負け、それまで日本の植民地だった台湾が中国大陸から逃れてきた国民党の軍隊に接収される。解放されたと喜んだのもつかの間、腐敗した国民党によって台湾は徹底的にしぼりとられる。それに反抗して台湾人が蜂起し、そして無残に弾圧された事件を描いた映画だ。

その中に結婚式の場面がある。花嫁花婿ともに洋装で新婦はレースを頭にかざり、新郎は頭にソフトをかぶっている。それでも儀式は純中国式だ。

中国の結婚式は先祖代々の霊に結婚を報告することで完成する。仏壇ではないけれども、なんとなくそれに似た先祖の位牌がある部屋で花嫁花婿はゆかにひざまずいて先祖の霊を礼拝する。頭を地面にすりつけるから、つばのあるソフトでは具合が悪いだろうと思いながら見ていて私ははっと気がついた。

あのソフトは帽子ではない。あれは昔の冠の代わりだ。だから祖先の霊に頭を下げる時に帽子をとらないのだ。

西洋ではまず室内だということで、また尊敬の印として帽子をとる。中国では尊敬しているからこそかぶりものをとってはいけないのだ。

「衣冠を正す」ということばがある。敬意を表す時にはちゃんとした衣服を身につけ、冠をかぶらなければならない。無帽であるのは身だしなみが悪いことだ。

それで中国にはひさしやつばのある帽子やかぶりものがないということが理解できる。中国で最高の敬礼はひざまずいて額を地面につけることである。ひさしはじゃまなのだ。

中国人男子はつねに頭にかぶりものをのせていた。冠があり、お椀型の帽子があり、庶民は布を頭に巻くこともあった。いずれもひさしがない。かぶとにすらひさしがない。また室内でもこれをとらなかった。ご時世でかぶりものがソフト帽になっても敬礼の時にそれをとらない、というところに中国の伝統が脈々と流れている。

日本はどうだろう。平安時代から鎌倉室町時代にかけては中国と同じく、男はみんな冠あるいは烏帽子をかぶった。でも戦国時代から江戸時代にかけての日本人は儀式の時をのぞいてあまりかぶりものをかぶらなかった。

1853年にアメリカのペリー提督が4隻の黒船をひきいて浦賀に来た。開国を要求しに来たのである。ペリーは、この時はじめて日本人を見たわけだが、その姿についてこう書いている。

「大部分の者は無帽で、てっぺんを剃り上げ、側面は髪を長くのばしてある種の香油で固め、頭上にまとめてまげにしていた」(拙訳)


中には「洗面器をさかさまにしたような竹の帽子」をかぶった者たちがいたし、また「重立った者たちは正面に紋をうった軽い漆塗りの帽子」をかぶっていた。前者はすげ笠、後者は陣笠にちがいあるまい。

ペリーがわざわざ「大部分の者は」と書いたのは理由のないことではない。当時西欧では男は帽子をかぶるに決まっていた。はじめて日本という異国にきて帽子をかぶっていない男たちが大勢いるのを見たペリーはそのことを異常だと思ったのだ。

当時の風俗を見るのに一番いいのは浮世絵だ。興味をひくのは北斎漫画などにあらわれる町人たちがかぶりものをかぶっていないことである。農作業をしている農民、旅人、旅芸人、虚無僧、飛脚、また戦場の武士は笠をかぶっているが、そうでなければたいてい無帽だ。笠というものは用事がすめば取ってしまう。それが冠とはちがうところだ。

中国には浮世絵というものがないから比較に困るのだけれど、清明節という祭りのにぎわいをえがいた「清明上河図」という画題があって、歴代何人もの画家によって描きつがれている。それを見ると男はすべて見事に冠をかぶっている。一種異様に見えるほどだ。

日本では「若いなあ」という意味で「彼はその時弱冠23歳だった」などというが、あの「弱冠」はもともと20歳の事をさす。古代の中国では弱(20歳のこと)になると成人とみなされて冠をかぶった。まあ日本の元服と同じようなものだ。元服の式でも成人したあかしとして烏帽子をかぶった。

