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やもめ日記
11 ヨコハマ・ヤンキー
2013年2月2日
シーラ・ジョンソン シーラ・ジョンソン [Sheila Johnson]

1937年、オランダのハーグに生まれるが、10歳のときからアメリカに在住。大学で人類学、大学院修士課程で英米文学を学び、人類学博士号を取得。高齢化問題や日本について書籍や記事を出版し、夫が創設した日本政策研究所の編集者を10年間務めた。チャルマーズ・ジョンソンが他界するまで彼と53年の結婚生活を続けた。現在サンディエゴ在住。
▲ 『ヨコハマ・ヤンキー』の表紙。1895年ごろの家族写真の一部で、著者レズリー・ヘルムの曾祖父ジュリアス、曾祖母のヒロ、学生服を着てその間に立っているのは著者の祖父ジュリー。
▲ 「横濱海岸通之圖」(1870年)。中央の建物は横浜港税関。
▲ 1915年ごろの横浜元町通。
In mid-March of this year a small publishing house in Seattle will publish a book, titled Yokohama Yankee, that I think will interest a great many Japanese. I hope it will soon be translated and published in Japan, together with its many fascinating old photographs. Here is a brief preview.

来たる3月半ばに、シアトルの小さな出版社から、日本人の関心を大いに呼びそうな『ヨコハマ・ヤンキー』というタイトルの本が刊行される。その本が和訳されて、非常におもしろい古い写真付きで日本で出版されればいい。その本とはこういうものだ。

The author, Leslie Helm, is the great-grandson of Julius Helm, an adventurous German who arrived in Japan in 1869 at the age of 29 and founded the firm Helm Brothers that provided stevedores, landing agents, and transport on the docks of Yokohama. The firm remained in the family until 1973, when Leslie’s father sold it to a Hong Kong company. In addition to the story of the vicissitudes of the company during two world wars and the massive earthquakes of 1923 and 1995, this is also the story of the Helm family, several of whom married Japanese women. Julius, Leslie’s great-grandfather, married Komiya Hiro, who bore him seven children, and Leslie’s grandfather (called Julie) married Betty Stucken, whose father was also a German living in Japan and whose mother was Koshiro Fuku. Thus Leslie himself is part-Japanese, although he is a U.S. citizen because his grandfather happened to be born in New York, where Julius and the pregnant Hiro happened to be traveling in 1887. Leslie, on the other hand, was born in Yokohama in 1955 and lived there until he left for college in the U.S. in 1973.

著者レズリー・ヘルムの曾祖父ジュリアス・ヘルムは冒険好きなドイツ人で、1869年、29歳のときに日本にやって来て、横浜港の桟橋で港湾労働者や陸揚げ仲介人や運搬手段を手配するヘルム・ブラザーズという会社を設立した。その会社は1973年に著者レズリーの父親が香港の会社に売り渡すまで、ずっとヘルム家のものだった。この本には、2つの世界大戦、および1923年の関東大震災と1995年の阪神淡路大震災の間ににおけるヘルム・ブラザーズ会社の栄枯のほかに、日本人女性と結婚した者たちを含めたヘルム家の人々の話も書かれている。レズリーの曾祖父ジュリアスは小宮ヒロと結婚し、7人の子どもをもうけた。レズリーの祖父(通称ジュリー)はベティー・スタッケンと結婚したのだが、彼女の父親は日本在住のドイツ人、母親はコシロ・フクという日本人女性だった。という次第で、レズリーには日本人の血が流れている。が、彼はアメリカ市民なのだ。というのは、彼の祖父は、父親のジュリアス(レズリーの曾祖父)と妊娠中の母親のヒロが1887年にたまたま旅行していたニューヨークで生まれたからだ。レズリー自身は1955年に横浜で生まれ、1973年にアメリカの大学に入るまで日本で暮らした。

Leslie grew up speaking Japanese and while he was attending the University of California at Berkeley he met his future wife, Marie Anchordoguy, who was studying Japanese and who is today a Professor of Asian Studies at the University of Washington in Seattle. Both Marie and Leslie were students of my husband, Chalmers Johnson, during the late 1970s.

レズリーは日本語を話して育ったが、カリフォルニア大学バークレー校に通学しているときに将来の妻、マリー・アンチョルドギーに出会った。マリーはそのとき日本語を学んでいて、現在はシアトルのワシントン大学のアジア学科の教授をしている。マリーもレズリーも1970年代末に、私の夫チャルマーズ・ジョンソンの学生だった。

Leslie returned to Japan in 1982 as a correspondent for Business Week and then for the Tokyo bureau of the Los Angeles Times. In 1992, he and his wife, unable to have biological children, adopted a three-year old Japanese girl and almost simultaneously, a Japanese baby boy. Thus the Helm family has come full circle, from being gaijin with roots in Japan, to including two Japanese-born siblings with roots in the U.S. (Leslie Helm’s brother also has adopted two Japanese boys.)

