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154 山崎と大山崎 その3 (ニッカウヰスキーと大山崎山荘 前編)
2015年4月18日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
▲ 大山崎山荘
大山崎山荘の歴史には、アサヒビールはもちろんのこと、ニッカウイスキー(正式にはニッカウヰスキーと書くようです)、それにサントリーまでもが関わっています。そしてその3社と大山崎山荘の加賀正太郎との絡みが何とも面白かったものですから、ご紹介させていただきます。

まずは、前段として、ニッカとサントリーにつきまして。

サントリーは、1899年(明治32年)、創業者の鳥井信治郎が、葡萄酒の製造販売を目的とした鳥井商店を創立したのが始まりです。そしてそれを母体として、1921年(大正10年)、株式会社壽屋(寿屋)が設立されました。サントリーの名前が初めて世に出たのは、同社の商品名としてです。1929年(昭和4年)、寿屋が初めて発売したウイスキーを、創業者鳥井信治郎が「サントリー」と名づけました。これは寿屋が当時、既に販売していた赤玉ポートワインの「赤玉」を太陽に見立てて、サン(SUN)とし、これに鳥井の姓をつけて「SUN」「鳥井」=「サントリー」としたというのが定説のようです。もっとも、この「サントリー」を社名に使い始めたのは、その後ずっと経ってからで、1963年(昭和38年)、ビール発売をきっかけとした社名変更だったようです。

一方、「ニッカ」ですが、「ニッカ」という名前が、1934年(昭和9年)に設立された「大日本果汁株式会社」の「日」と「果」から来ているのだということは、ウイスキー好きならともかく、私などは今回調べてみるまでは、まったく知りませんでした。ニッカの創業者は、竹鶴政孝という、醸造界の傑物でした。そして彼は昨年NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった人物です。(実は私はその番組を一度も見なかったので内容を知らないのですが・・・)

ちなみにサントリーの鳥井は1879年(明治12年)の大阪生まれ、ニッカの竹鶴はその15年後、1894年(明治27年)の広島生まれです。加賀正太郎も1888年(明治21年)大阪生まれです。年齢的には、鳥井、加賀、竹鶴の順番ですね。

また、鳥井と加賀は大阪の両替商の家に生まれましたが、竹鶴は広島の作り酒屋の出身です。このあたりも、その後の人生でそれぞれに微妙に影響していく要素だったと思います。

広島県竹原市の醸造業の家に生まれた竹鶴は、家業継承を目的として、大阪高等工業学校(現在の大阪大学工学部)醸造科で学びました。しかし学校で醸造を学んでいるうちに、家業の日本酒ではなく、洋酒に興味を持ち始め、両親の願いを振り切って、当時の日本洋酒業界の雄であった「摂津酒造」に入社しました。(摂津酒造は1964年「昭和39年」、宝酒造に吸収合併され、現在に至っています)

しかし、当時の日本の洋酒は葡萄酒にしてもウイスキーにしても、アルコールに甘味料や香料カラメル色素などを加えたイミテーションが主流でした。ウイスキー作りの魅力にとりつかれていた竹鶴が、こうしたものに満足できるはずはありませんでした。

入社後の竹鶴の猛烈な働きぶりと情熱を知った摂津酒造の阿部社長は、イミテーション・ウイスキーの限界と、本物のウイスキー作りを考えていたこともあり、英断を下して、この情熱あふれる醸造技師を本場、スコットランドに留学させることにしました。広島に居た竹鶴の両親はもちろん猛反対したのですが、結局、竹鶴の情熱に押し切られ、彼は本場のモルトウイスキーの製造を勉強するために、単身スコットランドに出発しました。1918年(大正7年)のことでした。

イギリスに着いた竹鶴はまず、スコットランドのグラスゴー大学に入学し、たいへんな苦労をしながら、ウイスキー作りを本格的に学びました。結局、1921年(大正10年)までの3年余、スコットランドに居たわけですが、ほとんど何のコネクションもなく出かけた竹鶴の苦労は、想像を絶するものであったと思います。でも真面目な働きぶりに、次第に応援者も増え、終生の伴侶となる、スコットランド人女性のリタとも出会い、結婚しました。

3年余の厳しい修行を終えて、竹鶴は新妻リタを伴い、自信と期待を胸に1921年(大正10年)に帰国しましたが、摂津酒造を取り巻く状況は留学前とは大きく変化していました。第1次世界大戦の終焉と共に戦争景気が終わり、反動として戦後恐慌が始まっていたのです。

