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縁の下のバイオリン弾き
130 平等
2016年9月28日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 人民服
8月末、カリフォルニアの州議会がデニムを「州の布地」にする決議をした。ブラウン知事が署名すれば、正式に発効するそうだ。

カリフォルニアの「州花」(ポピー)とか、「州鳥」(うずら)とかいうのは聞いたことがあるが、「州の布地」とは独創的だ。ほかのどの州でもそんなことは決めていないだろう。そもそも、「州のなんとか」という場合にはその州を代表するアイテムでなければならない。布地なんてものは州境を軽々と超えて流通するものだから、どれが州を代表するなんて定められないだろう。

日本でいえば鹿児島県の布地として薩摩絣(さつまがすり)を、沖縄県の布地として琉球紅型(びんがた)を選ぶ、とかいうようなことではないだろうか。

しかしカリフォルニア州議会がこんなふしぎな決議をしたのにはわけがある。デニムの用途としてすぐに頭に思い浮かぶのはジーンズだろう。ジーンズのもっとも古い会社はリーバイ・ストラウス社であり、その本拠はサンフランシスコにあるから、ジーンズこそはカリフォルニアを代表する産業といえるのだ。でも私企業を「州の会社」にするわけにはいかないから(してもいいと思うけど)、それでジーンズの原材料であるデニムをもちあげることになったのだろう。本音はジーンズを誇りをもって「州のズボン」にしたいわけなのだ。

その気持ちはよくわかりますね。なにしろジーンズはカリフォルニア州をこえてアメリカを代表する服装となり、世界中で愛用されているからだ。

よく知られた話だからご存知の方も多いと思うが、ジーンズの発祥は19世紀にさかのぼる。ゴールドラッシュの鉱山で鉱夫がズボンにいっぱい鉱石をいれるので普通のズボンではすぐにポケットがやぶれてしまう。その修繕をさせられた仕立屋が業(ごう)を煮やしてポケットを鋲(びょう)でとめた、というのがジーンズのはじまりだ。

今ではデニムならジーンズといって通用するけれど、昔はこの「鋲がうってある」ということが絶対の条件だった。この仕立屋のアイディアを商業的に開発したのがリーバイ社である。その発祥からしてジーンズは労働着だ、というのが一般の認識だった。

私は子供のときからジーンズをはいていた。あるいはわれわれが日本で最初にジーンズをはいた世代だったかもしれない。中学生のときに西部劇にあこがれてジーンズをはいている写真があるから、そのころからはいていたのだろう。

ジーンズはどのような意味でもファッショナブルではなかった。その証拠に、当時の女物のジーンズはジッパーが腰のわきについていた。

今の女物のジーンズは男と同じように前にジッパーがついている。それはジーンズそのものがファッションになったために、これは男物ですよ、あれは女物ですよと区別する必要がなくなったからだ。

そういう意味でのジーンズ仕様全体のファッション化はなかったから、前にジッパーのあるジーンズを女物として売り出すということが考えられもしなかったのだ。

ジーンズは若者のものだった。われわれの親世代はジーンズなど絶対はかなかった。年長者がジーンズをはいているのを私が初めて見たのは1970年代の半ば頃のことで、香港からフィリピンに仕事で行った時だった。パーカー万年筆の代理店業務を受け持っていた50代の実業家にある日会ったら、その朝漁船に乗っていたということでジーンズをはいていた。私自身はすでに成人していたにもかかわらず、いい大人がジーンズをはいているのをはじめて見て異様な気がした。

当時中国は鎖国も同然だったから、香港が中国研究の最前線だった。若いアメリカ人の大学院生たちがあつまる研究センターがあり、どういうわけか社会人の私もそのメンバーになっていた。まだ学生運動の興奮がくすぶっている時で、彼らはほとんど皆反ベトナム戦争、反帝国主義、共産党のシンパだった。その中のひとりが、はき古したジーンズの足を切って短パンにし、「これでまだ使える」といっていたのにひどく感動した。なんにせよ、使えるものは最後まで使うという態度にすっかりいかれてしまった。

私は自分でもジーンズをはいていた。それは仕事をしている時にスーツを着ていることの反動という意味をもっていたから、もうまったくの着たきりすずめ、毎日毎日仕事以外では朝から晩まではいていた。

そのうちお尻のところがぼろぼろにすり切れていくつも穴があいてしまった。ふつうなら捨てるべきなんだけど、私は前述のように「使えるだけ使う」ケチケチ主義を実践していたから、香港の町の仕立屋に修理をたのんだ。

現在ジーンズの穴をかがるにはデニムの端切れを使うのが常識だ。ところがそのころにはデニムの切れはしなんかどこにも売っていなかった。仕立屋はそんな生地はないという。

「なんでもいいから修繕してくれ」といったら、穴のところにうしろから紺サージをあててミシンで縦横にかがってつくろってくれた。もういい加減色あせたジーンズの、糸くずが出ている穴が色あざやかな紺の布地でうまっているさまはコントラストがききすぎて見るからにこっけいだったが、私は最底辺の労働者気取りだったので平気だった。知り合いの女性が「かわいそうに」と同情してくれたぐらいだ。

ところがそのうちにジーンズが大流行しだした。香港は世界の潮流に敏感なところだから、これは世界的な流行といってよかったのだろう。街中がジーンズであふれた。ベルボトムという裾広がりのモデルが流行した。