レズリーは1982年にビジネスウィーク誌、またロサンジェルスタイムズ紙東京支局の通信員として日本に戻った。1992年に、子どものできなかったレズリーとマリーは、3歳の日本人の女の子と、ほぼ同時に男の赤ちゃんを養子にした。こうしてヘルム家は、日本に根を持つ外人という家族から、アメリカに根を持つ日本生まれの兄弟を含めるという家族にと完結したのだった。(レズリーの兄も日本人の男の子を2人養子にしている。)

In telling this story Leslie reflects on his own bi-racial background and that of his fully Japanese children. Once when he and his family were staying at an inn in Nikko, the innkeeper “looked at me and Marie quizzically, then asked, ‘So you must be the teachers and they are your students?’ This was a ridiculous suggestion since Mariko was nine and Eric six. Yet this was the only way she could explain our presence together.” But back in Seattle, when Leslie took young Eric to the grocery store, let him run around, and then started to lift him back in the cart, a woman who saw him suddenly demanded “Put that child down.” When Leslie said, “What do you mean? He’s my son,” the woman replied, “Can you prove it?”

そういうことを述べながら、レズリーは人種の交じり合った背景を持つ自分と、100パーセント日本人の自分の子どもたちについて、思いをめぐらせる。家族旅行で日光の旅館に泊まったとき、旅館の主人は「私とマリーをいぶかしげに見て、『ああ、お二人は先生で、子どもたちは生徒さんなのですね?』と聞いたのだ。そのときマリコは9歳でエリックは6歳だったから、そんなことを言うのは滑稽だったのだが、そうとしかこの主人には私たち4人がいっしょにいることが理解できなかったのだろう。」同じようなことがシアトルでも起きた。レズリーがエリックをスーパーに連れて行き、走り回ったエリックをカートに乗せようと抱き上げたとき、それを見ていた女の人が、突然、「その子を下ろしなさい」と言ったのだ。「どういうことですか? この子は僕の子ですよ」とレズリーが言うと、その人は「それを証明できる?」と言ったものだ。

Leslie and his wife have raised their children both in the U.S. and Japan and he acknowledges that growing up in a mixed-race family has sometimes been difficult for the children. When Eric was taunted in a Japanese school about his Western name and refused to go back, Leslie -- aware as a journalist of the serious problem of bullying in Japanese schools -- went to see the principal. “It was Japan’s conformist schools that made Japan disciplined,” he writes, “but also intolerant of diversity.” When Leslie asked Mariko to take her grandmother (Leslie’s mother) to grandparents’ day at her U.S. school, Mariko told Leslie afterwards, “I can’t believe you made me do this! I felt like I was walking around all day with a sign on my head that says ‘I’m adopted.’”

レズリーと妻は子どもたちをアメリカと日本の両方で育てたが、人種の交じり合った家庭で成長するのは子どもにとってはときとして容易なことではないことを承知している。日本の学校で、エリックが西洋的な名前のことでからかわれたのでもう学校へは行かないと言い出したとき、ジャーナリストのレズリーは日本の学校のいじめ問題が深刻なことをよく知っていたので、校長に話しに行った。そのときの感想を、「日本を規律ある社会にしたのは日本の学校が決まりに従うことを要求するからだが、同時に多様性を認めない偏狭さを生んだ」と彼は書いている。また、アメリカの学校で、祖父母の日に、レズリーはマリコにおばあちゃん(レズリーの母親)を連れて行ってくれとたのんだ。あとでマリコは、「どうしてわたしにあんなことをやらせたのか、わからないわ! 『私は養女』という看板を頭に付けて1日中歩かされたような気がしちゃった」と言った。

Leslie himself says that as a result of his journey into the past, “I have embraced my family as I have embraced Japan, a culture whose complex tapestry has enriched my life in more ways than I will ever fully grasp. I know that our fates will continue to be inextricably linked, mine and Japan’s, for I have taken Japan’s children for my own.” He hopes that his children will adopt his story as part of their own heritage, as they go on to live and create their own stories.

レズリー自身、過去をたどることによって得たことを、こう書いている。「日本を大事に思うようになったように、ヘルム家の人々を大事に思うようになった。複雑に織り込まれた日本の文化は、私の人生を自分では計り知れないほど豊かにしてくれたていのだ。私の運命と日本の運命は切り離せないほどにしっかりつながり続けるだろうと思う。日本の子どもたちをわが子にしたのだから」と。彼は、自分の子どもたちが成長して自分たち自身の人生を切り開きながら、彼の書いた話を遺産の一部として受け入れてほしいと願っている。

Yokohama Yankee: My Family’s Five Generations as Outsiders in Japan by Leslie Helm is available in English via amazon.com but I’m sure it will acquire many more thoughtful readers once it is translated into Japanese.

レズリー・ヘルム著の『ヨコハマ・ヤンキー ――日本の異邦人家族5世代』の原版(英語)はアマゾンで購入できるが、日本語に翻訳されたらもっと多くの思慮深い読者たちが集まるだろう。


(訳:雨宮和子)
(写真提供:レズリー・ヘルム)
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