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45 アリスカン (Les Alyscamps)
2006年9月9日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
▲ ゴーギャン 「アリスカン」
▲ ゴーギャン 「アリスカンの並木道」
▲ ゴッホ 「アリスカンの並木道」




























































「アリスカン」 (Les Alyscamps)


この直前のエッセイ、「月と六ペンス 」の中で、ゴーギャンとゴッホのアルルでの短い共同生活のことを書きますとお約束しました。1888年10月23日から2ヶ月間、2人はアルルで共同のアトリエに生活し、一緒に街を歩き回り、キャンヴァスを並べたことがありました。

1888年(明治21年)2月、ゴッホは寒く暗い冬のパリを離れてプロヴァンスのアルルに向かいました。アルルは地中海の港町、マルセイユから少し内陸に入った古い町です。ゴッホは、到着後間もなく、弟テオへの書簡の中でその感激をこう語っています。

「空気が澄んでいることと、明るい色彩効果のために日本のように美しく見える・・・。水が風景の中に美しいエメラルドと豊かな青の波紋を描いて、まるで錦絵の中で見るのと同じ趣だ。」

(註:この頃、ゴッホは、浮世絵に触発され、まだ見ぬ日本への強烈な憧れを持っていました。ロートレックもそうだったのですが、ゴッホとロートレックは、日本を自らの目で見たいという強い希望を持ちながら、果たせなかった双璧でした。そして、ゴッホはなぜか、日本とプロヴァンスを、極めて類似した風土と考えていました。ロートレックはこの点は違います。)

「今当地は風もなく、僕にはうってつけの赫々たる炎天だ。この太陽、この光、どう言えばいいのか・・・。この黄色は実にすばらしい。ああ、僕は君がいつの日か南仏の太陽を見、感じてくれればよいがと思う。」

やがてゴッホは、そのアルルで芸術家達の共同生活をしたいという夢を見始め、友人の画家達に片っ端から手紙を送りました。そして、自分のアトリエ、「黄色い家」をその共同生活の場にしようと準備を開始したのです。なにしろ思い込みが並はずれて強かったゴッホのことですから、相手の気持も考えずに、自分の思いだけで突っ走ったのでしょう。来るかどうかもわからない仲間のために12脚ものイスを買い込んで、ひたすら到着を待っていた、というところがゴッホらしくて、とても悲しいですね。(ちなみに、誘いの手紙を出した友人の画家は12人でした。)

結局、ゴッホの訴えに応じたのは、当時家族をコペンハーゲンに置いて、単身パリに住んでいたゴーギャンだけでした。ゴッホ到着の8ヶ月後、1888年10月にゴーギャンがやって来て、2人の芸術家の共同生活が始まりました。

ゴーギャンがアルルに行くという知らせは、1888年8月頃、ゴッホに届きました。その知らせは、ついに共同生活の夢が実現することになったゴッホの気持を著しく昂揚させました。そしてその結果、ゴーギャンが到着するまでの2カ月の間に、ゴッホは「ひまわり」、「アルルの寝室」、「ローヌ河の星月夜」、「緑のぶどう園」、「夜のカフェ」、「トランタイユ橋」、「タラスコンの乗合馬車」などの生涯の代表作と言えるものを、一気に精力的に描き上げました。

ですから、もしも唯1人誘いに応じたゴーギャンすらも、この招きに応じることがなかったら、これらの絵は描かれなかったかもしれないし、描かれたとしても、あれほどの水準ではなかったかも知れません。その意味では、ゴーギャンのアルル行きは、近代絵画史に大きな影響を与えたと言えるのかも知れません、おおげさに言えば。

2ヶ月という短期間の共同生活とは言え、2人は一緒にキャンバスを並べて絵を描いたこともありました。上端の絵は、その時期に描かれた、ゴーギャンの「アリスカン」(Les Alyscamps)です。ゴーギャンのアルル到着後まもなく制作されたものです。この絵は現在、パリのオルセー美術館に展示されています。