それまでジーンズなど絶対身につけようともしなかった階層の人々がジーンズをはくようになった。ズボンだけでなく、さまざまなジャケットも売られた。

これは当時の若者文化が影響している。60年代から70年代にかけては世界中で若者たちが既存の社会システムに「ノー」を突きつけた時代だ。ファッションだって例外ではなかった。それまでの白いワイシャツに背広の上下などというきちんとした服装は突如ふるくさい、魅力のないものになりはてた。男の「ピーコック革命」とかいって原色の赤や黄色のシャツや、よだれかけのような幅広のネクタイが氾濫(はんらん)した。今からかえりみればみんな突然気が狂ったとしか思われない。

そのうちに若者の情緒を代表するものはジーンズだ、ということになった。それがファッションになったので、大人たちも無視することができなくなったのだ。おくればせながら、腹のつきでたおじさんたちまでジーンズを用いるようになった。

ふしぎなことはその色だ。ごく薄い、ほとんど白に近い青が使われていた。そしてそれは初めからそういう色だったのではなく、本来の青い色を洗いさらすことによってわざわざそういう色にしたのだ、ということがみてとれた。あるいはまた、濃い青ではあるけれど、無数の細かい白のしわが全面を覆っている、というのも発明された。

あの流行は金のある階層が、ジーンズははきたいけれど、いかにも労働者です、といういでたちを拒否するために考え出されたものだったのだろう。ジーンズははいているうちに色あせてくる。それも全体的に均一に色あせるのではなく、膝小僧とかお尻とか、部分的に白くなっていく。それが薄汚く、貧乏くさい、というので、そのような変色がめだたないように、はじめから全体を白っぽくしてしまったのだろう。

私はそのどっちつかずの態度を軽蔑した。ジーンズをはくなら本来のブルージーンズでなければ何のためにジーンズをはいているかわからない、と思っていた。貧乏だからジーンズをはいているんじゃないか。

個人的な感想はともかく、ある時期ジーンズは性差も年代差も階級差も飛び越えた、はじめて人々の平等を実現した服装になったのだった。すくなくともそのころの西側諸国では。


ところがそんな服装における平等の観念は共産圏ではとっくのむかしに実現していた。

私が香港にいたころ、中国大陸に住んでいる中国人はほとんど例外なく、男も女も人民服を着ていた。といっても今の若い人は人民服など知らないだろう。

人それぞれ思い思いのファッションを自分で選ぶ、などということはブルジョワ的な退廃だとしてしりぞけられたから、それにかわるものとしてこの服装がうまれた。

詰め襟の、ポケットが四つついた木綿の上着とズボンのセットで、色はさまざまだが、最も多かったのが青だった。模様はいっさいなし。一応正装ではあるものの、制服もおなじことだ。当時の人民はそれしか着るものがないから着ていたので、私のジーンズとおなじように着たきりすずめだった。正装で、しかも労働着だった。

みながおなじものを着ているのだから、これ以上平等なものはない。これが中華人民共和国の理想であって、共産主義を象徴するものだった。

しかしじつをいうと人民服ほど夢も希望もない服装もなかった。アイロンなんかあてないからそれはいつもしわくちゃで、見栄えのしない、みすぼらしいものだった。

毛沢東のような巨漢があれを着ると(アイロンはかかっていた)それでも威風堂々と見えたが、クーデターの失敗で墜死(ついし)した林彪(りんぴょう)だとか、改革開放の立役者小平(とうしょうへい)のような小柄な男が着るとまず貧相に見えた。

私は自分自身が貧相なので、そんなふうにみばで人間を比較してはいけないということは重々承知しているし、また熱狂的にその考えを支持するものだが、しかしすべての虚飾をはぎとった服装だと、その人の値打ちがいやおうなくはっきり出てしまう。それはかなりつらいことだ。いいことなのかもしれないが、残酷でもある。

そして紅衛兵のように何百何千という人々がおなじ服を着ている場面に出会うとまさに毛沢東のいう「人海戦術」を絵にしたような光景で、中国人全体がねずみの大群と化したかのようなぶきみな印象を与えた。

ところが改革開放(1980年代)がはじまると共産主義はどこへやら、またたくまに人民服は過去のものになった。着なくていいのならあんな服装はだれもしたくなかったのだ。

人民服をすてて、中国は金がものをいう社会に変貌した。


全国民が同じ服装をするというような時代は2度と来てほしくない。それは平等というより抑圧の結果だ。

しかしあのころの中国人のひとりがアメリカに移住したなら、かれは目を疑ったことだろう。というのはアメリカではだれもかれもが同じズボンをはいていたからだ。しかもアイロンなんかかけていない。それが人民服と同じ青い色をしていたのは皮肉というほかはない。


ジーンズの流行は終わることがないように見える。でもそれが民主主義の平等を象徴していたしあわせな時代はすでに終わってしまった。アメリカはいうまでもなく、日本でも中国でも、いや世界中で社会の格差はとめどもなくひろがっている。弱肉強食の時代だ。なんでも自己責任とされる時代だ。

近代社会を世界に導きいれたフランス革命のスローガンは「自由、平等、博愛」だった。その平等を求める気持はどこにいったのか。私は今もジーンズをはいているけれど、それを思うとため息をつかないわけにはいかない。

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