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縁の下のバイオリン弾き
21 アメリカの大学から
2011年4月2日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
チェンさんが大学のオフィスに私をたずねてくれた。かれは以前の私の日本語5年生のクラスの教え子で去年の秋から慶応に留学していた。今回の大震災のため、大学からよびかえされてアメリカにもどることになった。本来ならばあと半年日本にいるはずだったのである。アメリカの学生は全員故国によびもどされたもようだ。

チェンさんは今回の大震災でたいへんな衝撃を受けた。自分も日本に残ってなにか手助けをしたいという気持ちでいっぱいだった、といった。日本を離れなければならなかったのが残念でたまらない。学校や政府の命令を無視して日本に残ろうかと考えたけれど、現実的にそれは無理だった、という話だ。

以前からよくできる学生だったが、この半年で日本語が本当に上手になった。かれは中国系のアメリカ人で中国語も話せるのだが興味は日本にある。日本では先生や友人にめぐまれ、いかにも楽しかったらしい。今までの人生で最高の経験をしていたのに、それを地震のせいではなく、大学の命令のために終わらせなければならなかったという事に無念の思いをいだいている。「最高の経験」だったのだ。日本はそんなにすばらしい国だったのだ。地震があろうが津波があろうが日本はすばらしい国であることをやめないのだ。そういう思いが伝わってくる。

外国人が潮が引くように日本をあとにして行くのを見て、日本人は複雑な感情を持ったらしい事が新聞記事の行間から読み取れる。でもそうやって日本を出た人々の中にチェンさんのような人がたくさんいたのだという事を私は日本の人に知ってもらいたい。

***

地震が起きたのが3月の11日。数日後に私は5年生の期末試験をした。このクラスには日系アメリカ人や日本人と米国人のハーフの学生がいる。試験を始めるにあたって私は家族に被害を被った人はいないか、と聞いた。加藤(彼は本名をウェスリーというのだが、私のクラスでは母方の姓を使っている)という学生が、仙台の近くに遠縁の親戚がいてまだ消息が分からない、といった。それを言う時のかれは本当に苦しそうだった。私は慰める言葉もなかった。

そのまま試験を始めたのだが、地震が起きるよりずっと前に作ってあった試験の最後の問題が作文の問題で、その題は「他人の痛みがわかる、ということについて」というのだった。全くの偶然だった。

橋本という日系の学生は作文にこう書いた。「自分で見て、体験しない限り、今の日本の痛みを理解するのは無理だ。カトーさんの話を聞いて僕はそれに気づいた。僕に本当に彼の痛みがわかるであろうか。僕の家族はみな無事だったが、カトーさんは違う。まだ見つからない方がいらっしゃる。今の僕にはその痛みがわからない。不安と希望のはざまにいるのだろう。僕はこんなに悲しい話を身近に聞くのははじめて。そんな痛みをどうやって彼の顔に向かって『ぼくもその気持ちわかる』と言えるのだろう。ぜったい無理だ。」

短い一週間の春休みが終わってまた授業がはじまった。5年生のクラスは学部で学ぶ日本語のクラスとしては一番高いレベルで、もっぱら新聞を読む。ところがその新聞の記事がもう震災の報道一色だ。私は日本社会を知ってもらうため、最新の新聞記事を読むことを基本にしているが、これには困った。

新学期になって新しくこのクラスに入ってきた学生の中にも親戚の消息がわからない、というものがいた。私は彼の事を考えて一時震災関係の記事は読むまい、ときめたのだけれど、日本中の関心がこれに向かっている時にあえて読まないというのは不自然だし、実際にほかに読みたくなるような記事もない。私はこの学生に「震災関係の記事を読んでも大丈夫か」と確認してから教材を選んだ。

***

昨日は大学で「祭り」があった。「なんとか祭り」ではなく、ただ「祭り」である。これは日本語と日本文化を勉強する学生たちのサークルが主宰するお祭りで、毎年今頃開かれる。私たち教師も毎年見に出かける。

図書館まえの大通りに餃子、焼きそば、たこ焼き、みそ汁、焼き鳥、おにぎりなどの屋台が出るし、いろいろなパフォーマンスがある。そのすべてがアメリカ人の学生の手によって実行される。チェンさんもブースに座っている。

私は妻のリンダといっしょに参加した。たべものの屋台は長蛇の列で今回は敬遠した。焼きそばだのたこ焼きだのがアメリカの学生に人気があることは想像以上だ。「おいしい?」と聞くとみんな目をうっとりさせて「おいしいです!」と答えるのだから…。

たいへんな人出だった。日本人や日系人は数の上ではむしろ少なくて、一番多いのが日本以外のアジア系だろう。大半は中国系、韓国系、ベトナム系などだ。しかしそれだけではない。あらゆる民族から一人は出てきているんじゃないだろうかと思うぐらいだ。しかも老若男女を問わないと来ている。ゆかたを着ている女の子、作務衣を着ている男の子もいる。歩いていると学生から「先生!」と声がかかる。ここでは私もいっぱしの有名人である。

パフォーマンスとしては別々のグループがJポップを歌ったり、「ソーラン節」をバックにエネルギッシュな振り付けのダンスをしたり、太鼓をたたいたり、剣道や柔道の模範演技をしたりしている。うまいものだ。私は目頭が熱くなった。自分が教師だからよく知っているのだが、たとえば歌を歌っている学生の半数ぐらいは日本語がぜんぜんわからない。「どっこいしょ!」とか「それそれそれそれっ」などとかけ声をかけながらおどっている連中はその意味がわかっているのだろうか。太鼓は何人もの打ち手が一糸乱れぬバチさばきを見せる。太鼓は日本独特のものでああいうドラムは外国にはない。聞いていると血がさわぐ。

彼らはこの祭りのためにどれだけ練習したかわからない。みんな日本が好きで好きでたまらないのだ。たとえ言葉がわからなくても日本に行ったことがなくてもそんなことは関係ない。日本にあこがれ、日本の歌を聞くだけで楽しい、日本のアニメとドラマにハマっているという学生が丸おぼえにした歌詞を歌っている。おなじ趣味の友人同士が集まって何事かを成し遂げる満足感と達成感に酔っている。その若さのエネルギーはもう圧倒的だ。

この「祭り」でもその一週間前にバルボア公園(サンディエゴで一番大きな公園)であった「さくら祭り」でも東北関東大震災のための義援金募集がされていた。

期末試験の間にも学生の有志が教室をたずねて募金をし、学生はなけなしのお金をはたいていた。今のアメリカはひどく景気が悪い。学生はほとんど全員アルバイトをしなければ大学教育を受けられない。その安い給料のうちからいくらかでも義援金を出して日本を助けようとしている。その気持ちぐらい尊いものはない。

私は地震発生いらい魂が抜けたようになっていた。横浜に住む家族はさいわい無事だったが、悲惨な被災地の状況に心が痛んだ。でも悲しみの海に涙をそそいでも人は救われない。私は「祭り」のエネルギーに接して勇気を与えられた。若者たちは純粋におもしろいから「祭り」をやったのだ。「おもしろい」と思ってくれるかれらの日本に対する愛に将来の希望を見た。

[註:学生の名前は仮名です]








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