また、この絵を描いた位置から反対方向を向いて描かれた絵が、中央の絵で、「アリスカンの並木道」(L’Allee des Alyscamps, Arles) です。この2枚は、正確な日付不詳ですが、ほぼ同時期の作品です。こちらは、新宿の東郷青児美術館に展示されています。

これも確証があるわけではありませんが、ゴーギャンがこの2枚を描いていた時、ゴッホはそばにいたはずなのです。そして同じく、「アリスカンの並木道」(L’Allee des Alyscamps, Arles) というタイトルの絵を描きました。それが下端の1枚です。描き手が違うと、同じ題材も本当に異なった絵になりますね。

アリスカン (Alyscamps) は、ローマ時代に作られた初期キリスト教徒の墓地や礼拝堂がある場所です。元々はラテン語の「アリシイ・カンピィ」に由来しており、その意味は、「天国への道」ということだそうです。入り口から、奥の聖トノラ教会の廃墟跡まで、ポプラの並木とその根元に石棺が両端に延々と並ぶ一種独特の風景です。これを描いた頃、2人はパリとは別世界のプロヴァンスで、一緒に秋を楽しみながら、画家としての共同作業をしていたのです。つかの間の安息でした。

でも、2人の強烈な個性は、まもなく衝突を始めます。アルルに着いてから約1ヶ月後、ゴーギャンは、ゴッホと共通の友人エミール・ベルナールにこんな手紙を書いています。

「ぼくは、アルルに着いて、すっかり意気消沈しています。風景も人間もなにもかも、みんなちっぽけにみえます。・・・ ヴィンセントと僕は、絵のことで、意見が合うことはありません。彼はロマンティックだし、私はと言えば、むしろプリミティブなものに惹かれています。」

このあたりから、もう2人の強烈な個性は火花を散らし始めていたのでしょう。この時期のゴーギャンの絵画に対する考え方を示す書簡を読んだことがありますが、それはこんなふうでした。

「自然をあまり率直に描きすぎてはならない。自然を前に夢想し、そこから抽象を引き出すのだ。大切なのはその結果としての創造であり、自然そのものではない。」

上の2枚の絵(上端と中央)では、見事にこの理論が展開されていますね。地形の詳細はかなり無視され、色面を組み合わせた装飾模様のように描かれ、赤、黄、緑の大胆な色彩が、燃え上がるような高揚感を作り出しています。いかがですか?

そしてこのゴーギャンの思想は、ベルナール、セリュジエ、ドニ達、ポンタベン派とか、ナビ派と呼ばれる一群の芸術家達に強い影響を与えたのですが、それはまた次回におしゃべりすることにいたしましょう。(すみません、ゴーギャンについては、もう1回書かせていただきます。)

結局、この2人の共同生活は2ヶ月しか保ちませんでした。1888年12月、あの事件が起きてしまったのです。

ゴーギャンの散歩中に、ゴッホが路上で剃刀を手にして突然ゴーギャンに襲いかかろうとしたのです。しかし、ゴーギャンににらみ返されたゴッホは、剃刀を手にしたまま、すごすごと家に帰り、自らの片耳を手にしていた剃刀で切り落としたのです。1888年12月23日(日)、クリスマス直前の晩のことでした。奇しくもゴーギャンのアルル到着後、ちょうど2ヶ月目の夜でした。

当時のアルルの新聞は次のように伝えています。(フォーラム・レピュブリカン)

「オランダ人の画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホという男が娼家で女を呼びだし、自分の耳の一部を手渡した。警察が翌朝彼の家へ行くと、男はベッドに倒れており、ただちに病院に収容された」

事件の夜は、アルル市内のホテルに泊まり、翌朝事件を知ったゴーギャンはゴッホの弟テオに電報を打つと、ゴッホの意識が回復する前に直ちにアルルを去り、パリに戻りました。ゴッホの死は、これから2年足らずのことです。2人はその後、顔を合わせた様子はありません。

