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44 月と六ペンス (The Moon and Sixpence)
2006年9月3日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。























月と六ペンス (The Moon and Sixpence)


イギリスの小説家・劇作家のサマーセット・モーム (William Somerset Maugham 1874-1965) の代表作のひとつに「月と六ペンス」という小説があり、それはフランスの後期印象派の画家、ポール・ゴーギャン (Paul Gauguin 1848-1903) と、彼の妻の人生をモデルにしたものであることは、よく知られたことですね。

過日、ジプシーさんやマインさん達からご要望をいただき (と言うか、上手にのせられて)、何人かの画家について調べ始めました。とは言うものの、多忙な稼業の合間に、しかも気分転換が主目的にやることですから、まことにたかが知れております。そのあたりの事情は、どうかご賢察ください。

ところで上の画像をご覧ください。「かぐわしき大地」 (Terre de licieuse 1892 91cm × 72cm) と題されたゴーギャンのこの画は、現在は倉敷市の大原美術館に所蔵されています。野性的なタヒチの裸婦を描いた、この画家の作品です。

個人的な好みを申しますと、私はゴーギャンのタヒチ・シリーズの画は、あまり好きではありません。これは感覚的なものですので、とりたてて理由はないのですが・・・。

妻子を捨てて、放浪の末タヒチに渡ったゴーギャンは、自分にとっての熱帯の理想郷で、タヒチ讃歌とでもいうべき作品を数多く残しました。大地をしっかりと踏みしめるたくましい裸婦。林の奥からは、甘い熱帯の果実や花の香りが漂ってきます。灼熱の陽射しを浴びて、華やかに色彩が燃え立っているこの画は、探し求めた理想郷を見つけた画家の喜びを表現しているかのように見えます。まさに熱帯の楽園。

でも、ゴーギャンにとってのタヒチは、本当にそれだけだったのでしょうか? 実は、コトはそう単純なものではないところが人間らしいところなのです。

上の画の中で、女性の右肩(向かって左側)のあたりに、ちょっと判りにくいかもしれませんが、黒い小動物が描かれているのがご覧いただけるでしょうか? トカゲのようにも見えますし、赤い羽根を持った怪鳥のようにも見えなくもありません。ともかく熱帯の楽園における不吉な影のようなもので、これはゴーギャンの他のタヒチ讃歌の画にも、形を変えてしばしば登場しています。鳥、犬、キツネ、トカゲ、死霊・・・等々。これは明らかにゴーギャンの心の中の影の部分の表現と私は見ます。ではこの画家の影の部分とは、いったい何でしょうか?

モームの「月と六ペンス」では、美にとりつかれて、妻と子供達を捨てて旅に出るエゴイストの画家と、芸術に理解を示さず、打算に生きる気位の高い彼の妻との、冷え冷えとした夫婦関係が書かれていました。では、ゴーギャンの妻ってどんな人だったのでしょうか、そしてこの夫婦についてのモームの分析は正しかったのでしょうか、というのが今回のおしゃべりのメインテーマです。

ゴーギャンは、1848年、7月王政が倒れて、第2共和制が始まった2月革命の年にパリで生まれました。ゴーギャンの父は、第2共和制を支えた熱烈な共和派ジャーナリストでした。ところがまもなくナポレオン3世が登場し、第2共和制を破壊していく過程で、多くの共和派を捕らえ、弾圧しました。ゴーギャンの父は、その弾圧の対象になり、やむなく妻の実家のあった南米ペルーのリマに妻と幼少のゴーギャンを連れて逃れようとしました。しかしその船中で、妻と赤子のゴーギャンを残して、急死してしまったのです。

考えてみれば、このあたりからこの画家の波乱に満ちた数奇な人生が動き始めたのです。結局7歳まで母の実家のリマで過ごしたゴーギャンは、フランスに戻り、オルレアンの叔父さん(父の弟)の家に身を寄せました。そして17歳で学業を終え、その後、船会社、海軍と船乗りの生活を続け、23歳の時(1871年、パリコンミューンの年)に船を降りて就職し、株式仲買人になりました。

そしてその翌年デンマーク出身の女性メットと結婚し、それから約10年間は、有能な株屋さんとして、パリで平穏な生活を送っていました。子供も5人生まれて、趣味で日曜画家としての創作をするものの、まずまず無難な生活を送っていたようです。ただ、画を描くことには、次第に熱が入り、官展(サロン)に入選したり、ドガやピサロと知り合って、印象派展に出品したりしていました。

