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僕らの世代(1) |
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2003年2月23日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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▲ 窓辺 |
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東京での仕事の合間をぬって、埼玉県S市のマンションにひとり暮らしの母の顔を見に行く。以前は泊りがけだったが、正直言って仕事で疲れたあとの夜の話し相手がきつくなってきた。病院通いのことやら、ひとり暮らしの虚しさ話の相手。「年中エアコンがきいて、富士山の見えるマンションに住んで、食うに困らぬ生活をして、バチがあたるよ」などとさとしながら、アフガンの子供たちの悲惨さや、日本の不景気の話をするが、他人さまの話題になると耳がいっそう遠くなるらしい。大声の会話はエネルギーを消費する。というようなわけで忙しさにかこつけ、昼間の短時間訪問に切り替えた。
東京へもどる電車のなかで、同年代の女性エッセイストの本を開く。「親の面倒をみる最後の、そして子供からの面倒を期待できない最初の」体験をするのがわれわれの世代だという。そうかもしれんなあ。母のひとり暮らしももうそう長くは続かないだろう。さてどうする。「高齢化する親の精神不安の相手をしつつ、一緒に高齢化していく自分自身の経済不安で悩む」のがわれわれ団塊世代が負う宿命でもある。
そんなことをぼんやり考えていたとき、頭の底のほうになにか引っかかて気になる文章があることに気がついた。そうだそうだと共感しつつ、3〜4年前に朝日新聞に掲載されたそのエッセイを切り抜くのを忘れていた。あれはたしか猪瀬直樹の…、さて連載のタイトルはなんだったか…。「夕焼け」という単語が含まれていたことだけは覚えているのだが。
町の図書館でデータベース検索する。出てきた。やはり本になっていた。しかし書庫にはないという。取り寄せを頼んだ。便利になったものだ。県内の図書館がネットワークされていて相互に貸し借りをしている。しかも本の到着をEメールで連絡してくれるという。「明日も夕焼け」(朝日新聞社刊)は3週間後「海老名市立有馬図書館」というところから遠路はるばるやってきてくれた。
本のなかにその一節ははたしかにあった。 「どうも僕の世代は、」−彼は1946年、僕とまったく同じ年の生まれだ。 「父親の演じ方が下手なのである。全共闘世代とか団塊の世代などと呼ばれて、家父長制度を標的にして破壊の情熱にとりつかれた。それがじつは自分の足下を突き崩すことだったとは気づかない。いや、子育てを終えるころにうすうす気づきはじめ、戸惑っているのだ。定型、様式、形、そういうものを壊したツケが、たしかにじわじわっと毒のように効いてきた。」
そう僕らの学生時代は元気だった。授業をボイコットして連日のデモ。「米帝粉砕」の「シュプレヒコール」。といってもいまの若者には分からないだろう。「アメリカ帝国主義」「いっせいに叫び声をあげる」こと。ベトナム戦争のまっ最中だった。そのうち「権力の怖さ」を思い知らされ「挫折」。そして「暴力で世の中は変わらない。体制内改革だ」と次々と有名企業に就職。その後のめくるめく高度経済成長。「怒れる若者」は「企業戦士」に変身、身を粉にして働きつつもバブルの恩恵もそれなりにたっぷり味わっているうちに、いつの間にか「体制内改革」のことなどすっかり忘れて「社畜」化。いまは一転バブル崩壊後の後始末だ。
たぶんいま、リストラ執行役の最前線にいてに苦虫をかみつぶしたような顔をしているか、リストラされる側の最前線で顔をひきつらせているか、いずれにしてももっとも嫌な場所にいるのが僕らの世代であろう。「米帝」がさらに凶暴化して、他国に理不尽な攻撃を仕掛けようとしているのに、きょう明日のわが身の心配でそれどころじゃない。そしてふと思う「俺たちっていったいなんだ」。
たしかに異様な体験をしたというかさせられたというか、面白いというか不幸というか、要領がよいのか悪いのか、豊かなのか貧しいのか、なんともひとことで表現できない奇妙な世代である。猪瀬は続ける。 「君の自主性を尊重するとか、自分で考え給えとか、格好がよいけれど決断という負担を単に押しつけているだけで、とても無責任なのである。確固とした価値観がなく臆病でなにかから逃げているだけにすぎないのに、ものわかりがよいふりをしている。」
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