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80 ホンジュラス(4)消え去った人々
2006年3月20日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 24年前に弟を消されたノエミ・ペレスさん。その責任者を追及し続けている。コファデの事務所で。壁に貼ってあるのは消え去った人々の写真。
ホンジュラスのリアリティ・ツアーは首都テグシガルパを歩くことから始まった。中央広場の近くのカフェでホンジュラス産のコーヒーを飲み、それから広場を横切って国民議会場へ。その脇に立つレンピーラの彫像は、ホンジュラスの人々の新たな誇りを懸命に示しているように見える。(小さなデジカメで撮った写真は、「ホンジュラス(2)レンピーラ」に掲載しました。)

そのまま歩き出したら、通りがかった40代ぐらいの女の人が、「カメラを盗まれないように気をつけなさい」と囁いて私を追い越して行った。そして数メートル先で振り返り、私がカメラをバッグにきちんとしまうのを見届けると、にっこり頷いた。私も黙ったまま、ほころんだ目で「ありがとう」と合図し返す。それでも私は、お昼前のこんな時間にひったくりなど本当にあるのだろうか、と半信半疑。頭上には雲1つなく澄み切った青天が広がり、辺り一面眩しいくらい明るいし、街並も賑やかで、すべてが平和に見えるのだ。

議会場からそう遠くないところで、ある建物に入った。ラテンアメリカの建物の多くは入り口が小さくても奥行きが深い。一歩踏み入れと、外の喧噪から急に遠く離れたようにひっそりした空間に入る。空気もひんやりと快い。

私たちが訪れたその建物は、政府の弾圧で姿を消した人々の家族の委員会、通称コファデ(COFADEH=Comite de Familiares de Detenidos-Desaparecidos en Honduras)の事務所だった。どの壁も平和行進の写真や各平和団体のポスターや弾圧の犠牲者の写真で埋まっている。

ノエミ・ペレスさんという上品でこぎれいな人が、会の説明をしてくれた。24年前に弟が姿を消したという。「姿を消した」とはいっても、ただ行方不明になったのではない。政府に拉致され、暗殺されたのだ。軍事政権下のアルゼンチンとチリで政権に批判的な人々が次々に姿を消したことはあまりにも有名だが、同様なことがあったホンジュラスに注目してこなかった自分が、ノエミさんを前にして恥ずかしい。

ホンジュラスでは政府に批判的な活動をしていた185人が1980年代に「姿を消した」と報告されているが、実際の数はもっと多いだろうという。その数はアルゼンチンの3万人、チリの1万2千人よりははるかに少ない。が、ホンジュラスは小国で(人口は現在でも700万弱だ)、しかも当時は民政だったから、185人という数字は決して小さなものではない。なぜそんなことが起きたのか。

事の始まりは、1979年にお隣のニカラグアでサモサ独裁政権が左翼集団のサンディニスタによって打倒され、新しい左翼政権が成立したことだ。1980年に大統領に就任したレーガンは、このサンディニスタ政権を倒すことに懸命になって、サンディニスタ政権に武装蜂起を仕掛けるコントラの基地をホンジュラス内部に建設することにしたのだ。ニカラグアの左傾化に加えて、ホンジュラスと国境を接するグアテマラとエルサルバドルでも右派左派の内戦が激しくなり、ホンジュラスはレーガン政権の中米での反共政策の要とされた。

それをを指揮したのは、ジョン・ネグロポンテという駐ホンジュラス米国大使だった。1981年から1985年までの彼の在任中に、アメリカからホンジュラスへの軍事援助は20倍にも増えた。左翼活動家が急に姿を消したのもこの時期だ。彼らはコントラ基地に収容され、拷問を受けた。拷問のテクニックはCIAが訓練したといわれている。エルサルバドル右翼政権に反対する活動家やシンパに対して暗殺団を組織したのも、アメリカの作戦だった。それらのことをネグロポンテは承知していたといわれている。2001年8月にコントラ基地の発掘調査が行われたところ、185の遺体がみつかっている。そのうちの2体は、ホンジュラスで人権擁護活動をしていたアメリカ人のものだ。