ところが1883年、彼が35歳の時に突然、株式仲買人の職を辞めて、画家になることを宣言しました。妻に相談することなく・・・。妻と5人の子供を抱えた35歳の男の決断としては、普通ならまず考えられないことですね。

これをモームは、ゴーギャンの芸術的感性が、お金や数字を扱う仕事を捨てさせ、本来の才能へと向かわせたのだと解釈したわけですが、最近の美術史の研究では、それだけでもなさそうだということが分かってきたようです。

当時のフランスは、不況の時代で、銀行がつぶれたり、株式市況が悪化したりして、有能な株式仲買人であったゴーギャンも、個人としてかなり損害を被り、最初の会社を辞めざるを得なくなり、その後いくつかの金融会社を転々としたようなのです。

そんな彼の画がサロンに入選したり、印象派展で展示される。これなら投機性の強い株屋の仕事よりも有利ではないか。つまりある種の投機家として、画家の道に賭けたのではないか、という説です。

でも職業画家になったからといってすぐに画が売れるはずもなく、まもなく一家はパリを離れ、まずルーアンへ、そして妻の実家があるコペンハーゲンへと移ります。(幼少時には母の実家、そして今度は妻の実家。よほど女性の実家に世話になる運命だったのでしょうね。)

一方、妻のメットは、デンマークの地方判事の父を早くに亡くし、長女として若い頃から家庭教師の職に就いて家計を支えた、男まさりの気丈な女性であったようです。でもモームの小説に書かれているような悪妻ではなく、夫と別居後、コペンハーゲンでフランス語を教えたり、翻訳をしたりして、とにかく5人の子供を育て上げたのですから、たいしたものですね。

モームの解釈が事実と違う証拠は、ざっと次の通りなのだそうです。

1)妻や実家の家族と折り合いが悪くなり、コペンハーゲンに家族を残して、つまり妻子を捨てて画家の道を選んだゴーギャンは、離別後12年間も妻、メットとは文通を続け、亡くなるまで離婚はしませんでした。

2)メットは、離別後も決して夫の悪口を言わなかったのだそうです。

3)「月と六ペンス」が出版された時、メットは亡き夫からの手紙の束を4男に渡して、「彼はこんな人ではなかったわ。これを公表しなさい。」と静かに言ったといいます。メットが生涯でした、ただ一度の自己弁護がこれでした。彼女はゴーギャンからの手紙を捨てずに、すべて保存していたのです。

4)ゴーギャンが世に理解される前の1893年にコペンハーゲンで彼の展覧会が開かれたのですが、これはもっぱらメットの尽力によるものでした。

5)メットは、勝ち気で気位が高くて芸術を理解しないどころか、歯に衣を着せぬところはあったものの、進歩的で、優しさに満ち、男まさりながらも、女性的な細やかさも持ちあわせた、素晴らしい人だったと彼女を知る人達は、例外なく評価していたようなのです。

というわけで、この夫妻の本当の関係は、当人達にしか判りませんね。ただ最近の説として、上の画像も関係するのですが、彼が描いたタヒチ女性の原型は、幼児、彼をリマで育ててくれた優しい母親にあるというのです。アリーヌという母の名前を、自身の一人娘にもつけたくらいですから、ゴーギャンにとって、母性にあふれた母親は、永遠の女性像であったのかもしれません。ですから異国の女性達の背後には、つねに母のイメージがあったのでしょうね。

その一方、父を早く亡くしたメットは、夫と離別後には、短髪で男装したり、葉巻をふかしたりすることもあったと言います。(まるでショパンの愛人、ジョルジュ・サンドみたいですね)彼女は夫に強い父親像を期待したのかもしれません。そしてこの相克が、二人を離別させた一因ではなかったのかという説があるのです。

美術史の世界では、こんなつまらないことも大まじめに取り上げるから、私は好きなのです。人間の心の奥底は、そんなに簡単に他人には判りませんよ、とこの2人が居たら言うことでしょうね。ゴーギャンの没後も、妻メットは17年間生きました。

こんな雑知識を持って、もう一度上の画像をご覧ください。ちょっとばかり違って見えてきませんか?

ちょっと長くなりすぎますので(書き手の私は何でもないのですが、お読みになるあなたが、たいへんだとご同情申し上げます。)、南仏、アルル (Arles) における、ゴーギャンとゴッホの共同生活とその結末については、次回の書き込みで述べさせていただきます。共同生活と言っても、実際は2ヶ月足らずのことでしたから、ほんの短期間でしたが、有名な「耳切り事件」で終末を迎えたわけです。でも、共同制作の画などは、まことに見応えがありますよ。

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