実際、この共同生活は、ほとんど一方的にゴッホの片想いで始まったものです。理想に燃え、情熱をたぎらせて待ちかまえていたゴッホに対し、ゴーギャンは相手の情熱に引きずられるようにしてアルル入りしたわけで、決して自ら積極的に参加したわけではありませんでした。

ゴッホは終始愛情に飢えていた人ですから、常にゴーギャンと一緒に居たかったのだろうと思います。一方、ゴーギャンは妻子を捨てて芸術に走ったくらいですから、束縛を何よりも嫌うわけで、このあたりの齟齬も破局の一因ではないのか、と私は思っています。

この事件後、2年足らずで亡くなったゴッホに対して、ゴーギャンはこの後15年生きました。事件後、ゴーギャンの心の中で、ゴッホとのことはどんなふうに整理されていたのでしょうか? お互いに孤独の中で亡くなったわけですが、一度引き合わせたかったですね、もっとずっと老成してから。

ゴーギャンが楽園を求め、南太平洋(ポリネシア)にあるフランス領の島・タヒチに最初に渡ったのは1891年4月のことでした。

一方、ゴッホは耳切り事件後、アルル近くのサンレミ・ド・プロヴァンス(Saint-Rémy-de-Provence) の精神病院に入院後、パリ、そしてパリ郊外のオーヴェールへと移り、1890年7月末に亡くなりました。ゴーギャンのポリネシア行きは、ゴッホの死から8ヶ月以上も経ってからのことでした。

しかし、タヒチはゴーギャンが夢に見ていた楽園ではありませんでした。貧困や病気に悩まされたゴーギャンは帰国を決意し、2年ほどの滞在後、1893年フランスに戻りました。子供時代に世話になった叔父の遺産を受け継いだゴーギャンは、パリにアトリエを構えましたが、一向に絵は売れませんでした。

一度捨てた妻子にふたたび受け入れられるはずはなく、同棲していた女性にも逃げられ、パリに居場所を失ったゴーギャンは、1895年にはふたたびタヒチに渡航しました。

タヒチに戻っては来たものの、相変わらずの貧困と病苦の中で、希望を失ったゴーギャンは死を決意しました。

こうして1897年、貧困と絶望のなかで、遺書代わりに描いたのが大作、『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』でした。

ゴッホは生涯恵まれませんでしたし、精神を病んだことはありますが、狂人ではありませんでした。

時々おこる精神の病いに苦悩しながらもそれを越えて、絵画にむかってひたすら描こうとする、彼の内にこめている思い、あふれでるような思いが、私たち見るものに伝わります。ゴッホの絵はたいていの場合、一目見ただけで、ゴッホの作品だとわかります。それはゴッホだけにしか見えない何かを、ゴッホだけしか持てない気迫で描いたからです。

その点では、ゴーギャンは、どうだったのでしょうか? 孤高の画家であったことはたしかですし、西洋文明や西洋絵画に深い疑問を持っていたこともたしかです。彼は株式仲買人時代は趣味で絵を描くことで、それなりに幸福な生活を送っていましたが、職業としての画家になってからは、主に経済的な理由で極めて不遇な暮らしをしていました。

そしてその結果、家族を捨てることになったのですが、彼の生き方そのものも、心の迷宮に迷い込んだまま、終生そこから抜け出すことができなかったのではないでしょうか? そんな迷いがあったことが、ゴッホの招きを受け入れた唯一の画家になったり、はたまたヨーロッパを捨てて、タヒチに移住したりという、いわば「はみ出し者」としての生き方に結びついていったように思えます。

人の心の本当の奥底は、他人にははかり知ることはできません。ゴッホにしても、ゴーギャンにしても、本当の心の中は、私にもわかりません。でも、人が生きるということは、たいへんなことであり、苦労や苦悩なしではありえない、ということを確認するだけでも、こうした先人達の軌跡をたどることは意味があるように思います。私が素人なりに、こんなことを調べたり書いたりしている所以です。


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