「あのネグロポンテがアメリカの国連大使に任命されたと聞いたときは、まさか、と信じられませんでした」
ノエミさんは未だに信じられないような顔でそう言った。2001年のことだ。
ブッシュがネグロポンテ指名を発表したとき、反対署名を募る運動がアメリカ国内でも起きて、私もメールで署名を送ったのを覚えている。が、アメリカが中米の小国で何をしたかに関心を持つアメリカ人は少ない。ネグロポンテという名前すら知らないアメリカ人がほとんどだ。ネグロポンテは去年ジョン・ボルトンが国連大使に指名されてもめたような問題にはならず、2004年の6月まで米国国連大使を勤めたのだから、アメリカ人は無神経というか、無知というか… ホンジュラスの人々はどんなにか悔しい思いをさせられたことだろう。

ノエミさんの話を聞きながら、私の頭の中では軍事政権下のアルゼンチンのイメージが渦巻いた。拉致された活動家の中には、生きたままヘリコプターから投げ落とされた人たちもいたという。それはアルゼンチンでも何度も起こったことだ。当時のアメリカの新聞に載った写真を、私はいまでもはっきり覚えている。それと同じような写真を、ホーチミン・シティのアメリカ戦争(ベトナムではベトナム戦争のことをそう呼ぶ)記念館で見たときは、本当にびっくりした。そうだったのか… 反対勢力の弾圧手段をアルゼンチン軍事政権はアメリカから学んだのだ。

弾圧手段を教える学校は、ジョージア州にあるスクール・オブ・アメリカス(School of Americas)だ。そこはラテンアメリカの軍事治安関係者の訓練所で、「クーデター学校」の異名があるほど、ラテンアメリカ諸国の親米政権樹立にかかわって来た。パナマのある新聞は「暗殺学校」とも呼んだ。あまりに悪名高くなってしまったので、2001年から西半球安全保障協力研究所(The Western Hemisphere Institute of Security Cooperation)などと名前が変わったが、内容はちっともかわっていない。ホンジュラスは1998年までに3724人もこの「学校」に送り込んでいる。

「弟を生き返らしてくれとは言いません。ただ、弟の暗殺に関わった者たちをきちんを裁いてもらいたいのです」
そう言うノエミさんの声は、静かに落ち着いていたが、力強かった。大きな瞳は潤んでいたが、涙がこぼれることはなかった。溢れていたのは、20年以上も国家権力と闘って来た勇気だ。

アメリカには情報自由条項(Freedom of Information Act = FOIA)というのがある。それによって、だれでも政府関係文書の公開を司法省に要求できる。そのことを知ったコファデは、何度も米国司法省に申請書を送り、数ヶ月後にやっと送られて来た文書は、ほとんど黒塗りにされていたという。
「私たちを侮辱していますよ。肝心なことはわからないようにしてあるんですから」
それでもコファデは怯んではいない。さらに情報公開を要求し続けている。

コファデのメンバーにはいまだに脅迫の電話や手紙が投げ込まれる。執拗に暗殺の責任者を追求していることと、ホームレスの青少年の人権を守ろうと、前回のエッセイで触れた「反ギャング法」に抗議して、最高裁判所に訴えているからだ。人権問題を自分たちの家族だけにとどまらせず、普遍的な問題として捉えて行動しているコファデに、頭が下がる。同時に、ノエミさんの話を聞いていて、アメリカが世界のあちこちにかけた網がはっきり見えて来たような気がする。

ノエミさんたちの勇気に圧倒された思いのまま、私たちは外に出た。さっきと同じように明るい空が広がり、通りは賑やかだ。が、その表面下には痛みと悲しみが隠れているのだ。


補足:
ネグロポンテはよほどブッシュ大統領に弾圧の腕を買われたのだろう。2004年6月にはイラク大使に就任したのだから。2005年4月に新たに設置された国内情報庁長官に就任し、現在に至っているが、彼がイラクに落とした影は大きいと私は思う。2005年早々に、イラクで「サルバドル方式」(Salvadoran Option)が囁かれるようになったのは、偶然ではないだろう。

http://www.billmon.org/archives/001645.html
http://www.billmon.org/archives/002340.html

現地テロというのは、実は暗殺団の活動と重なる部分があると思う。イラク情勢が平静にならない方が米軍駐屯継続が正当化でき、アメリカの欲するところだという見方がある。油田に沿って巨大な米軍基地がいくつも建設中であるから、米軍は恒常的に半永久的に駐屯するつもりなのだ。
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