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80年代初頭の写真 |
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2003年1月26日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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▲ 81年12月。筆者左から2人目。 |
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▲ 82年12月。「チャコの海岸物語」を歌う筆者は左。しかし2年続けてこんなばかをやったのかなあ。もしかすると同じ忘年会の撮影かもしれないが記憶がはっきりしない。なお使用に当たっては、被写体となった他の方々の許可をとっていません。抗議があればただちに削除します。けっこう偉くなっちゃった人も映ってるんですよね(笑)。あ、右は会員のMさん! |
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うつ病や引きこもりのひとに「がんばれ」という言葉は禁句だそうだ。「これ以上なにをがんばれというのだ」とさらに落ち込ませてしまうという。これは確かにそうで、たとえば金持ちから「人生カネは問題じゃないですよ」と言われたら、いまの僕はムカッとくるだろうし、ガン患者に「大丈夫きっと直りますよ」という慰めの言葉も、意味がない、どころか相手をいたく傷つけてしまう結果になるだろう。
だれと会っても不景気の話ばかりだ。明るい顔をした人がいない。 「カミさんから月30万は欲しいと言われてるんですがね。20万がやっと。会社をつぶそうにも社員がいるし、銀行からの多額の借金もあるし。銀行の元金返済猶予でなんとか生きてますがね。子供が大学生を頭に3人。貯金は底をついたし、このさきいったいどうなっていくのか」。ある編集プロダクション社長の話。なんと言ってあげればいいのか。「がんばりましょう」というしかない。この場合の「がんばれ」は、僕も似たような境遇だから相手を傷つけることはない。でもこの人物、苦境のなかでも明るさと礼儀を失わない。「カネのないのにももう慣れました」とひょうひょうとしている。コーヒー代を払おうとするので、ワリカンにさせてもらった。
日本全体がうつ病にかかったような様相だ。けして景気の悪くないと思われる経営者も暗い顔をしている。まわりが沈んでいるのに自分のところだけ「業績がいい」とはとても言えないないのだそうだ。つまらぬ嫉妬をかうし、こういう時期にへたに目立つとわけの分からない「有象無象(うぞうむぞう)」が近寄ってくる。社会のムードに合わせて「いやいや大変ですよ」という姿勢を貫くに限る、というわけだ。かくして日本は総うつ症候群のデフレスパイラルに落ち込んでいく。
80年代から90年初頭のアメリカの雰囲気によく似ている。寒風にはためく道路わきの中古車ディーラーのノボリ旗をみながらクルマを走らせていると、一瞬当時のアメリカの町にいるような錯覚を覚える。そういえばフランチャイズレストランの立ち並ぶ道路ぎわの景観が、アメリカにほんとうに似てきたなあ。
しばらく音信が途絶えていたかつての勤務先の後輩から、とつぜんメールが届いた。「おぞましい写真」というファイル名がついた写真が3枚添付してある。彼はいま、僕が10年前まで勤務していた通信社の地方支社写真セクション勤務。その支社でかつて僕は2年を過ごした。
『先日、支社暗室を片付けていたところ、81、82年の支社忘年会スクラップ2冊が発掘されました。日常業務に追われヘロヘロになっている我々にはとてもこの様な余力はありません。エネルギーに満ちあふれた80年代初頭が羨ましい限りでございます』
いまから20年前。すると僕は35、6歳といったところか。この写真を届けてくれた後輩はまだ入社していない。「エネルギーに満ちあふれた」と書いてくれてはいるが、「昔はヒマだったんですねえ」と皮肉を言われているような気もする。若気のいたり。でもいまの支社にはこんなばか騒ぎをする気分的余裕も時間的余裕もなくなったのだろうか。くだんの後輩も「ばかの程度」では僕とどっこいどっこいのはずだが。春には東京に帰任するという。2人で思い切りまたばかをまたやってみたい、と思うのだが…。
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