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ホンジュラス(10)オランチョの森(上) |
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2006年5月31日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ 森林を通る道路脇にかかった「森を守ろう」という標識。
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▲ 環境保護運動教室の生徒たち。後方左から3人目が先生。
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▲ バスも行かない山の中の村へは、軍払い下げのトラックが交通手段となる。このトラックも「乗客」を乗せて、細い山道を上っていった。 |
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エルポルベニールで金鉱による環境破壊を学んだ翌日、ホンジュラス最大の県、オランチョ(Olancho)に向かった。エルポルベニールを出て、平らな農業地帯(といっても、水不足で生産性が落ちていることは素人の私が見ても明らかだが)からまた国道に戻り、テグシガルパとは反対方向の東に向けて緩やかな下り坂を進んだ。北のカリブ海から湿った空気が流れ込むのだろうか、なんとなく空気がしっとりしてきた。オランチョに入ると、道路の両側は次第に山が続く森林地帯になる。といっても、日本の森林のように、木がうっそうと生い茂るという感じではない。かなり伐採されて地肌が見える山が多い。オランチョは森林保護に焦点を当てた環境保護運動のメッカなのだ。 ホンジュラスの森林地帯には「森を守ろう」という看板があちこちにかかっている。車のナンバープレートにもそのスローガンが載っている。環境保護などお構いなしに伐採した樹木を運搬するトラックのナンバープレートにもそうあるのだから、皮肉なものだが、政府の有力者とは利害が絡み合っている木材会社は、スローガンなど無視して利益を追求しているし、ホンジュラス政府も森林保護政策をどこまで本気で遂行するのかあやしいものだ。 オランチョに入って間もなく、カンパメント(Campamento)という町に着いた。田舎町だが、エルポルベニールに比べるとはるかに大きい。ちゃんと中央広場があり、立派なカトリック教会が建っている。私たちは教会付属の建物の中に入った。そこがオランチョの環境保護運動(MAO=Movimiento Ambientalista de Olancho)の根拠地だった。オランチョ環境保護運動は木材会社の一斉伐採による森林破壊を食い止めようと、文字通り体当たりの活動をしてきた。指導者のホセ・アンドレス・タマヨ(Jose Andres Tamayo)神父はその活動を認められて、昨年、環境保護に貢献している人に与えられるゴールドマン賞を受賞している↓。 http://www.goldmanprize.org/node/168 教会内のMAOの事務所は活気に溢れていた。そこにMAOの傘下にあるカンペメント環境保護運動(CAM)の指導者のビクトル(Victor)さんがやってきて、町のはずれにある環境保護運動教室へ私たちを案内してくれた。ビクトルさんは謙虚で口数が少なく、いかにも小農民(カンペシーノ=campesino)という感じだ。環境保護運動教室では高校生ぐらいの生徒が、コンピューターの勉強をしていた。毎年オランチョの各地区から若い10人の若者が選ばれて、月に1週間ずつカンパメントで集中して環境保護や最新技術を学ぶのだという。プログレシオ(Progressio)というイギリスの環境保護NGO↓の支援で始まった活動で、コロンビア出身の水力エネルギー専門のエンジニアが教師を勤めている。 http://www.progressio.org.uk/ おろそかにされがちがな女子教育が大切だと、女子生徒が必ず半数を占めるようにしているという。 昼食後、その生徒たちと一緒に、四輪駆動の小型トラックに乗り込んで、近くのロスコルテス(Los Cortes)という村へと向かった。近いと言っても、急勾配でくねくね曲がった細いでこぼこ山道をのろのろ上るので、30分はかかる。村人は自転車か徒歩でカンパメントの町まで出て行くのだそうだ。徒歩だったら下り坂でも2時間以上かかるというから、町に出るのは丸1日の仕事になってしまうだろう。 山を上れば上るほど、大きな松の木が増えていく。村民による植林の努力が実ったものだ。15年ほど前に木材会社がやって来て、何もかも一切伐採してこの辺りを丸裸のまま放置したという。そのままにしておけば、大切な土壌が雨に流されて山は不毛になり、水源もなくなってしまう。オランチョ全体で起こっていることだ。 ロスコルテスの村民たちは、森林の一部を切り開いて主食のトウモロコシと換金作物のサトウキビを植えて生計を立てていたが、生活基盤を足元から崩されることに恐れをなして、環境保全意識を高め、村民団結して自らの手で森林を蘇らせ、木材会社を自分たちの山から閉め出すことを決意したのだそうだ。 山の所々に、サトウキビやトウモロコシの畑、そして小さな民家が見える。家の庭に大きな搾り機を設け、ロバが回ってそれを動かして砂糖汁を搾り取っている所もある。ロバではなくて水牛だったが、それと同じ方式でサトウキビを搾るのを沖縄の伝統を展示する琉球村↓で見たのを思い出した。 http://www.ryukyumura.co.jp/08_seitou/p08.html 沖縄ではテーマパークや博物館の展示物になってしまったものが、ホンジュラスの山の中ではまだまだ活躍しているのだ。 ―続く―
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