摂津酒造は経営の維持が手一杯で、大規模な設備投資を必要とするウイスキーづくりは、到底開始できる状況ではなかったのです。悩み抜いた竹鶴は、阿部社長に多大な恩を感じつつも、摂津酒造を退社しました。

それから約1年、竹鶴は中学校の化学の教師をして過ごしました。その一方、戦後恐慌の中でも「赤玉ポートワイン」の好調な売れ行きで、経営が軌道に乗っていた寿屋は、本格的ウイスキー製造に乗り出そうとしていました。寿屋の鳥井社長はイギリスから技師を招こうとロンドンに問い合わせたところ、ロンドンからの回答は、「わざわざイギリスから人を派遣する必要はない。日本にはミスター・タケツルという適任者がいるはずだ。」というものでした。

こうして鳥井信治郎と竹鶴政孝の縁ができたのです。竹鶴は鳥井社長の直接の依頼で、10年契約で寿屋に入社しました。1923年(大正12年)のことでした。

本格ウイスキーの工場建設について、竹鶴は鳥井社長から一切を任されましたが、場所だけは指定されました。竹鶴自身は、気候風土がスコットランドに似ている北海道を考えていたのですが、寿屋の事情でそれは却下され、山崎に決まったのです。こうして日本初のウイスキー蒸溜工場、山崎蒸溜所が完成しました。竹鶴が寿屋に入社した年、1923年(大正12年)のことでした。こうしてその6年後の1929年(昭和4年)、日本初の本格的ウイスキー、サントリー・ウイスキーが発売されたのです。

思えばその頃、加賀正太郎はすぐ近くの大山崎で、自分の山荘をコツコツと作り上げていました。当時は山荘がおおよそ完成し、仕上げ段階だった時期です。サントリーの山崎蒸溜所と、大山崎山荘は、本当にすぐ近くですし、双方ともイギリスを模範としていましたので、かなり濃密な交流があったはずです。

寿屋に入社して10年、山崎蒸溜所でのウイスキーづくりは、ひとまず軌道に乗っていましたが、竹鶴としては、まだまだ納得のいくものではありませんでした。結局、寿屋の鳥井信治郎は両替商に生まれた営業畑出身。それに対して竹鶴政孝は醸造業生まれで、徹底した醸造技術者でしたから、やはり最終的にはウイスキーの製造に関して、両者に意見の齟齬が出てきたのだと思います。

40歳になった1934年(昭和9年)、竹鶴はついに寿屋を退社し、長年の念願であった自分のウイスキーづくりを実行に移し始めました。

スコットランドの風土に似た北海道余市に理想の原酒工場を建設、大日本果汁株式会社を設立したのです。実は、その新会社設立の最大のスポンサーが、大山崎山荘の持ち主、加賀正太郎だったのです。主な出資者は、加賀正太郎、竹鶴が住んでいた帝塚山(大阪市)の大地主の芝川又四郎、留学中に知り合った柳沢保恵伯爵 (日本統計学の祖) の3人でした。

ウイスキーは醸造開始から販売できるまでに、かなりの年数を必要とします。社名を大日本果汁株式会社としたのは、ウイスキー販売までの中継ぎとして、竹鶴がヨーロッパで味わった本物の天然リンゴジュースを販売するためでした。添加物なしというのも、竹鶴のウイスキーづくりの信念に通ずるものでしたが、当時は甘いラムネやサイダーが主流でしたので、健康にはよいのですが、酸味の強いリンゴジュースは市場ではあまり受け入れられず、赤字が増える一方でした。でもこの時期にも、竹鶴が挫けずにウイスキーの生産・熟成に集中できたのは、加賀達の資金のおかげであったと言ってよいと思います。

創業から6年、ついに第1号のウイスキーが発売されました。そのブランドとして、「大日本果汁株式会社」を短くして「日果(ニッカ)」と呼ぶことにしたのです。太平洋戦争開始直前の1940年(昭和15年)のことでした。サントリー・ウイスキーが昭和4年に発売されてから11年後のことでした。

こうして、山崎の地で、加賀正太郎、竹鶴政孝、鳥井信治郎の3人が微妙に関わり合ったのですが、この続きは後編で。
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