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ホンジュラス(11)オランチョの森(下) |
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2006年6月6日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ 村人が集まってくれたロスコルテス公民館。 |
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▲ ロスコルテス公民館で、環境保護をテーマにした自作の歌を披露する環境保護委員会長さん。 |
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▲ 環境保護教室の隣の木のてっぺんで、大きな声で歌い続けていた黒鳥。カラスより一回り小さい。 |
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ロスコルテスの集会所にはすでに大人や子どもが集まって、私たちを待っていてくれた。中に入ると、前方の壇に向かってベンチが並び、中央の壁には「神は愛である」と書いてある。この場所は教会の役割も果たす公民館らしい。まず、まだ20代の若いロスコルテス環境保護委員会長が、ギターを奏でながらいくつか歌を披露してくれた。環境保護意識を高め、決意を固めるための自作の歌だという。
環境保護委員会は3年前に世代交代を果たしたようだ。木材会社との関係や委員会設立の経過を説明してくれた初代委員長は、とてもまだ年寄りには見えない。ロスコルテス指導者たちはカンパメントの活動家たちから、知識やノウハウを教えてもらっているそうだが、若い人たちに指導権をバトンタッチしたロスコルテス村民はかなり進歩的な考え方をしているのが伺える。
若い委員会長はおとなしそうな風貌だが、口を開くと雄弁だった。 「我々のような貧乏人は、自分たちの環境が破壊されたらどこかへ移るということもできません。ここに居留まって、自分たちの資源を守っていくしかないんです」と言い、委員会の大きな目標は、大切な自然環境を守って自分たちの生活を守り、いまある資源を知識を次の世代に引き渡すことだと説明した。今年の活動計画は果樹と広葉樹を植えることだが、「環境保護は単に森林を守ることだけではありません。みんなで一緒に私たちの生き方を守ることでもあるのです。私たちは1つの結び目なのですから」と団結を強調した。通訳してくれたサンドラさんによると、「1つの結び目」(one knot)というのは団結の表現としてホンジュラスでよく使われるという。
委員長さんの話を聞いていて、「共生」という言葉を思い出した。正直なところ、日本で観念として語られるこの言葉には実体よりむしろどことなく集団従属主義的の無言の圧力を感じて、私は警戒心を持っていた。が、ロスコルテスの村民たちの生き方を表すには「共生」という言葉がぴったりだと感じられる。第一世界に消費者として暮らす私たちの生き方そのものが自然環境を脅かしているのとは違って、ロスコルテス村民たちは文字通り自然と共に生きているから。
委員長さんは環境保護運動教室の生徒たちに向かって、「クラスで学んだことをしっかり出身地に持ち帰ってください」と激励した。最後に、最初の委員長さんの息子だという青年が国際交流の重要さを述べ、何か一言、と私たちを促した。3人のうちスペイン語をスラスラ話せるのは我が夫だけだ。彼は最初は柄に似合わず遠慮したが、立ち上がって、ロスコルテスの松の木が立派なのに感心し、村民の努力に感動したと述べたが、1種類の木を一斉に植えると花粉症の問題が起きるから気を付けた方がいいと, 日本の例を引き出して警告した。
それを聞いた村民はきょとんとしている。 「日本の場合は松じゃなくて杉よ」と私が指摘すると、我が夫は「似たようなもんだ」などといい加減なことを言う。(話は横道に逸れるが、こういうことで夫と私はいつも議論になる。彼に言わせると私は事実に厳密過ぎ、私から見ると彼は話を面白くするために平気で事実を曲げる、と。彼の話はいつも面白いのは認めるけれど。)
「日本のことを持ち出すなら、日本人は自分たちの森林は守るけど、海外でどんどん伐採された木を平気で買うから、日本人を見たら気を付けた方がいいって言った方がいいわ」と提案すると、今度は夫は反論せずに、また立ち上がって私が言ったことをそのまま伝えた。すると、「日本からバイヤーがオランチョにも来ていることは知っています」という言葉が返ってきた。自分たちの森林を巡る動きに、人々は目を光らせているのだ。生活に根ざした環境保護運動の強さが、ここからも感じられる。同時に私たち消費者も、買う商品がどこからどんな状況で来るのか、はっきり知る責任があると改めて感じた。
集会が終わると、ロスコルテス産のサトウキビジュースやバナナをごちそうになった。サトウキビは有機農法で高品質に生産することを目指しているという。小農民が大農方式による生産物と市場で競争するには、付加価値を高く付けられるものを生産するしかないからだ。同時に、それがまた環境保護の考え方を強めていく。
委員長さんと歓談していた我が夫は、松の木はいつ切るつもりなのかと聞いた。夫もイギリスで親から受け継いだ林に、桜の木を植えている。その木はいずれは家具用木材として売るつもりなのだ。それは次に世代になるかもしれないが。そんな彼の質問に、委員長さんはびっくりした顔で、ロスコルテスの木は絶対に切らないと答えた。今度は夫の方がびっくりした。
太くまっすぐ伸びた木はいい値で売れる。伐採と植林をタイミングよくやって森林を守っていくという森林のマネージメントを夫は考えているのだ。ところがホンジュラスでは、木材会社は森林のマネージメントなどには目もくれず、資本の力で材木という資源を自然環境から取り出すことしか念頭にない。それを取り締まる政策はおろか、樹木伐採を規制する方針も政府にはない。そういう状況では、財力のない小農民が自分たちの生活を支えてくれる森林を守るには、木材会社を一切閉め出すしかないのだろう。それは「木は1本も切りません」という態度を貫かないと続かないのかもしれない。ロスコルテスの農民には選択肢という贅沢はないのだ。
木を切ったら生活地盤が崩れる。そうなったら、若者たちはアメリカに出稼ぎに出ていくことだろう。すると、家族も村もバラバラに解体してしまう。ロスコルテスの村人たちはそう考えている。実際その通りだろう。
夕方、カンパメントの活動家たちと夕食を共にするためにレストランに入ると、たまたまテレビで、その日の午後に環境問題について首都テグシガルパからやって来た政府の要人と会見したビクトルさんがインタビューに応じているのを放送していた。ビクトルさんは理路整然と滔々と話している。昼間の小農民の姿とはまるで別人のようだ。人は見かけで判断してはいけないと痛感した次第だ。いや、ビクトルさんだけではない。ロスコルテスのような貧しい山村の指導者たちも、大変に論理的で雄弁だし、ホンジュラスで出会った活動家は皆そうだ。信念を持って毎日を生きているからだろうか。なんとすばらしい人々なのだろう。
またもや、社会の富に寄りかかって生きている自分が、ひどく小さく感じさせられた1日だった。
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