異民族に支配された時期をのぞいて中国では髪を長くして頭のてっぺんにまげを結った。冠を頭にのせ、冠とまげにかんざしつまりヘア・ピンをさし通して固定するわけだ。

「国破れて山河あり、城春にして草木深し」ではじまる漢詩がありますね。唐の詩人杜甫の「春望」という詩だが、うち続く戦乱に家族からの手紙が万金にもかえがたい、と嘆いたあと、この詩は次の句で終わっている。「白頭(はくとう)掻けば更に短く、すべてかざしにたえざらんと欲す」(悲しみのためにしらが頭をかきむしれば髪の毛はどんどん抜けてゆくばかり、かんざしをさそうにもさすことができなくなってしまった)。かんざしといっても女の装飾品とは異なり、これは冠を固定させるためのものだ。

江戸時代になぜ日本の男は無帽になったのか。これはさかやきを剃る(頭を半円形に剃ること)という風習に関係があるらしい。かぶとをかぶると頭がのぼせるので頭のてっぺんを剃った、という。もともとは武士の習慣だったのが平民にも及んだ。頭を剃るから、まげは後頭部にきてしまう。頭のてっぺんにはまげの先っちょをのせているけれどもこれにヘア・ピンをさすわけにはいかない。それで儀式に使う江戸時代の冠や烏帽子はみなあごにひもをかける方式に変わっている。

中国でも清(しん)の時代(だいたい江戸時代プラス明治時代)には頭を剃って後頭部の髪だけを長くのばし、三つ編みにして後にたらして弁髪(べんぱつ)といった。清は満州族という異民族が中国を征服して作った王朝で弁髪はかれらの風習だ。これを「髪を残すか、頭を残すか(髪をそらなければ首を切ってしまうぞ、という意味)」といって中国人に強制した。中国人は最初死にものぐるいで抵抗したが清朝に徹底的に弾圧されてこの風習を受け入れ、ついにはこれこそが中国本来の髪型であるかのように誇りをもつまでになった。この髪型では日本同様冠をかぶるわけにはいかない。それでも清朝の男性はお椀型の帽子をかぶった。これはかぶらなければ服装が完成しないものだった。

江戸時代の男の正装というと裃(かみしも)だ。袴(はかま)をはいて肩衣(かたぎぬ)というものをつける。歌舞伎や映画でおなじみの、肩が異常に張ったチョッキのようなものだ。頭にはなにもかぶらない。日差しが強いと扇子をかざして歩いた。

豊臣秀吉や徳川家康の肖像をみると冠をかぶっているがそれは関白とか征夷大将軍とかになって朝廷からしかるべき位階をもらったからかぶっているのだろう。無位無官の織田信長の肖像はなにもかぶっていない。

京都の朝廷は昔からの中国の影響が強かったろうし、第一武士ではないのでさかやきを剃らないから御所の公卿たちは日常的に冠とか烏帽子とかをかぶっていた。つまり衣冠を正していた。しかし日本の実際の支配者であった江戸の将軍の城内ではみな何もかぶらない。歌舞伎の「忠臣蔵」で塩谷判官と高師直(つまり浅野内匠頭と吉良上野介)が烏帽子をかぶっているのは彼らが朝廷からのお使いを接待する役目でそれにふさわしい服装をしなければならなかったからだ。殿中松の廊下での刃傷(にんじょう)の場でうしろから塩谷判官をだきとめる加古川半蔵は裃(かみしも)すがたで何もかぶっていない。

ここに出した渡辺崋山(1793−1841)の絵はそれぞれ崋山の先輩と先生を描いたものだ。

鷹見泉石は古河藩の家老だったが蘭学好きでオランダの名前さえ持っていた。この絵は藩主のかわりにお寺に参詣した時の礼装を描いている。

佐藤一斎は学者である。この絵は彼が五十歳になったのを記念して弟子の崋山が描いたものだ。そういうおめでたい時に描いた肖像画が無帽だということは中国ではまず考えられないことだ。

結局「衣冠を正す」という中国の思想は江戸期の日本には根づかなかったと見てよいだろう。全国民がこれをかぶらなければ服装が完結しない、というようなかぶりものはなかったようだから。
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